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	<title>Yama&#039;s Memorandum &#187; 科学・技術・社会そして科学論</title>
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	<description>自宅に立ち上げたプライベートサーバの構築・運用を中心に、さまざまの情報をメモっている</description>
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		<title>福島第一事故による放射線被曝をどう考えればよいか（その10）</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Feb 2012 01:31:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
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		<category><![CDATA[福島第一原発]]></category>

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		<description><![CDATA[昨日の東京新聞（２月１日朝刊）に「被ばく基準緩和　NHK番組　原発推進団体が抗議」なる記事がでていた。記事のリード文を以下転載： 　NHKが昨年末、国際的な低線量被ばくのリスク基準が政治的な判断で低く設定されたという内容の番組を放映したことに対し、原子力発電推進を訴える複数団体のメンバーらが「（番組内容には）誤りや論拠が不明な点、不都合な事実の隠蔽（いんぺい）がある」として、NHKに抗議文を送っていたことが分かった。 この抗議文、「NHK総合テレビ　追跡！真相ファイル番組（2011年12月28日放映）『低線量被ばく 揺らぐ国際基準』への抗議と要望について」と題するもので、全文ネット上に公表されている。この抗議文は、NHK松本正之会長あてに出されており、金子熊夫（エネルギー戦略研究会（EEE会議）会長）他2名が代表となり賛同者をあわせて総勢112名により送られている。 原子力業界では著名な人々が、代表／賛同者として名を連ねている。私を含めて、この業界で働いた経験を持つものであれば、誰もが名前を知っている方々だ。福島第一の事故から1年を経過しようとするこの時期に、こうした原子力業界に大きな影響力を持つ方々が声を大にして抗議しようとする事態は、尋常ではない。 抗議の対象とされているNHKの番組は、私自身も視聴していた。視聴した際の印象、表現は悪いが「トンデモ番組」の類といったところ。大NHKがこれでは困る、と確かに思った。この番組について学習院大学の田崎晴明さんが、かなり詳細に批判をしている。どちらかというと、私は、田崎さんの批判にうなずくところ大だ。 しかし！　抗議文に対する印象を述べさせていただくならば、抗議文に名前を連ねている原子力業界を代表する方々が、福島第一事故の発生に対してどのような立場をとられているのか不明なのは誠に残念だ。この方々、原子力業界の「重鎮」ではありそうだが、私の知る限り、かならずしも放射線の健康影響に詳しいかたがたではない。 番組内容にかなりの問題があることは理解できる。残念なことだ。しかし、だ。こうした「偏向」番組をすんなりと国民が受けいれるような雰囲気・状態、すなわち福島第一の大事故の発生という状態を作ったのは、ほかならぬ抗議文を送りつけた原子力業界の「重鎮」の皆様であったのではないか。 こうした抗議文を送りつける前に、原子力業界の「重鎮」の皆様による福島第一事故に対する深い反省と、原因を究明しようとする真摯な態度こそが必要なのではないか、と思うのである。 この抗議文を読めば読むほど脱原子力への思いを強くしてしまう。]]></description>
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		<title>飯田哲也×鎌仲ひとみ共著「今こそ、エネルギーシフト」を読んでみた</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 06:15:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
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		<category><![CDATA[飯田哲也]]></category>

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		<description><![CDATA[「今こそ、エネルギーシフト」と題する岩波ブックレットを読んでみた。このブックレット、『世界』２０１１年５月号掲載の対談「自然エネルギーの社会へ再帰しように大幅加筆をした」ものという。 飯田哲也の書籍については、「『原発社会からの離脱』を読んでみた」ことがある。本書「今こそ、エネルギーシフト」も、これと同じように、我が国のエネルギー源を原子力から再生可能なものに転換することを主張している。 このなかに、「『安全な稼働』はどこまで可能か」とサブタイトルした部分がある。これに書かれていること、大切な論点と感じた。 メモしておいた。 以下、抜粋： 「安全な稼働」はどこまで可能か 飯田　安全にやれば原発はまだ使えるのではないか、と思っている人は、基本的に次の三つのことを理解していないのではないでしょうか。 一つめは、先ほど鎌仲さんがおっしゃった経済的観点です。東京電力は原子炉一基あたり一二〇〇億円の保険にはいっていますが、これは自動車でいうところの自賠責保険です。アメリカでは事業者の負うべき損害賠償限度はおよそ八〇〇〇億円となっていますが、今回のような最悪規模の原発事故にあっては、基本的に原子力事業者には無限の賠償責任があると思います。しかし問題は、無限責任にした場合に、それを引き受けるような二次保険会社があるかどうか、ということです。実際、そんな保険会社があるとはとても思えない。つまり、今回の原発震災のような最悪の事故も含めて無限責任の損害賠償保険のコストを考えると、そもそも経済的に成立しないということです。 二つめに、日本の原子力発電所がこれから急激に減っていくという事実です。日本では、運転開始から四〇年経過した原子炉は、安全面を鑑みて順次停止されていくことになっています。それを踏まえると、日本の原発は、これから年を追って、稼働する原子炉が老朽化によって減っていきます。さらに、今回の大震災によって直接的なダメージを受けた原子炉は、当然のことながら廃炉にしなければならないでしょう。さらに、将来的にダメージを受ける可能性が極めて高い浜岡原発などは、運転の停止が必要です。 そうなると、日本の原発は一気に減っていく可能性がある。その事実を前提にしたうえで、日本のエネルギー政策は考えなければならないのです。なんとなくこれからも、総発電量の三割が原子力だ、とう状態がつづいていくのではないかと漠然と考えるのは、先の見通しができていないことに他なりません。 三つめに、日本のエネルギーの未来には、原子力以外に、極めて有力な選択肢があるということが知られていません。あたかも原子力以外には選択肢がないかのように、思わされてしまっている。そう考えるように、電力会社や御用学者が御用メディアを通じて誤った情報をまき散らしているのです。(pp.31-32) なるほど、と思わせる。 経済的には成立しない原子力：　抜粋した文書の第一の論点、原子力発電は「経済的には成立しない」というのは非常に重要な論点だ。今回の福島第一の事故で明らかになったことのひとつは、ひとたび原子力発電所で大きな事故が発生すると、誰もそれを賠償することができない規模になりうるということである。 原子力発電プラントは、開発された当初から、大きな原子力事故が発生すると無限責任の損害賠償保険を適用するのは不可能といわれてきた。この意味するところは、大量の放射能を環境に放出させるような事故の可能性が多少でも存在する場合には、この原子力発電という技術を採用してはならないということだ。誰も賠償できないような事故を発生させるような可能性がある技術に依拠するような社会は存在できない。 原子力発電所の老朽化問題：　「日本では、運転開始から四〇年経過した原子炉は、安全面を鑑みて順次停止」ということになっている。停止した発電プラントに代わるエネルギー源を何に求めるのかを考えなくてはならない。「より安全な原子炉」を新規に建設するのか、それとも脱原子量の道を歩むのか？　早晩、結論を出さねばならない。 原子力発電プラントの設計・開発・建設のサイクルは非常に長期にわたる。老朽化した原子炉に代わる新規の「より安全な」原子炉を建設しようとする場合、最先端の科学技術の成果を取り込むことが望まれるのであるが、原子力発電プラントのように設計・開発・建設サイクルが数十年の長期にわたるものには、今後10年、20年のレンジで期待される科学技術の進歩を取り込むことは困難と考える。原子力が、科学技術の最先端にあるように喧伝されることがあるが、その実相は、比較的ふるい技術を用いざるを得ないのだ。 ぼんやりとではあるが、新しいエネルギー源としては、新しい科学技術の成果を柔軟に取り込むことが可能な分散型システムといったものを指向するのが得策のように思う。]]></description>
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		<title>土井里紗著　「放射能に負けない体の作り方」を読んでみた</title>
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		<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 08:30:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
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		<description><![CDATA[福島第一事故のあと、放射線被曝による健康影響についての一般向けに書かれた書籍が数多く出版されている。そうした書籍のなかに、現在の放射線被曝に関わる法的基準の基礎となっているICRP（国際放射線防護委員会）の勧告を問題視するものも多い。こうした書籍が、子供の健康を心配する母親などを中心に読まれ、かなりの影響力を持っているようである。 こうした書籍のひとつで近所の公立図書館で見つけた土井里紗著「放射能に負けない体の作り方」を読んでみた。 本書の感想をひとことで述べると、この本、今回の原発事故に便乗した単なる「健康食品」本といったところだ。こうした本の出版に、原発事故と放射能の環境汚染による不安な心理に付け込んだ不真面目な商業主義的な意図(少なくとも出版社にそうした意図はあっただろう）を感じてしまう。 本書の構成・概要：　第１章「なぜ、放射線が体を蝕むのか」で、放射線の被曝について解説し、これに続く２章以降は「健康食品」の話にさかれている。放射線被曝について解説する部分にはICRPの成り立ち、そしてその原子力産業とのつながりが紹介され、ICRPなる組織、そしてその放射線防護の考えかたがひとを守るものになっていない、との著者の主張が述べられている。以下、抜粋。 ・・・ICRPの前身となったのは、第二次世界大戦下のアメリカの、原爆の製造・開発計画である「マンハッタン計画」に関わっていた物理学者たちが作った組織です。 戦後も核兵器や核爆弾が製造され続け、同時に原子爆弾の技術をエネルギーとして利用すべく原子力発電が開発されましたが、その原子力産業をサポートする形で存在していたのがICRPなのです。ICRPの勧告では、同組織の目的として「被曝を伴う活動を過度に制限することなく人と環境を過度に制御することなく人と環境を適切なレベルで防護すること」と掲げています。 要するに、原子力産業や核兵器・核実験などで得られるメリットがあるならば、基準として決めた限りの被曝は目をつぶりなさいということです。 ICRPの掲げる「放射線防護」は、人を放射線から守るのではなく、放射線＝原子力産業自体を守るということなのです。(pp.31-32) なんとも乱暴なICRPの解説・紹介である。私にとって、ICRPの沿革がこのようなものであると聞かされたのは初めてだ。なんら資料も示さないで、ICRPの歴史、目的を議論していることには驚く。おそらく本書の著者、土井里紗は、ICRPのテキストを読んだことはないのではないか、と疑ってしまう。 ECRRモデル：　次に、ICRPの採用しているリスクモデル、とりわけ内部被曝について、本書は、以下のように記述している。 　ICRPの内部被曝の考え方では、分子細胞レベルの放射線の影響を正しくとらえることができません。 そもそも、発がんとは、細胞の中の遺伝子レベルに起きる損傷が原因になります。発がんのリスクを考えるときには、細胞単位で考えるのが建設的です。 ICRPのリスクモデルでは、放射線の影響を臓器全体に平均化して考えてしまいます。・・・ より細胞レベルの被曝を重要視するECRR（欧州放射線リスク委員会）のリスクモデルでは、２～３桁多い被曝線量になります。内部被曝を心配しなくてはならない私たちにとっては、ICRPの基準は、残念ながら意味がないと言わざるを得ません。 ICRPの基準は、基本的には、放射線環境で作業する際の外部被曝については適応されてしかるべきですが、内部被曝を著しく過小評価しているとされ、今回のような食品汚染が進む原発事故後には不向きとされています。(pp.33-34) ここに見られるように、本書では、ECRRのリスクモデルに与してICRPのモデルを非難している。以前、このブログで紹介した松井英介著「見えない恐怖　放射線内部被曝」と同様な立場のようである。ここでは、ECRRのリスクモデルについて議論することはしないが、ひとこと、なんとも雑な議論であるというのが私の印象だ。 私のECRRに対する印象は、京大原子炉実験所の今中哲二の講演資料、「低線量被曝リスク評価に関する話題紹介と問題整理」のまとめの記述と同じだ。 ECRRのリスク評価は、「ミソもクソも一緒」になっていて付き合いきれない。 ECRRに安易に乗っかると、なんでもかんでも「よく分からない内部被曝が原因」となってしまう。 この記述、私がECRRの「2010年勧告」なるもののリスクモデルについて読み理解した範囲で、ECRRの実態を最も正確に表現しているのでは、と考えている。 ICRPが無視した放射線障害の例？：　リスクモデルに加えて、本書では、具体的な放射線障害の例をあげてICRPを非難している。以下、抜粋： ICRPの基準以下だからと、公的に無視された、内部被曝に関連する放射線障害の例はたくさんあります。 例えば、1957年に起きた、イギリスのセラフィールド放射性廃棄物再処理工場の事故によって、持続的な内部被曝が原因と考えられる多数の小児白血病が報告されていますが、ICRPの基準に照らすと、「因果関係は認められない」とされました。 また、湾岸戦争で劣化ウラン弾が使用されて、兵士だけでなくそこに暮らす住人たちにもがんや白血病、流産が増えましたが、こちらも、「低線量の放射線被曝であり因果関係は確認できない」と無視されています。(p.35) これらの放射線障害は、ICRPを非難する際によく引き合いにだされる例である。これらの放射線障害の例については、賛否の分かれるものであり、論争が続けられていることを私も承知している。しかし、本書には、具体的なデータ、参考とすべき文献・資料も示さず、「多数の放射線障害」がICRPによる無視されている、とするのはいかがなものか。考えてしまう。 本書を読み終えた私の判定、トンデモ本として分類すべきものと考えた。残念！ それにしても、こんな雑な議論で、脱原発を議論されてはたまんない。]]></description>
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		<title>「粉ミルクからセシウム検出」の報道で考えたこと</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 14:23:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
		<category><![CDATA[放射能汚染]]></category>
		<category><![CDATA[福島第一原発]]></category>

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		<description><![CDATA[１２月６日に、明治の粉ミルクから放射性セシウムが検出されたと報道された。 このニュース、汚染のレベルの大小というより、むしろ、わたしが想像していなかった汚染経路が存在することに気づかされたこと、そして汚染を最初に見つけたのが市民団体であったことの２点で、私にとっては、かなり衝撃的なものであった。 ニュースの内容とこれに関連して私の考えたことをメモしておいた。 毎日JPの報道の一部を以下に転載する： 食品大手の明治（東京都江東区）は６日、粉ミルク「明治ステップ」８５０グラム缶の一部から１キロあたり最大３０・８ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。・・・ セシウムが検出されたのは、同社埼玉工場（埼玉県春日部市）で３月１４～２０日に製造した粉ミルクを使ったものの一部。１１月２８日、「ステップで放射性物質が出たと聞いた」と報道機関から問い合わせがあり、在庫分などを調べたところ、２１・５～３０・８ベクレル検出された。前後の期間に製造した粉ミルクを使った商品は、いずれも検出限界値（１キロあたり５ベクレル）未満だった。 原料の粉乳は大部分が豪州など外国産で一部は北海道産だが、いずれも東日本大震災以前に製造された。 同社は、粉乳を水などと混ぜ合わせて霧状に噴霧したものを熱風で乾燥させて粉ミルクを作っており、「乾燥の過程で取り込んだ外気に含まれるセシウムが影響した」とみている。 ・・・・ ◇「驚きない」以前から検出情報 粉ミルクからのセシウム検出について、２歳の長男がいる東京都世田谷区の主婦、中山瑞穂さん（４１）は「驚きはない。やっぱりという感じ」。１１月中旬には、市民測定所の検査で、この製品からセシウムが検出されたとの情報がフェイスブックを通して母親仲間で流れていたという。中山さんは「乳製品は放射線の影響を受けやすい子どもたちが毎日飲むもの。もっと早く調査をし、情報を開示してほしかった」と不信感を募らせる。 こんな汚染経路が存在したとは！：　粉ミルクの放射性セシウムによる汚染が原料の粉乳などではなく、製造時に必要な乾燥のための熱風として取り込まれた外気に含まれるセシウムであったというのには驚いた。汚染原因がミルクなどの原材料にあったのではなく、製造時の一過程で使われた大気の汚染であったというのである。 製造月日が３月１４日～２０日で製造したものだという。確かに、３月１５日、２１日には、関東一円には放射能に汚染された大気が流れ込んでいた。この大気を熱して、乾燥のために用いたわけだから、熱風中の放射性物質が、「霧状に噴霧した粉乳と水」を吸着用の材料としてフィルターがわりに集められたといってもよい状況になっていたわけだ。 この粉ミルク製造当時の空気中の放射性物質は、放射性セシウムというよりテルルとかヨウ素といったものが主であった。従って、製造時点では、この粉ミルクには今回検出されていないセシウム以外の放射性物質、放射性ヨウ素、テルルなどが含まれていたものと考えてもおかしくはない。 製造から９ヶ月経った現時点では、放射性セシウム以外は崩壊しており検出することはできない。しかし、製造直後に出荷され、消費者の手に渡った粉ミルクがあったかどうかは問題だ。もし、３月１４日～２０日に製造された粉ミルクが出荷されていたとすると、むしろ、こちらのほうが問題になるはずだ。そのあたりについては、私の見た範囲では、報道されてない。どうだったのだろう。結構、大変な問題なのかもしれない。 ともかく、「こんな汚染経路が存在していたのか！」とある種の驚きをもって、このニュースをながめた。環境が広範囲にわたって汚染されるということは、こういうことなのだ、とあらためて思いしらされた。 市民団体の放射能測定：　放射性セシウムの検出を製造メーカー「明治」に知らせたのは、福島・二本松市の住職さんだという（J-CASTニュース「『粉ミルクのセシウム』福島の住職５００万円の放射能測定装置で発見」）。この放射能測定装置が、何なのか明らかではないが、民間のボランティア団体の測定により汚染が確認されたという事実は、それなりに評価されるべきものではないか、と思う。 前述した毎日.jpの記事においては、この福島・二本松の話しだけではなく、世田谷区の主婦の話しとして「市民測定所の検査」で１１月中旬には、この粉ミルクからセシウムが検出されていたとの情報がフェースブックを通じて流れていた、ということが記されている。 この世田谷の主婦の話しが事実だとすると、市民団体の放射能測定の能力はかなりのレベルに達している、信頼に足る測定が可能な状態になっていると評価してもよいのではないかと思う。１キロあたり最大で30Bqの放射性セシウムを検出しようとすると、それなりの装置と放射能・放射線の知識を必要とするものと考えるからである。 １１月中旬にフェースブックでそうした汚染の状況を示唆する情報がながれた段階で、製造メーカー「明治」、さらには政府など行政組織は汚染の状況の確認する努力が必要であったのではないかと考える。 今、必要なこと：　食品メーカーのみならず行政府などは、住民、市民の持つ不安に応えるという従来型の「教育的」安全キャンペーンではなく、住民・市民の自らを守ろうとする活動をもっと信頼し、むしろ、そうした市民活動を支援するなどして放射能汚染の状況に、ともに、立ち向かうことがが必要なのではないかと思う。 福島第一で事故が発生する前まで「リスクコミュニケーション活動」と称するものが盛んに組織されていた。この種のリスクコミュニケーション活動には、本ブログでも紹介した東北大学グループの活動などがある。こうした「リスクコミュニケーション活動」が（ある意味官製？の）教育的「安全キャンペーン」から脱却するには、市民・住民運動のもつ積極的側面を理解し、連帯した活動を行うことこそ必要だと考える。 事故前の原発推進派と反原発派は、フクシマを経験した今にいたっても、反目した状態が続いているように感じてならない。事態を変えるためにも、反目した状態を超える活動が求められるのではないだろうか。]]></description>
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		<title>福島第一事故による放射線被曝をどう考えればよいか（その９）</title>
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		<pubDate>Tue, 06 Dec 2011 05:26:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
		<category><![CDATA[放射線被曝]]></category>
		<category><![CDATA[福島第一]]></category>

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		<description><![CDATA[高木仁三郎著作集の第２巻に右のような図が載せられている。この図は、チェルノブィリ事故後に西ドイツの雑誌に「西ドイツの子供の新生児死亡数」として掲載されたものだという。随分前に刊行された資料に示されたものではあるが、福島の事故を経験した今ながめると、かなり不気味なデータではないかと思ってしまう。 さて、この図から我々は何を読み取るべきなのか？ここに示されているデータをどのように解釈すればいいのか？ 図に対応する記述：　上に掲げたデータ、高木仁三郎著作集第２巻所収の「原発廃棄に向けて チェルノブイリ事故三周年の今、脱原発を考える」のなかに示されているものである。この『原発廃棄に向けて』（１９８９年刊）は、高校教員に対する講演の記録だという。 以下、この図に対応する部分を抜粋・転載しておく： 　・・これは、いつも送られてくる西ドイツの雑誌の最新号に報告されていたデータなんですけれども、チェルノブイリ後に新生児死亡率が上昇したというのです。西ドイツの子供の新生児死亡数、生後七日以内に死ぬ子供の数というのを地域別にプロットしてみる。これは比較的汚染の小さい地域、西ドイツの北の方。中部から北にかけての地域ですね。これは一九八三年うらいからとってありますけど、そうするとだいたいこのように、年々下がり傾向にある。チェルノブイリの後で少し上り気味かなという傾向が汚染の低い地域でみられる。ところが汚染の中程度の地域、西ドイツの中部からやや南にかけて、そういう地域をみると、チェルノブイリ以降の一年くらいのところでかなりの昇りが見える。さらに高度の汚染地域、これはバイエルン州とかですね、バーデンヴェルデンブルグというようなところにかなり汚染の強いところがあるんですけども、そこで見るとかなりこれははっきりしている。年々下り傾向に対しては、はっきりとここで反転してチェルノブイリの時から上がりだすんですね。ぽんと上がります。 　・・・ 　そういういろんなことがわかってきていますが、こういうふうにクリアーなデータになるケースは少ないです。少しずついろんなところでいろんな形で明らかになっていますが、多くの場合、きちっとした科学的根拠にもとづかないものとして切り捨てられるという傾向があるんです。しかし、私はいま、切り捨てようがない全体というものが明らかになってきているという気がします。(「高木仁三郎著作集　脱原発へ歩みだすⅡ」pp.9-10) 図を見て考えたこと：　冒頭の図を見るかぎり、新生児死亡率が本文で記されているように「年々下がり傾向に対しては、はっきりとここで反転してチェルノブイリの時から上がりだすんですね。ぽんと上がります。」ということで、チェルノブイリ事故の発生がなんらかのかたちで新生児死亡率に影響を及ぼしたと考えるのが自然だ。また、著作本文の記述によれば、汚染の強いところでそうした傾向が顕著に現われることが示唆されている。 　しかし、著作の内容が講演記録ということもあって、データの出所が「西ドイツの雑誌の最新号」としか記述されておらず、図の縦軸の数がなにを表しているのかさえ明記されていない。これを「科学的データ」として取り扱うには物足りない、と思う。図のキャプションには「新生児死亡率」となっているのであるが、縦軸の数字は新生児１０万人あたりの死亡数を示したものかどうか、私には、想像するしかない。 　原子力関係の研究所で働き、放射線について多少学んだ経験をもつ私にとっては、このデータの示すところを、さらに詳しく知りたい、考察したい、とは思うのであるが、即座に、このデータに示されている新生児死亡率の変化を放射線被曝の影響と結びつけるわけにはいかない。私の持っている低線量での健康影響が、このようにクリアなかたちで表れるのは信じられない、というのが正直なところである。 　「 きちっとした科学的根拠にもとづかないものとして切り捨てられるという傾向があるんです」といわれるが、確かに、放射線の被曝影響について少しでも学んだことがあるものとして、私自身、どうしてもこの種のデータを「切り捨てる」側にたってしまう。 結論先送り：　なかなか、こうしたデータをどのように取り扱うか、というのは一筋縄ではいかない。 福島第一事故が起きた今、今後、こうしたデータがどんどん公になってくるに違いない。 その時点時点で、こうしたデータとどのように向き合うべきか真剣に考えておかねばならない。今、私に言えることは、これくらいだな・・・。 結論、先送りだ。情けない、話しになってしまった。]]></description>
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		<title>福島第一事故による放射線被曝をどう考えればよいか（その８）</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Nov 2011 15:10:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
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		<category><![CDATA[食品汚染]]></category>

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		<description><![CDATA[　環境中の放射性物質からの被曝をさける方策のひとつとして、個々人が「食べものに気をつける」ということがあげられる。「食べものに気をつける」という点で興味深いデータが、高木仁三郎著作集の第２巻に収められた「食卓にのぼった死の灰」にあった。右図に示すものだ。 　この図は、チェルノブィリ事故の際に、ドイツ・ハンブルクで人体中のセシウム（１３４＋１３７）を「食物に気をつかわなかった人」と「食物に気をつけた人」のグループそれぞれについて人体中の放射能の時間変化を示したものだという。 このデータについて、「食卓にのぼった死の灰」では、以下のように記述されている。 図は、西ドイツのハンブルクで１９８７年に報告されたデータだが、事故後の食生活が人体の汚染にどのように影響したかのグラフをみると、チェルノブイリの事故後、食品を通して入ったセシウムによって、汚染が体内に蓄積していくさまがありありとわかる。興味深いのは、食生活に気をつけた人（汚染の高いものを避けたひと）と食生活に気をつかわなかったひとの汚染度の差が歴然としていることだ。適切な対策の必要性がわかるだろう。(高木仁三郎著作集第２巻 p.91) 親御さんたちが幼児、子供の食生活に気をつかっている話しを良くきく。食品の放射能濃度については、かなり厳しくチェックされており、基準値を上回るものについては市場に出回らないようなされているので、少し神経質すぎるのではないか、と思うこともある。が、しかしだ。上記のようなデータを見ると、やはり個々人の努力、対策は必要だな、と思ってしまう。 ここで示されているデータがどのように測定されたものであるのか、そしてどのように「食物に気をつけ」たのか、ということについて記述がないため科学的な判断を下すには不十分なデータとは思うのであるが、・・・。 ストロンチウムについてはどうだろう。放射能による汚染食品の問題、セシウムについては食品の放射能濃度はかなり正確に測定できる条件は整ってきたとは思う。しかし、ストロンチウムはガンマ線を放出しないので、個々の食品の放射能濃度を測定するのは結構難しい。一筋縄ではいかないはずだ。現状では、セシウムのように食品中の濃度を測定し、コントロールできていないように思う。専門家に聞いてみたいところだ。 このあたりを考えると、個々人が「食物に気をつける」必要は、確かにあるのでは、と思ってしまう。どうなんだろう・・・。]]></description>
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		<title>佐高 信著　「原発文化人　５０人斬り」を読んでみた</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Nov 2011 09:15:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
		<category><![CDATA[福島第一原発]]></category>
		<category><![CDATA[高木仁三郎]]></category>

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		<description><![CDATA[原発事故がらみの本をさがしているなかで見かけたのが本書だ。 読後感をひとことでいわせてもらうと、なんとも後味が悪い本であった、といったところだ。 福島第一の事故が発生した今、原子力推進側に立っていたと著者が判定した「文化人」たちを槍玉に挙げ、糾弾している。 こうした糾弾をすることが、フクシマ後にどのように作用するのか、私には定かではない。むしろ、ネガティブな効果しか与えないのでは、と感じてしまった。 著者・佐高信の心情を考えてみると：　佐高信氏、著名な評論家のようだ。私にとっては、テレビの画面で、何度かみかけたことがある程度だ。 それにしても、本書、激しい言葉で、「原発文化人」が告発・非難されている。なぜ、このように激しく糾弾しなければならないのか？本書の「はじめに」の部分に、そのあたりが書かれているように感じた。つぎのような記述がある： 　福島の悲劇は私に戊辰戦争の会津の悲劇を想い起こさせる。会津を含む東北の悲劇と言ってもいい。 　現首相の菅直人は自らを長州人としている。高杉晋作が好きというのも同郷だからという要素が大きい。小泉純一郎は父親が薩摩の出身であり、やはり長州人を自負する安倍晋三を加えれば、薩長がいまだにこの国の政治を動かしているとも言える。 　福島を含む東北は「白河以北一山百文（ひとやまひゃくもん）」として、その政治から切捨てられてきたのである。 ・・・・・・ 　こじつけと言われるかもしれないが、震災に対する復興援助の遅れや、原発に対する信じ難い無為無策を見ていると、第二の東北処分ではないかとさえ思われる。東北出身の私としては、てめえら、本気で助ける気があるのかと怒鳴りつけたくさえなるのである。(pp.11-12) なるほど、と思った。 本書を東北出身者としての告発の書として読めば、佐高信の怒りが理解できるのかもしれない。それにしても、薩長まで遡る怒りには驚きすらあった。 高木仁三郎についての記述：　本書、単に「原発文化人」を告発するだけの本ではない。原発の危険性について発言してきた文化人についても言及している。もちろん、こうした「反原発・脱原発」の科学者に対しては、敬意が払われている。 そうした「反原発・脱原発」の科学者のひとりとして高木仁三郎があげられている。佐高信は、高木仁三郎著作集の編集者のひとりであったという。著作集の刊行記念講演会でつぎのように述べたことが紹介されている：　 　高木さんがガンを宣告されてから、私は高木学校で一度話したことがありますが、その時に、日本の官僚のいい加減さについていろいろしゃべったわけです。もちろん高木さんからは「ありがとうございました」とは言われました。でも私の印象としては、少したしなめられたような気がしたんですね。どういうふうにかと言いますと、こちらは官僚の悪を生々しく並べ立てて、アジるというか、煽動するところがあったと思うんですが、高木さんはそういう方法をあまり好まなかった。悪辣極まりない官僚の胸にも届く言葉を探していたんだと思うんです。それはかなり難しい話です。人間の言葉が話せない、聞けないのが官僚だというのが私の持論ですが、高木さんはそこは非常に不満なんですね。だから、煽りが露骨になると顔をしかめる。(p.112) (2004年6月12日、「高木仁三郎著作集」＜七つ森書館＞刊行記念講演会にて） 　このあたり、高木仁三郎の「市民科学者」としての節度ある態度が紹介されている。 　この部分を読むと、私のように原子力業界で長年お世話になったものにとっても、高木仁三郎という科学者のひととなりが理解され、脱原発の運動の必要を感じさせるように感じる。 私が、本書を読んで、なんとも後味の悪い読後感を持ったのは、まさに高木仁三郎が「顔をしかめ」のと同じ感覚であったのでは、と思った次第だ。 「フクシマ後」の今、何が必要なのか？といえば、おそらく、「原発文化人」を槍玉にあげて告発することではなく、そうした原発文化人の「胸にも届く言葉」でフクシマ後の未来を切り開かせることこそ必要なのではないか、と思う。 　本書、「原発文化人　５０人斬り」は、まさに高木仁三郎の行ってきた運動の必要をわたしに感じさせてくれたと言う点で、意味ある書であった。]]></description>
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		<title>武谷三男編　「原子力発電」を読んでみた</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Nov 2011 07:57:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
		<category><![CDATA[放射線被曝]]></category>
		<category><![CDATA[武谷三男]]></category>
		<category><![CDATA[福島第一]]></category>

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		<description><![CDATA[　放射線への被曝を安全か危険かを判断するうえで、法的な基準値あるいは「許容線量」が重要な役割をおっている。この基準値、「許容線量」がどのように考えられ、設定されたかということについては、なかなか難しい問題が含まれている。特に、健康影響がすぐには現われない低線量域の被曝についてどのように考えるべきかは簡単ではない。 　最近、近所の公立図書館で武谷三男編の「原子力発電」を見つけ、借りてきた。このなかに、許容線量の歴史的な変化についての資料があった。なるほどと思わせるものだった。メモしておいた。 本書「原子力発電」の出版されたのは1976年だ。本書に記載されている資料、かなり旧いものであるが、放射線被曝、とりわけ許容線量について考えるうえで参考になる。武谷三男が許容線量を「がまん」線量と考えるべきとし、その考えが現在の許容線量設定の枠組みをかたちづくるうえで重要な役割を果たしたことは有名であるが、放射線の専門家でも、この話を知らないひとが多くなっている。我が国のこの分野の先進性について想いをあらたにすべきものと考える。 そのあたりの考え方が、本書に、コンパクトにまとめられている。 その意味で、一読の価値があるものと思う。 本書が出版された以降４０年の間に、放射線影響に係わるデータが蓄積されるとか、放射線防護に関する理論的な検討も進み、その枠組みも精緻化されたのは確かであるが、いまだに、武谷三男の主張の重要性は変わらない。 放射線の許容線量の歴史的推移：　本書の第Ⅲ章の冒頭に、１９２０年から本書が出版された１９７０年頃までの放射線許容量の推移を示す図が掲載されている。この図を転載しておいた。 　許容線量は、この図に見られるように、時代とともに低くなっている。１９７５年時点で、過去４０年の間に１万分の１になっている。この変化、「広島・長崎の原爆の苦い経験と多数の動物実験などから、放射線障害の危険さがだんだん明らかになってきた」(p.61)ことを反映している。 　因みに、放射線の単位として、当時、レムが使われており、上記した図ではこの単位が使われている。現在使われている単位シーベルトとレムとの関係は 　　　１　Sv（シーベルト）　＝　　１００　rem(レム） である。　 この許容量の変遷について、本書「原子力発電」で記述されている部分を以下抜粋、引用しておく： 　X線による医療・診断が普及しはじめた一九三〇年ごろ、X線の許容線量の国際勧告が専門家機関によってはじめて出されたが、その時の値は一日に〇・二レントゲンであった。 　現在の日本の法律は一九五八年の国際放射線防護委員会（ICRP)による国際勧告をもとに決められたものだが、職業人に対しては一年に五レム、一般の人にはその十分の一の五〇〇ミリレムを最大許容線量としている。職業人とは放射線をあつかう職場に働く人で、個人のうける放射線量の測定と定期的な健康管理とが義務付けられている。 最近では許容線量をさらに切り下げるべきだという議論が国際的におこっており、アメリカでは原子力発電所の環境基準として敷地周辺において一年に五ミリレム以下、人口大集団での平均では一ミリレム以下にすることを一九七一年に決めている。日本の原子力委員会でもそれにならって、発電所周辺の線量制限の目標値を一年に五ミリレムとすることを、一九七五年に決定した。(pp.61-62) 　本書が出版されてから、現在までに４０年が経過した。放射線被曝線量の法的制限値は、上述の制限値、目標値より、さらに低く設定されてきている。 福島第一原発の事故により、東日本中が「放射能まみれ」になってしまった。今こそ、許容線量の歴史的な低減化の背後になにがあったのか、あらためて考えなくてはならないのではないだろうか。 　放射線障害の程度についての科学的な証拠が不明な場合についてつぎのような視点が重要だ。 　障害の程度を正確に科学的に推定することが不可能な場合、こと安全問題に関しては課題な評価であっても許せるが、過小な評価であることはあってはならない。この原則的な立場に立ては、「しきい値」の存在が科学的に証明されない限り、比例説を基礎において安全問題を考えなければならない。ちょうど具合のよい所に「しきい値」があって、それ以下は無害と都合よくいっている根拠は何もないからである。 　そうすると、有害、無害の境界線としての許容量の意味はなくなり、放射線はできるだけうけないようにするのが原則となる。そして、やむをえない理由がある時だけ、放射線の照射をがまんするということになる。どの程度の放射線量の被曝を許すかは、その放射線をうけることが当人にどれくらい必要不可欠かできめる他にない。こうして、許容量とは安全を保障する自然科学的な概念ではなく、有意義さと有害さを比較して決まる社会科学的な概念であって、むしろ「がまん量」とでも呼ぶべきものである。 　武谷の考えは、いろいろの機会に日本の科学者によって主張された。やがて、アメリカの遺伝学者たちの中にも、集団に対して放射線被曝のリスク（危険性）とそのもたらすベネフィット（有益さ）をバランスさせて許容量を決めようという考えが次第にでてきて、今日では放射線の許容量については武谷の考え方が世界的に認められ、ICRPの国際勧告もそのように変わってきた。(p.71) 　最近、よく耳にする「１００mSv以下では障害発生の証拠はない」と主張し、それに沿って放出放射能の影響を低く見積もろうとする動きは、数十年にわたってわれわれの貴重な経験をないがしろにするものだ。 もう一度、放射線防護の原点に戻って考えるべきと考える。]]></description>
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		<title>山本義隆著　「福島の原発事故をめぐって」を読んでみた</title>
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		<pubDate>Sun, 06 Nov 2011 06:55:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
		<category><![CDATA[原子力]]></category>
		<category><![CDATA[福島第一原発]]></category>
		<category><![CDATA[脱原子力]]></category>

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		<description><![CDATA[本書は、福島第一原発事故を私なりに考えてゆくうえで、読んでみたいと思っていた本のひとつだ。 著者、山本義隆は、私の世代から見れば、元東大全共闘委員長ということで知られている。現在は、科学史の研究をしているということのようだ。その著作を、近所の公営図書館で、めくってみたことがある。 本書の感想をひとことでいうなら、山本義隆の科学技術のもたらす未来への悲観主義的な立場にある種の驚きをおぼえる。 本書の論調、私にとっては全面的に受け入れられるという性格のものではないが、「反原子力」「脱原子力」を標榜する立場のひとつの典型として、この書を読むことに意味があると思う。主要な論点と思った部分をメモしておいた。 「はじめに」を読むと・・・：　本書を手にした読者は、当然のことながら、まず本書の「はじめに」を最初に読むことになる。 ここで、福島第一原発における大事故の発生に対する著者、山本義隆の怒りの大きさを感じることになるが、まるで４０年も前の学生運動の盛んな時代の「アジびら」を読んでいるような感じを受ける。以下、長くなってしまうが、これを転載しておこう： 　東京電力福島第一原発一～四号機が地震によって損傷し、津波により非常用電源が喪失し冷却機能が失われ、核燃料のメルトダウン（溶融）と水素爆発をつぎつぎ引き起こし、多量の放射性物質が放出され、広範囲に飛散するという大事故が発生した。それにともなって十万に近い数の人たちが、ほとんど着の身着のままの状態で生まれ育った故郷と住み慣れた家を後にし、生活の基盤を奪われ、いつ帰るとの展望もなく長期にわたる避難生活――難民化――を余儀なくされ、さらに多くの人たちが被曝の恐怖のうちに生活している。子供たちに将来放射線障害が現れるのではないかという危惧はこの先何年も払拭されることはない。何世代にもわたって大切に受けつがれ営々として維持されてきた田畑は汚染され、放置されている。事故現場では、多くの作業員が劣悪な条件下で、ときには命がけにも近い状態で、懸命に努力しているが、いまなお終息の展望が見えない。 　これが「世界第二位の経済力」を誇り「技術立国」を謳っていた日本の現実である。福島での作業員にたいする許容被曝量の限界値をなしくずしに緩和したことや、児童生徒の屋外活動を制限する放射線量の年間許容量をめぐって示された混乱は、「唯一の被爆国」を枕詞のように語ってきたこの国が戦後半世紀以上にわたって被曝の問題をまじめに取り組んでこなかったことを浮かびあがらせた。 　事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省（旧通産省）と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。学者グループの安全宣伝が想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。 　しかし現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によるものと見るべきではない。津波の大きさに対する予測を誤ったことや、非常用電源配置のミス、あるいは廃炉にともなう経済的損失をおそれて海水注入を躊躇し事態を悪化させたといったことだけが問題なのではない。むしろ本質的な問題は、政権党（自民党）の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきた自体にある。(pp.2-4) 原子力の平和利用：　原子力は米大統領アイゼンハウワーのAtoms for Peace からはじまった原子力平和利用が「虚妄」であるとの議論からスタートする。遮二無二原発建設推進の背景に、我が国が核武装能力の保持があるとする。 著者の立場では、我が国における原子力開発の初期的段階では、原子力によるエネルギー源の確保というよりむしろ 　原子力発電（原子炉建設）の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、むしろ日本が核技術を有すること自体、すなわちその気になれば核兵器を作りだしうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることにおかれていた。(p.9) 　日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワー・ポリティックスから生まれたのであった。岸にとって「平和利用」のお題目は、鎧のうえに羽織った衣であった。(p.12) とされるのだ。そして、原子力導入時の我が国の学者・研究者の日本学術会議における「原子力平和利用の三原則」「自主・民主・公開」に向けてのさまざまな運動・努力も、次のように否定的に扱われることになる。 　学者に共有されていた科学技術の発展にたいする当時のあまりにも楽天的で無批判な信頼が「原子力の平和利用」という幻想を支えていたことは、認めねばならない。(p.13) 　科学技術幻想にとらわれているかぎり、権力者の側からの原子力開発にたいして有効に対抗し得ないことは明らか。(p.16) そして、核燃料サイクルを形成しようとする我が国のエネルギー政策は、「プルトニウム大量保有の道を開」く「我が国の潜在的核保有国への道」を開くものとして捉えられる。 　潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力産業育成の究極の目的であり、原子力発電推進の深層底流であった。とするならば、脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。「軍縮や核実験禁止問題など」についての「国際的発言力」を高めるためには、核兵器保有の潜在的能力を高めなければならないという岸の倒錯した論理を、原発とともに過去のものとしなければならないであろう。(p.24) 科学技術的側面からみた原子力：　科学技術とはなにか、そしてその発展はどのようなものであるかについて、 科学技術とは科学理論の生産実践への適用であるが、実験室の理想化された環境で十分に制御された微小な対象によって検証された理論から、さまざまな要因が複雑にからみあった大規模な生産までの距離はきわめて大きい。その距離を埋める過程では多くの試行錯誤が必要とされる。(p.27) とし、 無害化不可能な有毒物質（核分裂生成物）を稼働にともなって生み出し続ける原子力発電は、未熟な技術と言わざるをえない。(p.33) との立場にたつ。 そして、科学技術の発展における試行錯誤的な過程において、原子力発電の持つ際立った特徴について、試行錯誤の段階で避けることができない「事故」の発生と影響について次のように述べる。 ・・・原発事故を蒸気機関の創生期にあったような事故と同レベルに捉えることは根本的に誤っている。原発以外では、事故の影響は時間的・空間的にある程度限られていて、事故のリスクはその技術の直接の受益者とその周辺が負うことになる。それにたいして原発では、事故の影響は、空間的には一国内にすら止まらず、なんの恩恵をも受けていない地域や外国の人たちにさえ及び、時間的には、その受益者の世代だけではなくはるか後の世代もが被害を蒙る。実際に福島の事故では、周囲何キロかは今後何世代にもわたって人間の立ち入りを拒むスポットとなるであろう。融け落ちてそこに遺されている何トンもあるウラン燃料の塊は、たとえさしあたっての冷却に成功したとしても、それを長年にわたって遮蔽し続けるためには莫大なコストと資源とエネルギーが必要とされ、それが将来の日本人のかたにかかってくる。そして土壌汚染は広範囲にわたり、その影響は長期に及ぶ。原発では試行錯誤による改良は許されない(pp.57-58) 　田中三彦が自己の経験を踏まえて述懐しているように「原発の場合、一度でも大きな事故をおこしたらそれで終わり」なのである。とすれば、端的に原発は作るべきではないという結論になるであろう。(p.58) 原発が「試行錯誤による改良」を許さない他の科学技術と異なる特性を持つ、という立場。これは極めて重要なポイントだろう。 科学技術の万能性を否定：　科学史家としての著者の議論は、今回の福島第一原発の大事故を一九世紀以来われわれの抱いた「幻想」、科学技術万能性を否定する。 　経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生みだされた。・・・それは、巨大な権力に支えられてはじめて可能となったものであり、その結果は、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。 　実際、原子力（核力のエネルギー）はかってジュール・ヴェルヌが言った「人間に許された限界」を超えていると判断しなければならない。 　第一にそのエネルギーは、ひとたび暴走をはじめたならば人間によるコントロールを回復させることがほとんど絶望的なまでに大きい。・・・・ 　第二に、原子力発電は建設から稼動のすべてにわたって、肥大化した官僚機構と複数の巨大企業からなる“怪物”的プロジェクトであり、そのなかで個々の技術者や科学者は主体性を喪失してゆかざるを得なくなる。プロジェクト自体が人間を飲み込んでゆく。(pp.88-90) 三月一一日の東日本の大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位にたったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という一九世紀の幻想を打ち砕いた。今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来、人間のキャパシティを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。pp.88-91) さて、こうした論点、どのように捉えていけばよいのか・・・？　ひとつの論点には間違いないのではあるが・・・]]></description>
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		<title>宮台信司×飯田哲也　共著　「原発社会からの離脱」を読んでみた</title>
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		<pubDate>Wed, 26 Oct 2011 13:59:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yama</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学・技術・社会そして科学論]]></category>
		<category><![CDATA[原子力]]></category>
		<category><![CDATA[福島第一原発]]></category>
		<category><![CDATA[自然エネルギ]]></category>

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		<description><![CDATA[３．１１を経験した今、「原子力」とどのように関りを持って行けばいいのか？　自然エネルギーは、原子力に代わるエネルギー源と考えていいのか？　思いを巡らしているところだ。 ヒントになれば、ということで「自然エネルギー利用」のチャンピオン飯田哲也の書いたものを読んでみることにした。 私の立場：　私は、5年前に退職するまで約30年にわたって「原子力」関係の研究所で働いていた。当然のことながら、今、私の一番の関心事は、「原子力」との関係、距離をどのように保つべきか、ということだ。 私のこれまでの立場は、臆病な原子力「推進派」ともいえるものだ。原子力自体が大きな危険を孕むものであり、さまざまな問題があることは承知していた。 が、なんとかなるのでは、という「淡い期待」のなかで原子力の「推進」を了としていた。 しかし原発事故は発生した。想像を超える規模でだ。原発社会の何が問題であったのか？そして今後どのような社会を形作ってゆくべきなのか？毎日、もんもんとしながら考えている。 原発を廃止するということになると当然のことながら、今後のエネルギーをどうすべきか？原子力エネルギーに代わるものとして自然エネルギーを選択することは現実的なのか？といった問題を考えねばならない。 さらには、私が原子力の開発を了としたのは何故だったのかも考え直さねばならない。 本書「原発社会からの離脱」は、そのあたりのヒントを与えてくれるのでは、と期待した。 飯田哲也氏が考えるフクシマ後の日本：　本書「原発社会からの離脱」における飯田の主張の主要な部分は「あとがき」にまとめられているように感じる。以下、抜粋。　 　３．１１の前と後では、日本社会には誇張ではなく、江戸から明治への大転換、太平洋戦争中から戦後への大転換と同じような変化が生じつつある。「原発は安全・安心・クリーン」という耳当たりの良いデンツー的言葉だけが流布していた「３．１１前」。太平洋戦争のさなかに、誰もが戦争の大儀をうたがうことがなかったのとまったく同じように、原発の是非を問い電力会社の独占を疑う意見は、徹底的かつ巧妙に排除されてきた。 　それが、かって「八月一五日」を境に一瞬にして一億総民主主義に転じたように、「３．１１後」は、原発や電力会社の問題点がマスメディアでもおおっぴらに報道され議論されるようになった。エネルギーや原発問題が、一部の狭い専門家の議論から、国民共通の最もポピュラーな関心事となった。原発に代わる代替エネルギーの本命として、自然エネルギーの可能性が真正面から議論されるようになった。こうした変化は、それ以前の、まるで半透明の「分厚い膜」が覆っていた状況に比べれば、少なくとも良い方向といえよう。 　ところが、この変化は、まだ本質的なものではなく、かつ容易ではない。 　・・・・ 　一時期、思考麻痺を起こしていた原子力ムラや原子力官僚、電事連、経団連などこの国の「旧いシステム」だったが、・・・もう揺り戻しを始めている。ことほどさように、彼らは今回の原発震災で何も変わっていないのだ。 　私たち自身もまた、問われている。「３．１１前」も思考停止したまま、「原発は安全・安心・クリーン」と信じたのと同じように、「３．１１後」は、それが原発たたき・東電たたきに転じただけではないのか。(pp. 198-199) なるほど、と思う。飯田の言うように、「原子力ムラ」の片隅で働いていたものとして、私は、事故以来、思考麻痺を起こしている。飯田は、３．１１をかっての「八月一五日」と対比させているが、終戦を迎えた「軍国少年」の8月15日は、きっと私にとっての３．１１のようであったのではないかと想像している。 自然エネルギーは、原子力エネルギーの代替となりえるか？：　自然エネルギーは、これまで原子力が担ってきたような我が国の主幹的なエネルギーのひとつとなりえるのか？ということは避けて通れない設問であろう。 そのあたりについて、飯田は興味深い議論をしている。 　原子力発電はいま第三世代と言われています。この第三世代は、いまから三〇年前に設計されている。その第三世代が今建設されているという技術の古さです。太陽光発電などは日進月歩で世代交代している。 　新しく作った太陽光発電施設と新設の原子力発電所は、投資減税効果を織り込めば、二〇一〇年で発電コストがほぼ同じか、もう逆転したのではないかというのが、アメリカでの調査結果です。 　大前提として、風力も生物資源（バイオマス）も水力も、大本は太陽エネルギーです。太陽エネルギは物理量として、いま地球全体で使っている化石燃料と原子力の一万倍だと言われています。だから、ほんのわずか転換すれば、地球全体のエネルギーを自然エネルギー変えていくのは、まったく非現実的ではない。(p.44) なるほど、と思う。 後段の太陽エネルギの物理量が今消費している化石燃料と原子力の一万倍であるという議論はおくとしても、前段部分は非常に重要なことが議論されていると思う。 原子力発電における設計・開発・建設のサイクルが非常に長期にわたるのに対し、自然エネルギ技術の発展が日進月歩であるというところだ。原子力発電の開発・建設サイクルが数十年にも及ぶという事実は、我々が原子力を選択する限りにおいて、今後10年、20年で期待される科学技術の進歩を、少なくともエネルギー源として、活用できないということではないか。 過ぎ去った20年、30年を思い起こして見ると、科学技術の進歩は我々の想像を絶するものであったのではなかったのか？自然エネルギの利用に係わる技術の進歩を期待しても良いのではないのだろうか。 エネルギの利用形態も変化するに違いない。次のような議論も興味深い。 宮台：　 ・・・素朴な質問ですが、自然エネルギーによる自家発電で、企業や工場が電力を賄うことは可能なのでしょうか。 飯田： それよりもインターネットのような分散型モデルでしょうね。自家発電だけだと自分のノートパソコンだけで、ネットには繋げずに作業する、みたいになってしまう。PC88でゲームを作ることくらいしかできない。グーグルが考えているスマートグリッドはまさにインターネットのようなモデルで、発電量の変動もネットワークに繋ぐことではじめて吸収できる。自分で蓄電池をもったまま孤立していたら、コストが高くてしかたありません。自分で蓄電池をもっていてネットワークに繋がっていたら、ソーシャルに活用できる。将来的には、蓄電池機能、あるいは出力調整機能のクラウドが、間違いなくできます。 　山小屋であれば独立型でいいでしょうが、都市はネットワークに繋がったほうがイノベーションの可能性がひろがります。(p.185) そうなのだ。ここ10年間のインターネットの爆発的な進歩を考えると、自然エネルギの利用形態に革命的な変化があっても不思議ではない。 旧態然とした原子力さようなら、と思わず口走りたくなる。　 日本の電力の閉鎖性：　こうしたエネルギの利用形態の変化を効果的にするためには、どうしても日本の電力の閉鎖性を打破し、自由化の道を選択すべきといったあたりの課題は避けて通れない。この電力の閉鎖性と原子力の関係について、飯田は、つぎのように言う。 　・・・原子力とは巨大な設備投資をして長期的にコストを回収するうえ、しかも安定的に電気を消費してもらわなければならない。自由化のような市場をつくると困る。しかも核のゴミを処分していかなければならない。だから独占市場がないと、この大切な原子力産業を育てられない。これが独占と原子力を結びつけたのだと思いますね。(p.114) 原子力の利用と独占が密接に繋がっているというのだ。 我が国では、電力の独占体制を維持するうえで原子力を利用することが言い訳になっている、ということになっているようだ。足かせになっている原子力から、今回の福島第一事故を区切りとして、離脱するというのが、最も正しい選択かもしれない。 本書、その他、興味深い議論が行われている。 もう少し、詳しく考えてみたいところだ。 ともあれ、本書を読んだ率直な感想、 旧い技術、原子力に固執する必要は、もはや、ないのではないか。 これが、私の正直な感想だ。]]></description>
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