児玉龍彦著 「放射能は取り除ける」を読んでみた

March 19, 2014 – 3:26 pm

東日本大地震そして福島第一原発事故の発生から3年が経過した。3年という月日が経過したいまでも、大地震の爪痕は残る。とりわけ原発事故発生により故郷を追われた周辺住民の生活再建に目途が立たないという現実がある。

今、放射能汚染された地域の「除染」をどのように進めるかということが最も大きな課題のひとつとなっている。「除染」により、放射能が大量にまき散らされた福島の地を再び居住可能な地域として再生することができるのか? 難しい課題だ。

近所の公営の図書館で、「放射能は取り除ける‐本当に役立つ除染の科学‐」を見かけた。実に勇ましいタイトルだ。汚染地域の除染は可能と主張しているように思った。さっそく読んでみた。

私の読後感: 本書の著者、児玉龍彦は福島原発後の国会証言で有名な研究者だ。本書の裏表紙に、この国会証言とともに、「震災直後から、南相馬市を中心に福島の除染活動に携わる。・・・現在も、南相馬市除染推進委員長として、現地での除染活動にあたる。」と紹介されている。

本書は、著者が南相馬市において指揮指導した除染活動のなかで、実践、着想した除染のあり方について記したものだ。彼自身の覚書をコンパイルしたものといっても良いように感じた。本書の記述には、著者自身が十分に消化吟味しきれていない主張を押し出しているのではないかと思える部分も多々あるように思う。

正直なところ、著者の思いの強さは感じるものの、除染作業を実効的なものにするための方策・道筋が伝わってこないと感じた。うがった見方になるのかもしれないが、本書の著者はこれまでに蓄積されてきた放射線防護にかかわる諸々の知見に無理解なまま、あるいはそういったものを十分に吟味することなく、強引な議論を展開しているような印象さえ受ける。本書を通じた私の正直な感想だ。

本書に除染の処方箋を見いだせたか?: 本書で扱われる課題について、序章でつぎのように述べる:

放射性物質の流れをよく調べ、メカニズムを知り、その上で、最小のエネルギーで除去効率を最大にする。除染には、熱力学の第二法則を理解して技術を生み出すという知恵がいる。
・・・
あまりに膨大な量の放射性物質の汚染をみると、「除染は無理ではないか」と考えてしまいがちである。「絶対、避難」という意見と、「気にしなければ大丈夫」という意見は、一見対立しているようだが、どちらも、除染にかかる膨大な時間とコストに立ちすくみ、散ったものはもとに戻らないという、「除染は不可能」という見かけの理解から生まれている。
正確な情報をもとに、どこまで環境回復ができるのか、森と水と土をどこまで取り戻せるのかを丁寧に考える。住民が一致して取り組み、日本中の、世界中の心ある人々がそれを応援する。そうした可能性をみいだすことが必要だ。それが、この本の課題である。(pp.28-29)

では、この課題は、本書でどこまで議論されつくすことができたのか?本書のタイトルで謳われている「放射能は取り除ける」という結論にいたったのであろうか?

残念ながら、私には、本書を手にとるまえに期待した明確なその「処方箋」を手に入れることはできなかった。

本書は、次のように締めくくられている:

除染もやみくもに行うのでなく、ガンマカメラなどによって汚染状況を可視化し、最小の労力で最大の成果を上げるべきである。指標はまず除去した「ベクレル数」であり、空間線量「シーベルト」はその結果であることを理解して、除染の計画を立てていく。
これらの情報をもとに、福島の森と水と土を取り戻す。国民が、覚悟と決意を持って、現実を変えることがもとめらているのである。(p.256)

それはそうなんですけどね。という程度の感想になってしまった。

どうも受け入れることのできない本書の記述 いろいろ: 本書には、私にとって、なんとも受け入れることができない「主張」、あるいは「記述」が散見される。以下に、そうした部分を抜粋しておいた: 

  • 除染で生じた放射性廃棄物の保管場を東京に?

    かって安全というなら原発は東京にという議論があったが、現実には採用されていない。電力の消費地である東京は安全と快適さを手に入れ、原発は福島と新潟につくられた。・・・
    だが(除染で生じる放射性廃棄物の(筆者追加))保管場については、それなりのコストかけ、きちんとした管理体制をつくれば、十分な安全性を担保するのは可能である。そういう意味では、放射性廃棄物を生みだした電力を使った東京に、その立地を担う責任はないのであろうか。東京に保管することで、安全性の確保についての問題が、より広く国民に認識されることはないであろうか。(pp.232-233)

  • 事故発生とその経緯について大雑把で誤解を生みやすい表現が目立つ。例えば、一号炉が水素爆発に至る経緯について次のような記述。

    格納容器にたまっていた水素を外に逃がすためにベントが行われていたのだが、配管が壊れていたために漏れて建屋にたまり、水素爆発を起こしたのである。(p.39)

    なんとも私には理解できない。ベントは水素を外に逃すために行われたものではなく、格納容器を減圧をするために行われていたと、私は、理解している。

  • 放射線の量の単位はベクレル? 上述した最終章の「ベクレル数」の議論につながるのではあるが・・・

    放射線の量を測る物理学の単位はベクレルである。この総量でみると、福島の事故は、これまで史上最大だったチェルノブイリを超えている。・・・(p.13)

    これって、かなり一面的な認識なのではないのだろうか?

  • 単なる誤植?ヨウ素の質料数は53?

    放射性のセシウムやヨウ素は、普通のセシウムやヨウ素と異なる質量数を持ち、その数字をつけて、ヨウ素131とかセシウム137と呼ばれる。ちなみに、普通のヨウ素の質量数は53なので、非常に大きく不安定であることがわかるだろう。(p.32)

  • 一体何がいいたいのだろう?よく分からない?:

    希ガスの中心を占めていたキセノン133は、ベントにより原子炉内にあったほぼ100%が放出され、その量は、セシウムやヨウ素より多い。キセノン133はベータ線を出すので、肺に吸収されたりして体内に入ると危険である。半減期が5日と短いため、当初どの程度被曝があったかは明らかではない。スリーマイルアイランドやチェルノブイリは原発1基の事故だったのに対し、福島第一原発では、3基の原子炉でベントが行われ、空気中に放出された放射線量は、歴史上最大となった。ベクレル数で示すと、過去最大だったチェルノブイリの3倍になる。これは、チェルノブイリのヨウ素131の10倍のベクレル数のキセノン133が放出されているためである。(p.52)

  • プルトニウムの毒性は中性子を放出することにある?:

    中性子線の遮蔽は非常に難しい。しかもJCO事故などのように、中性子線を多量にあびると予後は非常に悪い。・・・ 福島原発の事故で不幸中の幸いだったのは、原発からやや離れた地域では、中性子線を出すプルトニウムの濃度が低く、中性子線の影響が問題にならないレベルだったことである。(p.221)

以上、もっと緻密な議論が必要なのでは、なんて思ってしまう。

    


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