休日革命?- 民主党政権はまじめに政治をする気があるの!

March 4, 2010 – 6:04 pm

テレビのニュースを見ていたらあの辻元清美がニコニコしている。今度は何をやらかすんだと思ったら、「大型連休を地域ごとにずらす法案」を検討しているという。全く何を考えているのだろう。まじめに日本の未来を考えているとはとても思えない。民主党政権はまじめに政治をする気がないな、と思ってしまう。

NIKKEI NETに、冒頭で触れた辻元清美のニコニコしている会議のことがでていた。「春と秋の連休、地域ごとに分散 政府試案、経済会から異論も」という記事だ。以下、引用:

政府の観光立国推進本部(本部長・前原誠司国土交通省)は3日の作業部会で、春と秋の大型連休を地域ごとに分散する試案を提示した。渋滞・混雑を緩和することで観光需要を掘り起こし、消費・雇用を喚起するのが狙い。ただ経済界などから一律の適用には異論もあり実現は不透明だ。 ・・・

ここに書かれている作業部会というのは「休暇分散化ワーキングチーム」の会議をさしているのだろう。

国民の祝日とは何か: 国民の祝日というのは、「国民の祝日に関する法律」で次のように定められている:

第一条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりより社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民がこぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

とし、

第三条 「国民の祝日」は、休日とする。

と定められている。この法律を読む限り、「国民の祝日」は、「国民がこぞって祝い、感謝し、又は記念する日」とし、こうした祝日を休日として、国民全体でその意義を考えようというものであろう。

ところが、今回、検討している「休暇分散化」案では、これまでの祝日を記念日というかたちにし、休日とはせず、その代わりに同じ休日数を各地域ブロック別にわりあてよう、ということらしい。一応、祝日は「記念日」として残すが、休みは別にしようという、「国民の祝日」の精神をないがしろにするもののようである。

随分、昔の話になるが、2月11日を建国記念日として祝日になったとき、青島幸雄が「休みが増えるからいいんじゃない」なんてふとどきな発言をしたように記憶している。今回の案は、この青島幸男のロジックに良く似ている。「国民がこぞって祝い、感謝し、又は記念する日」として建国記念日がふさわしいかどうかという議論を棚にあげ、「休みが増えればいいじゃないか」というのと同じようなものだ。

日本という国のあり方を考える貴重な祝日を単なる休日と同じ線で考えるというのは、なんとも節操のない考えではないか。辻元清美あたりがはしゃぐのはいいが、民主党政権全体がこんな調子だとがっかりする。怒りすら感じるのは私ひとりか!

休暇分散化により引き起こされる無用な混乱: この休暇分散化がかりに実行されることになると、かなりの混乱が予想される。身近なところで具体的に考えてみよう。

さまざまの公的サービスが日曜、祝祭日は休みとなっている。たとえば、銀行での振込み、あるいは決算を考えてみれがいい。インターネット通販などが一般的になっている今、振込み・決済をするのを地域別にするわけにはいかないのである。結局、銀行といった公的なサービスをする銀行のようなところは、いままであった大型連休中、ずっと業務を続けなければならないということになる。結局、大型連休は、形骸化してしまうということになってしまう。

それにもうひとつ、かなりの数の単身赴任者が世の中にいる。こうしたひとたちにとって、大型連休は家族と過ごすことのできる数少ない期間なのである。休暇を分散化してしまうと、かなりの単身赴任者の休日と、家族の休日が異なる事態が発生するに違いない。休暇分散化というのは、こうした単身赴任者を抱える家族の楽しみを奪うことになるのである。

そのほか、この分散化で惹き起こされる混乱は数多く考えられる。とんでもない計画なのである。

今、国交省がやるべきことは、こんなわけのわからない会議にうつつをぬかすことではないはずだ。以前、我がブログで取り上げた「高速道路無料化」の話(「高速道路無料化はいい政策なんじゃない」)はどうなったのか。尻つぼみになってしまっているじゃないか。日航建て直しという問題どうするのか。八つ場ダムの問題をどうするのか。問題は山積しているのである。

馬鹿な話にうつつをぬかさないで、少しまじめにやったらどうだろう。民主党の支持率の低下は、単に「政治と金」の問題に限らないのである。その不真面目さに、国民は、嫌気がさしているのである。少なくとも、私は、民主党のいい加減さには、怒りすら感じている。


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