Tag Archeve for the ‘原子力事故避難’ Category



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今年も「安定ヨウ素剤配布会 ご案内」が送られてきた

Sunday, July 7th, 2019

2015年の 9月以来、毎年のように、この案内状が送られてくる。最初にこの案内を受け取ったとき、案内とともに送付されてきた資料を本ブログ上にアップしたことがある(「安定ヨウ素剤事前配布説明会ご案内」を受け取った)。

今回送られてきた書類には、一回目よりずっと「立派な」説明会資料(茨城県保健福祉部医療局薬務課作成(令和元年度))が同封されていた。ヨウ素剤配布事業そのものに加え、こうした資料を作成するのは、大変な労力・費用を要するものにちがいない。今回送付されてきた資料もこのブログ上に保存しておくことにした。

ただ、原発周辺の居住者のひとりとして、停止状態にある原子力発電所の「事故」に備えて「ヨウ素剤」を「切れ目なく」配布することに、どんな意味があるのか、よく分からない。どちらかというと一種のキャンペーンではと思ってしまう。

今回も配布説明会を無視(ボイコット)させてもらうことにした。 (続きを読む)



3年前のニュース: 20ミリシーベルトで居住可能?

Tuesday, December 16th, 2014

3年前の今日(2011年12月16日(金))放送のTBS森本毅朗スタンバイで聴いた原子力問題関連ニュース:

政府は住民が居住可能な地域の年間の積算線量について20ミリシーベルトを目安とする報告書をまとめました。細野原発担当大臣は20ミリシーベルトでひとが住めるようになるということだと話しており、これを受け政府は現在の避難基準を見直す方針です。

放射能で汚染された地域に居住可能かどうかを20ミリシーベルトを目安とすることになった、と政府は「決断」した。

この20ミリシーベルトという値を、どのように解釈するかということは、なかなか難しい問題だ。これを了とする側は、放射線障害のリスクを容認しなければ、それ以外の、例えば居住しないことによる経済的あるいは精神的負担の増加によるリスクが増加してしまうことになるという。

なんとも釈然としない思いだけが残る。
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3年前のニュース: 福島第一原発周辺世帯 帰還望まぬが1/4

Sunday, November 9th, 2014

3年前の今日(2011年11月9日(水))放送のTBS森本毅朗スタンバイで聴いた原子力問題関連ニュース:

福島第一原発の周辺にある8つの町と村の住民のうちおよそ4分の1の世帯がもとの居住地に戻る気がないと考えていることがわかりました。福島大学の調査で分かったもので放射性物質の除染作業が困難との理由をあげたひとが最も多かったということです。

福島第一原発の事故から8か月経過した時点で「4分の1の所帯がもとの居住地に戻る気がない」としている。この時期、避難された方々が、事故直後の混乱から一定の落着きを取戻し、冷静に将来を見つめることができるようになった頃と推測する。将来を見据え、「戻らない」決断を4分の1の所帯の人々がされたのは重く受け止めなくてはならない。 (続きを読む)



TMI事故で避難者に支払われた保険金

Monday, April 11th, 2011

福島第一原発の事故では、半径20Km圏内の住民の方々に対して避難指示がでている。そして今日、「福島県葛尾村、浪江町、飯館村、及び川俣町の一部と南相馬市の一部について『計画的避難区域』として、避難対象に加える」(asahi.com記事(4/11) )との方針が示されたようだ。 (続きを読む)



高木仁三郎が警告した巨大科学技術文明の抱える問題とは

Wednesday, May 21st, 2008

我が家の本棚に、高木仁三郎の「プルトニウムの恐怖」があった。この本が発行されたのは1981年だ。その2年前、1979年にはTMI事故が発生しており、原子力に反対する機運が高まった頃に発行された書だ。30年経った今、米国では、新規に多数の原子力発電所の建設が計画されようとしている。我が国の原子力反対運動の中心にいた高木仁三郎は何を主張していたのか、改めて読み直してみることにした。

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