定年後の生活をどう過ごす?

May 16, 2012 – 1:01 am

 週間新潮(4月26日号)に定年後のおじさんについて興味深い記事を見つけた。渡辺淳一の連載エッセー「あとの祭り」のなかに書かれたものである。ここで、定年を迎えたおじさんたちがやることもなく、自宅に籠もっているという話しが紹介されている。渡辺淳一は、2,3年前にも、「孤舟」という作品を発表し、このなかで定年を迎えたおじさんを描写した。この作家、定年後の人間の生き様について考えを巡らしているようだ。

 すでに年金生活を送っている私としては、要らぬお世話といいたいところであるが、この渡辺淳一のエッセー、なかなか的をついた話になっている。ということで、私なりに定年後の理想の生活を考えてみた。 

「あとの祭り」に書かれていること: サブタイトルは「定年まで勤めあげてから 一歩も外にでない」となっている。議論の対象は、定年まで「きちんと」勤めた男性である。私は、残念ながら、定年の2年半前に退職してしまい、勤めあげることができなかった男である。それは、それとして、渡辺淳一の書いていること、かなり的を得ていると思う。

以下のようなものだ(以下、抜粋):

 次のデータは、世田谷区内の六十五歳以上の高齢者、十万人について調べた結果だが。
 日中(午前九時から午後五時まで)を過ごす場所として、もっとも多かったのが、「ほとんど家で過ごす」という人で、全体の四十二・五パーセント。それから、「自分の部屋の中」というのが、三・六パーセントに達したとか。
 このデータから改めてわかることは、高齢者は日中、ほとんど家にいる、とういことである。
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六十五歳以上の高齢者のことで、改めて思い出されるのが、定年退職者の男性のことである。
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 これまで仕事一筋に、これだけがもっとも大事と教えられ、叩きこまれてきたのに、それをいきなり取上げられたらどうなるのか。
 呆然自失。やることもなく。自室に籠りがちになるのは当然である。
 もちろん六十歳からの再出発とういこともないわけではない。
 ここから再び新しい人生が始まると考えて、新しい仕事にチャレンジする。
 しかし、はっきりいって、六十歳をこえたひとに与えられる仕事はほとんどないし、チャレンジするには年齢(とし)を取りすぎている。
 とくに、それまでの仕事が順調で、ポジションがよかった人ほど、定年後も変わりにくい。
 もっとも、そういう人は、それなりの退職金をもらって、生活も一応安定している。
 こういう人は、当然、仕事がないから、家に籠りがちになる。
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 では、立派に定年まで勤めあげてきたおじさんたちは、暇な時間を何につかうべきか。

 そうなのである。「立派に定年まで勤めあげてきたおじさんたち」は、何をしていいのかわからないのである。結局のところ、可能であれば、定年まで勤めた会社のお世話になって、なんとか関連会社にでも「再就職」させていただければ、なんて話になってしまう。

 せっかく、獲得した「自由な時間」に満ちたバラ色の老後は、方向も定まらない無為な時間になってしまうか、あるいは形を変えた「束縛の日々」に逆戻りすることになってしまうのである。

 「立派に定年まで勤めあげてきたおじさんたちは、暇な時間を何につかうべきか。」この設問、かなり深刻な設問なのである。

渡辺淳一の示す答え: 実は、連載の「あとの祭り」の続きが次の号にある。渡辺淳一のこの設問に対する回答は、

 「個々人の自分史なるものを書く」

といったものだ。実に、つまんない回答。この程度の回答しか示せないのか、なんてがっかりしてしまう。

 渡辺淳一の「孤舟」の終わりは、「独立した個として生きるべし」とのメッセージが与えられていたように感じた。しかし、週刊誌に示された回答は、「自分史」でも書いたらどう?なんてものだ。なんとも情けない話しになっている。渡辺淳一の限界を感じてしまった、というのは言いすぎか。

 これでは、単に、周りの定年退職者の姿を見て、「困ったものだ、なんとかしなきゃ」という程度の問題意識を示したにすぎない。退職者のひとりとして、「渡辺さん、いらぬお世話だよ」なんていってしまいたい。

 これに比べれば、城山三郎の「毎日が日曜日」は、同種の問題を扱いながら、その深刻さを鋭くえぐりだしているように思う。

定年退職者は新規事業展開に適しているのでは!: 年金制度の維持が難しくなっていることもあって、60歳の定年を迎えても、年金が受給できなくなってきた。年金が受給可能になるまで、65歳になるまで頑張って働きなさい、「『定年』は延長すべし」というのが最近のながれのようだ。

しかし、だ。見せかけの「定年延長」は、かなり大きな問題を孕んでいる。

 60を超えたおじさんが、会社にうろうろしているのは、若年労働者の雇用の機会を失なわせてしまう。やることがなく、年金も得られないおじさんたちをなんとか助けようということで、「再雇用」とか「定年延長」をしてしまうと、新規採用の枠が縮小され、若者の就職機会を奪ってしまうことになる。「再雇用」されたおじさんたちの給与は、彼らへの年金額と若者の初任給を足したものより高いと想像する。ましてや、おじさんたちを関連会社への天下り社員として採用するなんて、愚の骨頂だ。

 むしろ、定年退職者への年金支給額を充実させ、彼らが、第2、第3の人生を余裕をもって送れるようにするほうが良い。生活への不安をなくすことで、サラリーマン生活への未練をすっぱり洗い流し、あらたなスタートを切らせるのである。

 そうした条件を整えたうえで、定年退職のおじさんたちに自ら事業の立ち上げを勧めるのだ。小規模な「自営」の勧めといったところだ。年金で最低限の生活が維持できることになれば、それなりのリスクをとって新規事業を開始することはそう困難なことではないと思う。いかがだろう。

 定年退職のおじさんたち、まだまだ、元気なのだ。それに長年の会社勤めで培った経験もある。新規事業の展開にもっとも適しているのが「定年退職のおじさん」たちなのだ。

 なーんてことが成立すれば、渡辺淳一の心配する定年退職者問題なんて吹き飛ぶのだが・・・。

 夢かな?


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