なかにし礼著「生きる力」を読んでみた

February 23, 2013 – 5:24 pm

文化放送の「大竹まこととゴールデンラジオ」にゲストとして、なかにし礼さんがでていた。そのなかで、ご自身の食道がん克服について話されていた。この話、「生きる力」(講談社刊)にまとめられているという。
私自身、がんという病気を患った経験もある。なかにし礼さんの話、とても興味を持った。さっそく、この「生きる力」を読んでみた。
実に良い。

「生きる力」で主張されていること: 最初に、本書「生きる力」が主張している(と私の感じた)部分を転載させていただこう:

今現在のがん患者、今後がんになり得る可能性のある人、そういう人たちが意識すべきところは、人というのは、自分が患者になった途端に、自己の判断力や決断というものを放棄しがちなものだが、自分が自分であることを決してやめてはいけない。もし自分でなくなったら、生きながらえたって意味がないではないか。自分、自分、かぎりなく自分中心であれ。(p.133)

そして、本書の最後の部分

がんという“死刑宣告”と、自分自身で行った調査とこだわりという闘いが一方であり、もう一方に、日本という国の英知が集まって最新先進のがん治療を脈々と手広くネットし、研究開発をつづけている志ある医師たちの力があった。それが手を結んでひとつの結果につながり、私は新たな命を与えられたのだ。
ありがとう日本!! Viva laVidalだ。(p.141)

ここに転載させていただいた二つの部分、私自身が受けた8年前のがん治療において実感したことが簡潔に表現されている。なかにし礼さんのようなプロの文筆家の手にかかると、私が治療中、そして治療終了後から現在までの思いがこのように表現されるのか、と思ったりもする。

私自身、がんであることが明らかになった病院に「見切り」をつけ、自らが納得するとした病院と医師を選んで、そこに我が命を託した。「自分中心」に決断し、判断し、その結果、今があると信じている。

俗な言い方になるのかもしれないが、治療にあたっては、「病気になっても、病人になってはいけない」と言い聞かせながら、がんという病に向き合ったとの自負がある。「自己の判断力や決断を放棄してはならない」のだ。

陽子線による放射線治療: 私、実は、大学で学んだのは「放射線物理学」である。大学院在学中、某大学病院における重粒子線治療の研究室への就職を勧められたこともある。もう、約40年位前の話だ。この治療のキーワードは、「ブラッグピーク」ということだろう。X線の照射に比べ、患部に選択的な照射が可能だ。そのあたりのメカニズムについても、「生きる力」のなかに記述されている。筆者が、患者として自らの受ける治療のなかみについて理解、納得のうえ、それを受けた様子がよくわかる。

陽子線あるいは重粒子線による放射線治療にかかわる研究の歴史はかなり長いものであるが、いまだ保険の適用外となっている。粒子線の加速器という大掛かりな装置を必要とする治療であり、費用が大変ということもあるかもしれないが、我が国の臨床としての放射線治療の遅れということもあるのだと、理解している。

常識的治療から先進的な陽子線による治療を受けるまでについて、本書に詳しく記されている。この推移、筆者の「常識」との闘いの記録といっていい。

本書では、まず、自身が食道がんを患っているところから始まる。「標準的な食道がん治療」として、医者から次のように説明される:

「まず一日でも早く抗がん剤でがんをたたく。次に手術でがんを除去する。最後は放射線を当ててがんの再発を防ぐ。たたく、切る、当てる、これががん治療の常識です」(p.55)

そして、早期の入院治療が勧められるなか、筆者の「持病」心臓疾患という治療上の制約から、自ら「医師を探すという自由をひとまず取り戻す」。このなかで、常識的な食道がん治療に対する疑問を持つにいたる。

・・・たいていは患部の切除は九五パーセントまでしかできず、残りの五パーセントは術後、放射線や抗がん剤で“たたく”ことで治す。心臓への心配に加え、こうした事実も私が切ることに抵抗を感じていた理由だった。こうした思いを専門家である医者たちは、誰よりも理解してくれるはずだと私は思っていた。だから、ここに至るまでの経緯は、私の身体の状態をきちんと理解してくれた上で、共にがんと闘ってくれる医者を探すという、いわば医者めぐりだった。だが、医者たちはことごとく私の意見を聞こうとせず、彼らだけの論理で事を運ぼうとしつづけている。
・・・
「いったい患者は誰なんです」
私は繰り返される茶番のような会話の中で、こう思った。(pp.74-75)

私は父親を食道がんで失っている。12時間にも及ぶ大手術を受け、患部を切除したのであるが、術後、1年半後に亡くなった。もう40年近く前の話であり、当時、最後の5%を「放射線や抗がん剤でたたく」という治療も不十分だったように記憶している。たとえ、そうした「たたく」治療を受けていたとしても、結果に大きな違いはなかったと推察する。

どの医者も同じ答え、「たたく、切る、当てる」であった、という。そのあたりの医療のありかたについて、筆者は次のように言う:

 こういう一種の官僚組織というか、医療の常識というのは長年かかって培われたものだから、完璧に浸透していて、個人の力でそれを押し開こうとしても、それは大変なことなんだということを実感した。切らない方法を望むこと自体が、よそ者の考えとして扱われたのだ。(p.78)

こうした医療の常識にとらわれず「切らずに治すがんの治療法を探索」するなかで、筆者は「陽子線による治療法」が存在することを見出す。インターネット上の情報の海のなかから「陽子線による治療法」の存在を見出す。

そして、陽子線治療の結果、寛解(CR(Complete Remission))。一命をとりとめることになる。

本書を読み終えて、我々が、がんという病に向き合ううえでの筆者からの重要なメッセージ、「自分、自分、かぎりなく自分中心であれ。」、まったく同感した次第。


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