Tag Archeve for the ‘放射線被曝’ Category



中西準子著 「原発事故と放射線のリスク学」を読んでみた

Sunday, April 6th, 2014

ちょうど福島第一原発事故から3年たった。それに合わせるように本書が出版された。著者は環境リスク学で有名な中西準子。早速購入し、読んでみた。

中西準子の著作を手にするのは、私にとっては、初めてだ。不思議なことに、いつも利用させてもらっている近所の公立の図書館には彼女の著作が一冊も納められていない。そういうこともあり、これまで環境リスクの第一人者といわれる中西準子について断片的な知識しか持ち合わせていなかった。この機会に、彼女の環境リスク研究について、そしてそれをベースにして放射線リスクがどのように扱かわれるのかを知ろうということで、自ら購入し、読んでみることにした。 (続きを読む)



佐藤康雄著 「放射能拡散予測システムSPEEDI ―なぜ活かされなかったか」を読んでみた

Thursday, March 27th, 2014

福島原発事故においては、原発事故時に住民を避難・誘導するためのシステムSPEEDIが期待された役割を果たすことができなかった。何故、肝心な事故発生時にSPEEDIは役にたたなかったのか?さまざまな見解があるようだ。
近所の公立の図書館で本書を見かけた。気象学の研究者・専門家である著者がこのSPEEDIというシステムの問題・課題をどのよう議論しているのか。興味を持った。一読してみることにした。 (続きを読む)



「住民帰還へ「個人の線量」に」なる新聞記事を読んで考えたこと

Tuesday, November 26th, 2013

日経Web刊(11/20 12:26) に「被曝基準を実質緩和 住民帰還へ「個人の線量」に 規制委決定」なる記事がでていた。この記事に触発され、福島第一事故による避難住民の帰還問題のなかで、「住民帰還の可否を決める基準とは何か?」そして「公衆の被曝線量管理に個人線量計を導入することは実効的なのか?」について考えてみた。

この問題を考えるなかで、規制委から公表されている関連資料も読んでみた。この規制委の決定・提言について、私なりの感想をのべさせてもらうと、かなりの無理があり、あまり実効的なものではないように思えた。以下、私が考えたことをメモしておいた。
(この記事、11/27に全文書き直しした。)
(続きを読む)



影浦峡著「3.11後の放射能「安全」報道を読み解く」を読んでみた

Sunday, June 30th, 2013

福島第一原発事故により東日本一帯が「放射能まみれ」になった。そうした状況のなか、報道メディアを通じ、放射能の汚染と健康被害の関係についてさまざまな情報が流された。あの混乱した状況のなかで、我々の関心は自からが判断・行動する上で必要な「確かで正確な」情報をいかに見極め、そして得るかということであった。

本書は、事故発生から1,2ヶ月間にわたる報道内容を、メディアを扱う専門家の目から分析し、その問題点を明らかにしようとしたものだ。

本書を読み終え、感想を一言、といきたいところだが、どうも釈然としない印象が残ったというのが正直なところだ。

一応読み終えたということで、少しばかり、本書とのかかわりで考えたことをメモしておいた。 (続きを読む)



安富歩著「原発危機と東大話法―傍観者の論理・欺瞞の言語―」を読んでみた

Tuesday, June 18th, 2013

ほぼ2週間前、安富歩が早川由紀夫群馬大学教授の「毒米」発言についてコメントしているのを読んだ(「原発災害とアカデミズム」を読んでみた)。そこで、「なんとも、私が忘れていた『青臭い』議論ではないか。心が洗われる」と感想を述べた。かなりの衝撃を受けたのだ。
さっそく、安富歩の著書をさがした。近所の公立図書館でみつけたのが本書だ。
読んでみた。予想通りの「青臭い」議論が展開されている。40年も前の私の学生時代によく聞いた「ラディカル」なる言葉・表現がぴったりの議論だ、と思った。
原発問題に限らず、我々の生きている日本という国・社会の在り様について、深く考えさせられた。
気づいたことなどをメモしておいた。 (続きを読む)