「東海村・村長の『脱原発』論」を読んでみた

November 14, 2013 – 4:40 pm

本書の著者のひとり村上達也さんは今年の8月まで四期16年にわたって、我が国の原子力発祥の地、東海村の村長を務められていた。この原子力の村の村長さん、福島第一事故の後、「脱原発をめざす首長会議」の旗振り役になって「脱原発」を訴えていたことでも有名だ。
本書は原子力の村の首長でありながら「脱原発」を訴える村上達也元村長に対しジャーナリスト神保哲生が聞き手としてその想いをインタビューしたものだ。福島第一事故後、数多くの「脱原発」あるいは「反原発」の著作に接しってきたが、この書は、私にとって、最も説得力のあるもののひとつと感じた。
今、原子力問題を考えるうえで、必読の書ともいえるのではないか、と思う。

原子力の村の住民として本書を読む: 私自身、「原子力発祥の地」東海村の住民だ。そして、30年にわたり原子力の研究機関にお世話になった。7年前にこの研究機関を退職したのであるが、その後も東海村に居住している。村上村政とは、その任期中ずっと住民の立場で接したことになる。

東海村は、原子力マネーのおかげで豊かな村と言われる。住民として、その豊かさを実感しているのかと問われるても、余りそうした実感は持っていない。

コミュニティセンターと呼ばれる公民館の立派なものが村の中にいくつもあるとか、立派な図書館があるとか、道路がよく整備されているとか、はたまた村という名前からは想像できないような立派な村役場があるとか、原子力マネーがあればこそ、という施設は村のなかに数多くあることはある。しかし、それが住民のひとりとして、豊かさを実感させるものであるかと問われると、首をひねってしまう。

我が家は東海第二原子力発電所からわずか二キロ半の距離しかない。東海第二に福島第一なみの事故がおきることになれば、我が家を失うことになるのは明白だ。国とか原電がきちんと補償をしてくれるのか、といっても福島第一の状況をみるとほとんど期待できない。

そういう想いで、本書を読むと、「脱原発」を主張する村上村長の立場そしてその主張は私の想いと一致するところが多いことに気付く。

原発マネーにより立地地域の価値観、文化は消えていく: 「原子力発電所を誘致して、原子力発電所を中心にした地域づくりというものに未来はない」、「原発に依存した地域発展というのは一炊の夢でしかない」(p.22)と、村上村長は言い切る。

原発を誘致し、原発マネーに潤うということがどういうことであるのか、そしてその結末は・・・。村上村長は,「原発ほどにカネをもってきてくれるものはない」としながら、その構造的欠陥について次のように述べる(以下、対談の部分を村上村長の発言だけを抜き出すかたちで編集している):

・・・結局、原発はカネを持ってきてはくれますが、地域経済のすべての要素を吸い取ってしまう。原発関連一色に染めてしまって、自立する力を奪う。しかし、福島第一の事故ではっきりしたように、原発の見せる甘い夢は、いつまでも続くものではない。
 当然、最初にくるときはいい顔をして、たくさんの電源交付金とたくさんの償却資産税を持ってくる。でもたとえば、その償却資産税というのは、事故なんかなくたってどんどん減っていく。
 だから原発が建った当初はいいが、時間の経過とともにひもじくなっていく。原発ができて一〇年、一五年が経つと、その地域はもうそれだけで窮してくるわけです。自分でカネを稼ぐことを忘れて、ドバドバとカネが入ってくる状況に慣れてしまうから。
 ・・・・
 原発が一基あったら、その運営会社が直接雇う社員は、せいぜい三〇〇人くらい。そこにさらに、たとえばメンテナンス会社といった下請け企業があるわけですが、最初の一次下請けというのは電力会社の関係会社、あとは原発をつくった電機メーカーや建設会社ですよね。それでその下に三次下請け、四次下請け、五次下請けと企業が連なっていくわけです。
 こうして見てみると、一次、二次、三次下請けくらいまでは、必ずしも地域産業ではないんですよね。東京に本社があったりして、そこから社員が派遣されてきている。
 ・・・
 だから、それらの大手企業から立地自治体にやってくる人が、一〇〇〇名くらいになるわけですよ。現地で採用される人もいないではないが、必ずしも地域産業が形成されるわけではない。人口が増えると言っても、直接にはその程度なのです。
 むしろ地域産業として増えるのは、作業員が泊まる宿屋とか飲み屋になる。
 ・・・
 飲食と、タクシーだとか、そいうのはありますがね。あとは納入業者になればちょっとは飴をしゃぶらせてくれる程度で。決して自立型の産業構造はできない。(pp.189-192)

そして、

 原発に依存することで、そういう(原発を頂点とする)封建体制のようなものができて、結局個人としての誇りとか自由、あるいは地域の文化、価値観、そういうものが消えていく(p.197)

と言い切る。

東海第二原発は再稼働させてはならない: 2年半前の東日本大震災の際、福島第一原発だけでなく東海第二原発も危機的な状況にあったことが後に明らかになった。東海第二原発が大事故に至らなかったのは、幸運なことが重なったものと理解している。しかし、原発を運営・運転する日本原電はその再稼働に向けて準備を進めているようである。

私は、東海村の住民として、東海第二原発の再稼働には強く反対する。させてはならない、との思いを強く持っている。

村上村長は東海第二原発の再稼働問題について次のように述べている(対談形式になっている部分を村上村長の発言の部分のみで編集しなおしている):

 私はなんにしろ、原電が東海第二を再稼働することについては、とても賛成できないですよ。
 ・・・現在、新しい原子力防災計画というのを立てていますがね。これは原発から三〇キロ圏内、つまりUPZ(緊急時防護措置準備区域)圏内の各市町村がつくるものです。
 東海村でも一応、新しい計画を立てたんです。東海村地域防災計画が、前からあるにはありまひたからね。それで、新しいUPZの定義と、三・一一の経験を踏まえた計画に改定したわけです。
 ところが、この三〇キロ圏内というのは、茨城県では一四市町村の、住民九四万人が対象になりますが、避難計画の部分がつくれないという市町村が大部分なんですよ。東海村ももちろん、避難計画が立てられない状態です。
 ・・・
 行き先も移動手段も、一応は計画を文章に書けば書けるでしょうけれども、絵に描いた餅です。実際、そのとおりに住民を動かせるわけがない。
 いまだ厳密なシミュレーションはやってませんけれども、東海村には何万台の車があって、道路のキャパシティがどうで、これだけ動かすと何時間かかるとか、ガソリンがこれだけいるとか、そこまではまだ計算していない。しかも、我々が避難するとしたら三〇キロ圏外に出てハイおしまいとはならないですね。一〇〇キロか、それ以上を考えておかなければならないとなると、茨城県内では収まらない。
 前にも言いましたが、東海第二の周囲、三〇キロ圏だけで、およそ一〇〇万人ですよ。居住人口は九〇万人超だけれど、ここは工業地帯だから勤め人も多い。
 一〇〇万人以上を、一斉に短期間で一〇〇キロ以上避難させる計画なんて、考えること自体がナンセンスでしょう。よしんば二、三日時間があったとしても、あるいは一週間時間があったとしても、その人たちが移動するということは、まあできないでしょうね。スターリングラード攻防戦ぐらいのことを考えなくてはね。(pp.144-146)

東海第二原発での事故を想定して避難計画をたてようにも実効的な計画はたてることはできないというのである。東海第二は、日本のなかで最も人口密度が高いところに存在する原発なのである。これひとつとっても、東海第二原発を再稼働させようとするのは全くもって無責任な態度といえるだろう。

実効的な避難計画が策定できないということに加え、福島第一事故後の住民に対する補償実態を考えるとき、東海第二原発においては補償額は天文学的なものとなり、我が国の滅亡にもつながるとしか考えようがない。

東海村の未来と原子力: 「脱原発」は当然としても、その道を歩もうとするとき、さまざまな課題が浮かび上がってくる。取り組まねばならない課題のうち、村上村長は、使用済み燃料の取扱いそして廃炉により発生する放射性廃棄物について興味深い主張をしている。

この主張の背景には、東海村が他の原発立地自治体にはないユニークな特徴を持っていることがあげられる。すなわち、「原子力産業に依存しているとはいえ、すべてが原発関連ということではなく、研究所が多い」という特徴である。

  • 核燃サイクルの見直し問題に・・:福島第一事故のあと、我が国の核燃サイクルの見直そうということになった。核燃サイクルを見直すことになると、六ヶ所村の核燃料再処理工場の廃止も日程にのぼらざるをえない。六ヶ所村には再処理工場の稼働を前提に日本中の原発で発生した使用済み核燃料が貯蔵されている。ここで、六ヶ所村、再処理工場を稼働させないなら使用済み核燃料は引き取れ、と主張したという。結果、核燃サイクルの見直しの議論すらできなくなってしまったようだ。

    この使用済み核燃料について村上村長、実に明快な主張を展開する。かなり長くなるが、関連する部分を以下に抜粋、引用しておく:

    村上 使用済み核燃料については、私は割と明確な考えがあるんですよ。青森のほうで、再処理をやめるなら使用済み核燃料を全部持っていけ、返還すると言うならば、私はもともとそのゴミを出したところで引き受ければいいと思うのです。
    神保 それはつまり、原発の立地自治体がそれぞれ引き受けるという意味ですか。
    村上 そうです。同じような考え方の首長は、私以外にもいるようですけどもね。最終処分場を引き受けるとは言いませんが、少なくとも中間貯蔵施設をつくって引き受ける覚悟はある。
     もともと再処理なんていうのは、一度もうまくいったことがない。我々、立地自治体はそれを見ていながら、全量再処理しますから、うちにはゴミは溜まりません。持ち出しますと、住民や周辺自治体にもいい顔をしていたわけですよ。
    神保 そうですね。
    村上 でも、そのこと自体がおかしかった。私は、東海村は引き受けるというスタンスです。自分のところで出したのだから、戻してくださいよと。
     青森から使用済み核燃料を戻されたら困るから、脱原発できないなんて考え方は、私としてはとっていません。引き受ける覚悟はあるから、問題意識はもはや、具体的な保管方法に移っていますね。
    神保 それは中間貯蔵ということですか。
    村上 福島第一の四号機を見てもわかりますが、プールに保管するというのは危なくてしょうがないでしょう。水に漬けるのではなて、乾式貯蔵という形にしてもらいたいとは思います。
     この門ぢがきな臭いのは、言い方は大変わるいのですが、構図として結局、原発施設を受け入れている青森県内の市町村が使用済み核燃料を人質にしてカネをもらうような形になってしまっているからでしょう。それは先ほども言ったように、原発や原子力関連施設が、もうその地域の社会・経済を飲み込んでしまっているから、そうならざるをえない。
     当事者としたら、原子力で金がもらえなくなったら、万策尽きてしまうというようなきもちがあるのだと思うのです。だから、いざ我々が、「戻してください」と言ったら、むしろ困ることになるんじゃないかな。
     それで事態が複雑化しているんだけれども、私は、東海村に戻してもらって、原発のサイト内に全部乾式貯蔵をしようと思っています。それには実際には時間がかかるようですが、使用済み燃料をキャスクという容器に入れる工程に時間がかかるということで、
    神保 村長ははっきりと、使用済み核燃料を東海村で引き受けるとおっさhっているわけですけれども、村長のご意向がそうだとしても、東海村の政治状況は受け入れが可能な状況にあるのですか。
    村上 私は、可能だと思いますよ。というのは、東海村では現実に、すでに乾式貯蔵をやっているんです。東海第二の中に、乾式貯蔵施設というのがありまして。ここには、私が村長になったころから乾式貯蔵をしています。保管しても安全であるということは、私も自分の言葉で住民に説明できると思いますね。
    神保 現在でも乾式貯蔵をされているということですが、現状として東海第二には、今のところどれくらいの使用済み核燃料が保管されているんですか。
    村上 福島第一の四号機のプールに入っていたのが一五〇〇体で、大変だと言ってましたが、東海第二のプールには二二〇二体もあるんですよ。
    神保 福島第一の四号機の一・五倍ですね。
    村上 それから、先ほどの乾式貯蔵で、キャスクという話がでましたが、これは特殊なタルのようなもので、一基当たり六一体の燃料棒が入るんですね。それが一七基あって、一〇二〇体になります。これが、今、東海村にあって、空気でひやしているということですね。
    神保 容器に入っているからといって、エネルギーを出し切っているわけでもともはないんですよね。まだまだ冷やさなければならない。
    村上 ええ、電気で空気を送って冷やしていますから、それがストップすれば、また熱を持ってきて、溶け出してという可能性はゼロではない。
     ただ、電気が止まってからも相当な時間的な余裕はある。プールに入れておいて、水がこぼれたら危ないというのとは、断然違いますよ。
    (pp.132-136)

    実に明快ではないか。

    福島第一事故の際には、四号炉のプールに貯蔵されていた使用済み燃料が溶け、裸同然の状態にある使用済み燃料からの放射性物質が周辺に飛散する恐怖にさらされたのは記憶にあたらしい。2年半以上経って、やっとプールからの核燃料の取り出しが開始されようとされているところだ。

    ここで議論されている使用済み核燃料の乾式貯蔵が中間貯蔵という意味で一つの技術的な解を与えるものと期待される。東海村には日本原電の広大な敷地もある。村上村長が、乾式貯蔵の可能性を検討されていたなんてのは、ある意味驚いた。たいしたものだ。
     

  • 廃炉による放射性廃棄物処理と東海村の未来: 廃炉に伴う廃棄物の処理をどうするか?実に難問だ。現在、東海原発では一号炉の廃炉が進められている。この廃炉の経験から廃炉に伴うさまざまな課題も浮き彫りになってきている。そのあたり、村上村長は、東海村の未来とのかかわりも含めて議論している。長くなるが、以下に、関連部分を抜粋しておく:

    村上 東海第一の廃炉について言いますと、もともと東海第一の使用済み核燃料はすべて、イギリスが持ち帰っているので、サイト内にはありません。
     しかし、一九九八年から廃炉作業を始めて、たしかに今、壁にぶち当たっているんですね。原発は段階的に、外側の放射線のレベルが低い部分から壊していくのです。その作業が進んで、今、いよいよ炉心部分の解体に入っている。圧力容器とか、そのあたりですね。
     このゴミは、公の分類では低レベル放射性廃棄物の一種ということになっているんですが、その中ではいちばん高いレベルの放射性廃棄物で、L1に分類されます。
     L1に分類されるものは結局、高レベル放射性廃棄物と同じように、地下深くに保管をしなくてはならないという代物なのです。だから、高レベル廃棄物の保管場所が決まらないと、本格的な解体に入れないということなのです。
    神保 要するに、炉心部分を分解したら、とにかくどこかに持っていかなくちゃいけないが、その行き先がないわけですね。
    村上 そうそう、それは東海村では困るんですよ。原発をつくるときから、このゴミは東海村にはおいておかない、という約束ではじめていますので。(p.157)

    放射性廃棄物の行き先ひとつをとっても大きな問題だ。そこで、村上村長は、東海村を「安全に廃炉を実行していく」ための技術開発の拠点としていきたいと主張する。

    村上 ・・・さらに現実問題、今日本で初めて廃炉をしようとしている我々に言わせれば、廃炉しようにもゴミの行き場はないのです。
     これを解決する方法はないのか。安全に核のゴミを処理しながら、廃炉を進める方法はないのか。そういう疑問があるからこそ、先ほど触れた、東海村を新しい原子力の研究拠点にするという考えに至った部分もあるんですね。
    神保 つまり、実際に日本で最初に廃炉になる原発を使って、廃炉技術を確立するということですか。
    村上 それこそ、ここでしかできない研究だし、まさに東海村の個性でしょう。
     原発反対と言っても、原子力に関するすべての科学技術を捨てるわけではない、というのはまさにそういうことですよ。
     脱原発を謳って、それを実現するためには、まずある程度、自分で核のゴミを引き受ける覚悟がいる。それから、安全に廃炉を実行していく技術がいる。その技術開発の拠点に、東海村をしていきたい。
     これが、私が描いている東海村の未来像なのです。(p.141-142)

    なるほどと思わせる。

村上村長退任のあとの東海村は?: 本書を読み進めると、東海村に居住し、原子力関連の研究機関に勤務していたにも関わらず、知らないことが多く進んでいたことをあらためて知った。東海村にとって、村上村長は、非常に大きな役割を果たされたことを理解した。

さて、この9月に、村上さんは村長を退任された。新たに選出された村長は、これまで副村長として村上さんを支えてきたかたのようだ。

村上村長が主張した「脱原発」の方向は、新村長のもと、どのようになって行くのか、一村民として注目して行きたいものだ。


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  2. Oct 12, 2014: 3年前のニュース:東海村村長、東海第二原発廃炉求める | Yama's Memorandum

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