医療分野のIT化と真の医療のありかたについて

March 10, 2009 – 4:35 pm

昨日(3月9日)の日経に「レセプト完全電子化を後退させるな」と銘打った社説がでていた。この社説では、医療分野のIT化を進め、医療の効率化を進めることが重要とし、とりわけ診療報酬の明細書(レセプト)の電子化は医療制度改革の柱と主張している。この主張、ちょっと読むともっともらしくみえる。しかし、主張の根底に、本来の医療のあるべき姿を十分に理解していない危うさを感じる。

日経の社説の主張は、IT化が遅れている分野の代表が医療だとし、レセプトの完全電子化に反対する流れに異議を唱えている。完全電子化の意義について、この社説では、次のようにのべている:

(レセプトの)完全電子化は必ず成し遂げるべき医療制度改革の柱である。請求事務の効率化や人件費の圧縮を通じ、国民医療費の増大を抑えるのに役立つからだ。電子請求があまねく行き渡れば、病気の種類ごとに治療方法を標準化する作業にも弾みがつく。
 さらに医療機関が診療報酬を請求する過程が健保組合や患者本人ガラス張りになり、過大請求や不正請求があった場合は即座に見抜けるようになる。一部の医療関係者に根強い反対論の根っこに、ガラス張り請求への抵抗があるのだろうか。

ここで、私が疑問を感じる部分は、電子請求の普及により「病気の種類ごとに治療方法を標準化する作業に弾みがつく」という部分だ。「治療方法の標準化」なるものが、そんなに簡単に議論できることなのか?という疑問だ。

「病気の種類」と「治療法」は一対一?: 実は、私、数年前に9ヶ月にわたって入院治療を受けた経験がある。このときの経験から、安易に「病気の種類ごとに治療方法を標準化」してはならないのではないかと考えている。病気を患ったとき、当然のことながらいろいろ自ら調べた。調べたなかのひとつに、米国の公的機関が公表している医療データベース情報がある。そこには、私の病気は、「致死性(fatal)で治癒不可(incurable)」と分類されていた。生存期間は平均で3年となっていた。

幸いなことに、入院治療開始時から4年が経過した、現在、治療のおかげで(定期的な検査を除けば)何の問題もなく日常生活をおくることができている。どうして、ここまで回復することができたのか?ひとつは、医療技術、医薬品の著しい進歩である。さらには、こうした医療技術、医薬品の進歩を、把握し、それを的確に臨床の場に適用してくれた私の主治医のおかげである。私にとって、主治医はまさに名医、命の恩人である。

さて、私に施された治療は、「標準治療」の範囲におさまるのであろうか?基本的には、「標準的な」治療を施しながら、患者である私の状態が持つ特殊な条件を見定める「特別の」治療が行われたものと理解している。別な言い方をするなら、我が主治医、医療保険制度の制約のなかで、ぎりぎりのところで、かなりの工夫をしながら最善の治療を施してくれたのだ。

ITによる効率化は、医療分野に限らず、非常に強力で、さらに推し進めなくてはならないものであろう。私自身、IT化推進論者だと自負している。しかし、なにかをIT化しようとすると、『定型化』あるいは『標準化』という手続きがかならず必要になる。こうした『定型化』、『標準化』が容易に行えるものについては、IT化は威力を発揮する。制度設計も比較的簡単だ。

医療分野についてはどうだろう?私は、同じ種類の病気も千差万別なのではないかと考える。千差万別であるからこそ、医者という専門家をわれわれは必要にしているのではないか。『定型化』、『標準化』が安易にできるものなら、「病気の種類で治療方法が標準化」できるなら医者という専門家は必要ない。医療分野は、IT化を行うにあたって、かなりの慎重さを要するものなのだ。

確かに「過大請求や不正請求」を行う医療従事者が存在することは否定できない事実であろう。こうしたこと、許されるべきではない。しかし、名医の得がたいスキルを『標準化』という名のもとに抹殺するようなことがあってはならない。

IT化はわれわれにとって「両刃の剣」だ。日経の社説氏の議論は、かなり乱暴に感じるのは私だけか?


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