Study2007著「見捨てられた初期被曝」を読んでみた

September 18, 2015 – 12:22 am

福島第一原発の事故から4年半が経過した。各地で原子炉の再稼働が進められようとしている今、あの事故から、我々は、どのような教訓を汲み取るべきか問われている。

本書は、事故時そしてその後4年間にわたり政府、自治体が、放射線被ばくから住民を防護するため対応してきた措置、そして将来の防護方策を立案するためにとってきた動きについて、検討、批判を加えている。こうした措置、立案が、真摯に住民を事故から防護しようとするものでなく、むしろ事故以前に確立されていた放射線被ばく防護のありかたを劣化・変質させることに寄与していることを主張・告発する。

本書の主張がベースとするロジックには、私にとって、理解不能な部分も多々ある。しかし、原子力発電所にひとたび大きな事故が発生してしまうと、住民を放射線から防護することは著しく困難なことになるとの認識は、私も理解・共有することができる。

時間をかけて読み終えたということで、私の読後感も含めて簡単にメモしておくことにした。

著者「Study2007」とは?
本書の最後に添えられているコラム「Study2007と被ばく」によると、本書の著者名「Study2007」は著者自身の立ち上げたブログのIDだという。これを著者はペンネームとしているという。このコラムによると、著者は次のような人物だという:

  • 茨城県在住の原子核の実験的研究を行なう研究者である
  • 原子力、放射線について、原子核物理の研究者としての認識を有する
  • がん患者(肺がん罹患し治療中)であり、知人、周辺のがん患者の悲惨さに強い思いをもっている
  • 放射線を扱う実験的研究に携わった経験から放射線防護について多少の見識を持つ

本書の著者の主張と思われるところ
私にとり、本書の構成、論点を正確に把握することは容易いことではなかった。少しでも正確に把握したいということで、繰り返し読み直し、理解しようと努力した。どうやら著者が主張するのはこのあたりにまとめられているのかなと思う部分があったので、それをメモしておくことにした。

以下に、その部分(第5章「神話のままの被ばく防護」の小見出し「新たな安全神話」の冒頭のパラグラフ(p.96))を転載する。なお、転載にあたっては、私自身の理解を助けるために補足・修正している。

2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所によって「過酷事故は起きない」、「5重の防護」といった旧来の安全神話は完全に崩壊しました。当然のことながら、その安全審査にもとづいた事故対策や住民防護はまったく機能しませんでした。

(そればかりではなく)今回の事故では、事故後わずか数日で(、事故対策や住民防護を行うために設定されていたはずの)基準値のほうを引き上げ(緩和してしまい)、「問題はなかった」とする新たな安全審査が発明されました。

(そこでは、)本来、安全の根拠として社会や政策を支えていたはずの科学は放棄され、行政によって選任された「専門家」が見かけだけの「安心」を会議室で創作するようになりました。

こうした、(みかけだけの「安心」は、)100mSv(以下の被ばくによる健康影響はないとか)、(スクリーニング検査を緩和した)基準値(に基づいて行うとか)、(食品の汚染度測定に際して)検出下限値(を置くとか)、(さらには放射能汚染の分布とは、本来、関係ない行政区画である)県境(といったものにより持ち込まれました。こういった)「安心のしきい値」(とでもいうものが)、マスコミや一部の学者を通じて広く社会に流布され続けています。それは原発や放射能の危険性を覆い隠すとともに、原発被害と再稼働を受忍させる土台となり、新たな安全神話にもとづいた原子力災害対策指針がとりまとめられようとしています。

なお、上記転載するにあたって、オリジナルの文章を修正、補足した部分は( )で囲っておいた。また、転載部分は、オリジナルでは、単一のパラグラフであったが、複数パラグラフにしている。

私の立場と読後感
まず、私の原子力に対する立場を簡単に述べておこう。

私は、このブログのなかで折に触れて述べているように、原子炉を再稼働することに反対だ。

福島第一原子力発電所の事故の教訓は、「起きるはずはないとされていた大事故」が現実に発生することがあるということだ。ひとたび、このような事故が発生すると、東日本の全てが放射能まみれになってしまうという事実だ。

こういう事態を防ぐには、もはや、原子炉を再稼働しないことしかない、と考える。

私自身、短期間ではあったが、放射線管理業務に従事していたことがある。また、放射線取扱主任者の第一種免許も取得している。厳格なルールに基づいて放射線、放射能は管理しなければならないことは理解しているつもりだ。

しかし、福島第一発電所の事故により東日本一円にばらまかれた放射能は、これまで放射線管理業務で対象としていたような「管理された」ものではないことを想起すべきだ。これまで用いてきた放射線管理業務の常識は適用できない。

本書を読んだ感想は論点がどこにあるのか非常につかみにくかった、というところだろう。失礼ながら、あまりにも情緒的な記述が先行しており、何が主張されているのか理解できないところが多々あった。

原子力に反対する一種の告発本としてはわかるのだが、福島第一原発事故から教訓を得ようとする立場からは物足りないというのが正直な感想だ。


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