「竜馬がゆく」と「龍馬伝」(その5)

August 8, 2010 – 10:23 pm

NHKの「龍馬伝」8月1日放映(第31回「西郷はまだか」)で、亀山社中「創設」の後、薩長連合にむけた長州藩への説得工作が開始される。龍馬の活躍もひとつの山にさしかかったというところだろう。この第31回分放映のなかで、なるほど、このドラマの狙いはこういうところにあったのか、と思わせる部分があった。それは、龍馬が目指している「日本の姿」、「夢」というあたりのことだ。今回は、「龍馬が目指したもの」は何であったのかという点に注目して、司馬版「竜馬がゆく」とNHK版「龍馬伝」の違いについてみてみる。

NHK「龍馬伝」における「龍馬のめざすもの」とは?: NHK「龍馬伝」、これまでのところを通してみると、武市半平太を大きく扱っている。正直なところ、一体、このすじだての狙いはどこにあるのか、不思議に思っていた。第31回「西郷はまだか」のなかで、このあたりがかなりはっきりしてきたのでは、と思う。

これまでの放映で、武市半平太に関る部分にかなりの時間が割かれている。7月04日放映の第27回放映の第27回「龍馬のお芝居」、7月11日の第28回「武市の夢」に至っては、自らの身を省みず武市の脱獄を試みる龍馬が描かれる。このあたり、一視聴者としては、かなり荒唐無稽な感じも受けてしまった。

ドラマのなかで、武市半平太、そして彼と龍馬とのかかわりを、多少の無理はあってもあえて大きくとりあげているのは、龍馬の思想が武市のそれを反映しているというように、このドラマの脚本が考えているものと理解した。

第31回「西郷はまだか」で、こうした武市半平太のドラマ上の位置づけが見えてきた。龍馬の中岡慎太郎との会話のなかで、次のような意味のことを話す(私の記憶が正しければ・・だが)

武市の半平太の抱いた夢、すなわち「日本を変え、異国から日本を守る」という武市の夢を実現し、武市半平太の無念さをはらす。

といったものだ。

果たして、龍馬のめざした未来は、武市半平太のめざしたそれと一致したものだろうか?武市のそれは、あくまで尊王攘夷、倒幕という土佐勤皇党のめざした未来である。対して、龍馬のそれはかなり異なるものではなかったのか、あるいははるかにそれを超えたところにあったのでは、と思う。このあたり、NHKドラマがたっている史観と「竜馬がゆく」の司馬遼太郎のそれとの違いが反映されているのでは、と思う。

司馬版「竜馬がゆく」における「竜馬のめざすもの」とは?: 司馬遼太郎が、竜馬のめざす未来がどのようなものであったのか、ということを詳しく描いた(と私が感じる)部分がある。熊本に行き、横井小楠(しょうなん)のところを訪ねたところだ。かなり長くなるが、その部分を抜粋しておく:

竜馬はこの時期(注:勝と元治元年に訪問したとき)より数年あとに、やはり肥後熊本まで行って横井小楠を訪ねている。
このとき、竜馬はその生涯での最大の事業のひとつだった「薩長連合」を策しているときで、小楠の意見をききにきたらしい。
小楠はつねに酒を置いて竜馬と談じた。
・・・・
そのころ、小楠は藩の政変のために失脚中で、知行も士籍も取上げられて、ぶらぶらしていた。
席上、小楠は、
「坂本君、おれはこのとおりの身分だ」
と、翼をむしとられた鳥同然、天下に飛びたてないなげきをいうと、竜馬は杯をふくみ、
「先生、おなげきあるな」
と笑った。
「天下の大事は、西郷(隆盛)、大久保(利通)の徒がいます」
それに自分とはいわなかったが、言外に、この三人で天下を料理する、という意味をふくめた。
この大言壮語には、若い日の淇水老人はよほどおどろいたらしい。
「では、おれはどういう役だ」
と、横井小楠先生がきくと、
「先生はよろしく高楼にすわり、美人に美酒を酌ましめ、杯をふくんで大芝居の見物をしていただきたい」
と竜馬がいった。
小楠、大いに満足し、手をたたいて大笑いした。
横井小楠というひとは、
「国家の目的は民を安ずるにある」という思想のもちぬしで昭和の右翼思想家のような神聖国家主義者ではない。幕末にあっては、攘夷志士をあざわらい、開国して大いに産業をおこし、貿易をさかんにして国を富ましめ、強力な軍事力をもって外国からのあなどりをふせぐ、という積極的攘夷主義であった。
その思想が、当時でさえ、というより日本の大東亜戦争終了までの官製思想からも危険視されるもので、ついには「共和国家」を夢見ていたようなふしもある。
そのくせ、号の「小楠」が示すとおり大楠公の崇拝者で、天皇をうやまった。
その危険思想家の小楠でさえ、この元治元年四月にしたときの竜馬の言説があまり天衣無縫すぎるのにおどろき、
「好漢、惜しむらくは乱心賊子になる勿れ」
と注意した。竜馬はひょっとすると、かれの手帖の文句などからみて、アメリカ式の共和国を理想とする、といったのかもしれない。
「坂本君、それは先走りすぎる。勤王の激徒に誤解されるぞ」
と注意したようにおもわれる。
その小楠が、明治二年、ヤソ教徒、共和主義者である、として右翼壮士に暗殺された。
よほどの先覚者といっていい。(文春文庫「竜馬がゆく」第四巻 pp.422-425)

この部分、坂本竜馬が、当時の進歩的知識人、横井小楠が驚くほどの進歩的思想の持ち主であったことを紹介している。竜馬のめざす未来は、武市の尊王攘夷思想をはるかに追い越し「アメリカの共和国を理想」としていた可能性があったというわけだ。

こうしたラジカルな思想を持つ竜馬は、武市の観念思想とは異なり、こうした未来を見据えながらも現実を直視した行動をとっていた。

司馬遼太郎の描く坂本竜馬、幕末期に活躍する熱血志士といった枠ではおさまらない進歩的な思想家として描かれているわけだ。

こうした司馬版竜馬像が、NHK版竜馬に比して、より現代的な意味を持つように感じるのであるが、いかがだろう。


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