「竜馬がゆく」と「龍馬伝」(その3)
July 9, 2010 – 4:03 pm前回、5月30日放映:第22回の龍馬伝について書いた。シリーズ28回が7月11日に放映される予定になっている。NHKの「龍馬伝」、どうも司馬版の「竜馬がゆく」と、かなり異なったものになっている。「竜馬がゆく」の愛読者としては、NHK版「龍馬伝」が何を訴えているのか理解できない。
このあたりについて、少し書いておくことにする。
池田屋騒動: 長州藩が朝廷から追われ攘夷派が劣勢になったところで、一挙大逆転を目指す長州藩の志士、そして攘夷を目指す浪士たちは、京都に火を放ち、天皇を攘夷派の手に奪うことを策動する。海軍操練所の土佐脱藩組の浪士たちも、大挙、このくわだてに参加することが期待される。
この計画は、事前に新撰組に察知され、計画を詰めるために「池田屋」に集まっていた攘夷派は、一網打尽とされる。これが、その後、「池田屋騒動」と呼ばれる騒ぎである。
池田屋騒動に至る攘夷派の動きは、物語のその後の展開に重要な位置にあると考えられる。しかし、この事件の「竜馬がゆく」と「龍馬伝」の扱いは、かなり異なるような気がする。
まず、NHKの「龍馬伝」では、
・・・待ちに待った操練所で操船術や砲術について学ぶ龍馬たち、しかし、そのなかで、ひとり望月亀弥太は思い悩んでいた。・・・ (「6月6日放映版あらすじ」より抜粋)
・・・龍馬は望月亀弥太の姿が見えないことに気づく。亀弥太は京の池田屋で長州藩の志士たちと会い、帝を奪う計画をたてていた。龍馬は亀弥太を探しに京へ向かう。
京の池田屋に向かった龍馬は、亀弥太の死を目の当たりにする。池田屋を襲撃したのは新撰組だった。怒りに震える龍馬は、引き上げていく新撰組に挑もうとするが、居合わせた桂小五郎に止められる。桂は池田屋で殺された者たちの無念をいつか晴らすと誓う。(「6月13日放映分あらすじ」より抜粋)
NHKの龍馬伝では、京の攘夷派の操練所の土佐浪士に対する働きかけ、それに対する龍馬の態度については、特には描かれていない。望月亀弥太が、龍馬の留守に、ひとり無断で攘夷運動に参加したかのように描かれている。
一方、司馬版「竜馬がゆく」では、
塾は、崩壊の危機にある。なぜならば、京都の志士連中が塾へやってきて、古高俊太郎らの京都決起への参加を土州系塾生に説いたのだ。
みな、動揺した。
「行く」
というのである。
無理はなかった。二、三年前の竜馬なら一剣をひっつかんで京へ馳せ上っていたかもしれない。
が。---
竜馬の眼さきは、長くなった。いま、五尺の体一つが死んだところで何になるか、というのである。
(わずか、百や二百の浪士の手で三百年の幕府が倒れるはずがない)
成らぬことは成らぬ、と竜馬は思った。成るには時の勢いというものが要る。
(いまは、力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない)
竜馬は、瀬戸内海の制海権をにぎる日を夢見つづけている。その以前に、まだ艦船を動かす術もろくに覚えておらぬ時期に、京都で子供じみた闘争に参加して何になるか。
そう、みなに説いた。
「ゆくなら、おれを斬ってゆけ」
ともいった。( 文春文庫版「竜馬がゆく」第五巻 pp. 52-53)
このように竜馬は塾生に対し京都決起に参加せぬよう説得している。こうした説得にも関らず、塾生のひとり望月亀弥太は、塾生の決起参加をすすめにきた北添佶磨とともに参加することになる。
NHKの「龍馬伝」と「竜馬がゆく」では、小説とテレビドラマとの違いでは説明できない違いがある。この違い、坂本竜馬、あるいは竜馬の仕事をどのように見るかによるものとしか思えない。NHKの「 龍馬」はあまりにも情緒的な人物として描写されている。幕末の「竜馬」の活躍を考えるとき、こうした情緒的な「龍馬」像は描きにくいのではないかと考える。いかがだろう。
西郷吉之助とのであい: NHKの「龍馬伝」6月27日放映(第26回:西郷吉之助)に、高橋克美扮する西郷が登場した。竜馬と西郷吉之助の最初の出会いは、後の「薩長連合」にいたる過程を考えると重要な場面である。しかし、NHK版の龍馬では、そのあたりが十分に描ききられていない。
高橋克美の西郷吉之助、なんというか多弁で高圧的だ。さらに、訪ねた龍馬に対する薩摩藩の扱いが悪すぎる。西郷にとっては、「勝から操船技術をもつ龍馬たちを薩摩に引き取ってほしいと頼まれ」、一応、龍馬に会ってやったという程度だ。西郷が龍馬の話を聞く場所が、銃の訓練所であるなどというのは、常識的に考えて、失礼千万な対応ではないか。なんとも不愉快な場面設定である。
司馬遼太郎の「龍馬がゆく」では、全く異なる。竜馬の来訪を受けた場面の描写は以下のようにある:
竜馬が来訪した、ときき、すぐ紋服に着かえ、仙台平の袴をはいた。
正直なところ、
(勝先生がもうしちょられたあの仁じゃな)
という感想しかなかった。勝に対する敬意のために衣服をあらためた、というべきだろう。
・・・
廊下を渡って藩邸の書院に出ると、・・・・竜馬がいない。
竜馬はそのころ、藩邸の庭に出て、鈴虫を獲っていた。
・・・
「ほう、鈴虫を獲ってござるか」
と、西郷は縁にでて、竜馬に問いかけた。
竜馬はふりかえって、例の近視の目をほそめ、西郷をみた。そこで坂本です、というのが当然だが、たもとの鈴虫がにげては困る。
「虫籠は、ありませんかネヤ」
とたもとの口をおさえながらいうと、西郷もあわてて、
「幸輔どん、虫籠は無か?」
邸内をさがすように頼んだ。 ・・・・
(妙な男だ)
と西郷は、どぎもをぬかれた思いで、この土佐人を見た。
竜馬は竜馬で、観察している。感心したのは、かれが鈴虫を獲って、
「籠」
といったとき、西郷も、籠、籠、とひどくあわてたことだった。無邪気な、あどけないほどの誠実さがあふれていた。
(これは、大事を託せる男だな)
と竜馬はおもった。
・・・・ (文春文庫版「竜馬がゆく」第五巻 p.272-275)
司馬版における竜馬の薩摩藩邸訪問の場面は、西郷の誠実なひとがら、そしてそれに感銘する竜馬が見事に描かれている。この両者の会談のなかで、両者の「人間としての」信頼が醸成してゆく場面が描かれている。
さらに、
あの初対面の会話中、もっとも重要な一項は、
--薩摩は、長州を追討するか。
と竜馬が発した質問である。幕府は長州を追討しようとし、準備をすすめていた。薩摩藩がそれに加わるのか、加わらぬかによって、事態がずいぶんちがってくる。
「サア」
と西郷は、言葉をにごした。このさい、長州をさらに叩いておきたいが、かといってまだ方針がきまらない。
竜馬は、西郷の返事を待たず、話題を飛躍させて、
--今でなくてもよい。将来、長州と手をにぎりなされ。
とするどく言い、しかもこれについてはあえて返事を求めず、ただ言葉を投げただけでそっぽをむき、あとは庭ばかりを見ていた。西郷が、これについて即答できぬ立場、時期にあることを、竜馬は見ぬいていて、わざとその当惑した表情から目をそらしてやったのであろう。
西郷は、その呼吸、間合いのよさに舌をまいた。
(世上、横行するただの論客ではない)
とおもった。議論でなく、竜馬は西郷に対して政治を仕掛けてきた、としか言いようが無い。(文春文庫版「竜馬がゆく」第五巻 p.285)
司馬遼太郎の描く竜馬と西郷のやりとり、これが史実かどうかは別にして、NHKの「龍馬伝」で描写されるやりとりと全く異なる。「龍馬伝」のそれは、現代風に言えば、就職先をさがしている学生に、恩師が適当な会社社長を紹介した程度の薄っぺらい話くらいでしかない。そのような場面で、人と人との重厚なつながりができるとは考えにくい。
竜馬の西郷評: 「龍馬伝」のなかで、竜馬が塾生の問いに答え、西郷評を話す場面がある。「小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」と竜馬が答えるという場面だ。「龍馬伝」の出会いの場面のどこをみても、このような西郷評を龍馬が抱くとは考えられない。とってくっつけたような龍馬の西郷評だ。脚本の失敗としかいいようがない。
司馬版「竜馬がゆく」では、この西郷評の部分、勝との会話として次のように書かれている。
勝が数日して、
--西郷をどうみたか。
ときいた。
筆者いう。このくだりを、勝自身の語録から借りよう。
氏(竜馬)いわく、「われはじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」と。
知言なり、と勝は大いに感嘆し、
「評するも人、評せられるも人」
と、その日記に書きとめた。(文春文庫版「竜馬がゆく」第五巻p.287)
NHKの「龍馬伝」、なにか安っぽい龍馬の物語になってしまっている。草刈民代の寺田屋の女将・お登勢に子供のときに亡くした母の面影を見るという設定。土佐の武市半平太への友情、思い、の過度な描写。私にとっては、安っぽいセンチメンタルな物語としてしか感じられない。
この先、この物語がどのように描かれてゆくのか・・ 多少、不安になってくる。
これって、私だけの感想であろうか?
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