佐藤康雄著 「放射能拡散予測システムSPEEDI ―なぜ活かされなかったか」を読んでみた
March 27, 2014 – 5:54 pm福島原発事故においては、原発事故時に住民を避難・誘導するためのシステムSPEEDIが期待された役割を果たすことができなかった。何故、肝心な事故発生時にSPEEDIは役にたたなかったのか?さまざまな見解があるようだ。
近所の公立の図書館で本書を見かけた。気象学の研究者・専門家である著者がこのSPEEDIというシステムの問題・課題をどのよう議論しているのか。興味を持った。一読してみることにした。
本書の著者、佐藤康雄は事故発生時、
気象庁気象研究所を定年退職後7年を経て、気象研究所のある茨城県つくば市から、福島県福島市に転居して7ヶ月というところだった(p.4)
とのことだ。また、巻末に記されている著者略歴には、次のように記されている。
1982年気象庁気象大学校講師、1984年気象庁気象研究所予報研究部に転任、1993年より同応用気象研究部室長として「地球温暖化に伴う日本付近の気候変化予測の研究」に従事。2003年同環境・応用気象研究部部長、2004年定年退職。
SPEEDIモデルが扱う「移流拡散シミュレーション」研究との関わりについては:
私は気象庁気象研究所に長く勤務した。そのキャリアの後半は環境・応用研究部に所属し、自分の取り組んだ研究テーマとはやや異なったが、放射性物質、噴火の火山灰、黄砂、エアロゾル等の移流拡散シミュレーションの研究を横で聴かせてもらっている関係っだった。その時の先輩・同僚からの耳学問で、福島事故のような放射能汚染事故の場合には間髪を入れず、文部科学省のSPEEDIという移流拡散モデルが動いて、それこそスピーディーに避難支援情報が提供されるのだと聞いたことがあり、そう思いこんでいた。(p.146)
SPEEDIは何故活かされなかったか?: 本書では、SPEEDIモデルの予測性能を肯定的に評価している。SPEEDIような予測システムが有効であるとの立場から、システムの運用法そしてモデルの改善点などについて議論している。
福島原発事故時にこのシステムが有効に機能しえなかった原因について、システムが予測する結果を住民に伝える体制、さらには予測結果を伝えるにあたって必要とされるはずの気象の専門家が、安全委員会などに配置されていなかったことなどをあげ、システムを活用・運用するための組織のなかにこそ問題があるとしている。
予測情報は存在したのではあるが、問題は、
それらを解釈して(仮定の放出率に基づいた計算なので、量的には不確実であるといいう)丁寧な解説を付けて、地方自治体、国民向けに出す機関(責任を持った機関)がはっきりしなかった、あるいは、なかったことが、今回の問題の根本であると私は考える。(p.64)
というわけである。
放射性物質の移流拡散シミュレーションの有用性と本質的な限界について、本書の第5章において議論している。ここで行われている議論、私にとって、興味深いものだった。以下、私自身の個人的なメモとして残す。
放射性物質の沈着過程: 議論のなかで、私が興味をもったことのひとつは、希ガスの移流拡散では問題とならないエアロゾルなどの粒状物が大気中の移行時の地表面への沈着過程のモデル化について議論しているところだ。沈着過程をどのようにモデル化することができるのか?そしてモデルの正確さはどの程度期待できるものであるのか?興味深い。
良く知られているように、事故発生の2011年の3月15日には福島原発から放出された放射性物質は、北北西方向に放射性雲、プリュームとして移動・通過した。通過の際、降雪により大量の放射性物質が地表面に沈着した。放射性雲からの直接的な被曝に加え、地表面に沈着した放射性物質に起因する被曝が大きいことが再確認され、沈着による地表面の汚染の予測が非常に重要であることが理解される。
また、3月21日の放射性物質の放出は、福島原発から300キロ以上離れた東葛地域にまだら状の汚染をもたらした。このまだら状の汚染の予測には、大気中の放射性物質の移流拡散時の沈着過程をかなり正確にモデル化することが必要だ。
本書では、東葛地域のまだら状の汚染発生の経緯について、気象研究所環境・応用気象研究部の関山剛主任研究員の見解として次のように紹介する。
東葛地域(茨城県守谷市、取手市、千葉県柏市、我孫子市)の高濃度放射能汚染地域(いわゆるホットスポット)は原発からの北東風によって直接的に形成されたのではなくて、20日夜から、21日未明にかけて原発周辺の北~北西の風に流されて、プリュームは茨城県の海岸線からいったん太平洋上沖合に飛散し、21日朝になって、北東~東北東の風に乗って、太平洋上から東葛地方上空に飛散し、そこで降り始めた雨と遭遇し、東葛地方に沈着したと考えられるのではないかということである。(pp.89-90)
この東葛地域におけるまだら状の汚染は、「メソ気象モデルの中で移流拡散過程と雨・雪による湿性沈着過程を正確に表現するモデルにより説明可能」とするものの、このモデルの作成・開発は、気象学の最先端技術により「メソ気象モデルのなかの雨雪の降水過程の時間空間での正しい表現」、そして「雨雪による放射性物質の除去過程すなわち湿性沈着過程の正しい表現」が必要であるとされる。かなり難しい課題だという。そのあたりが記述されている部分、以下に抜粋する;
上空を飛散する放射性物質は、放射性物質単体で飛散しているのではなく、硫酸エアロゾルに取り込まれて、あるいは合体して飛散している。硫酸エアロゾルは、降り出しの弱い雨・雪で一気に沈着・除去される。したがって、湿性沈着過程を正しく計算するためには、弱い雨・雪がいつどこで降り出すかを正しく計算できなければならない。(p.92)
湿性沈着の計算には、雨・雪の予測に加え、放射性物質の輸送時の形態が必要だというのだ。放射性物質放出時の形態について産総研つくばセンターの測定が以下のように紹介されている:
(産総研つくばセンターでは、)2011年4月28日より、大気エアロゾルを13段階の粒径別に分けて捕集し、セシウム134やセシウム137を含む粒子の粒径分布と大気エアロゾルの主要成分の粒径分布を測定し、放射性セシウムは硫酸塩エアロゾル中に含まれた形態で大気中を運ばれている可能性が高いことを示した(p.94)
因みに、硫酸塩は水に非常に溶けやすいものだ。まだら状の汚染の発生を正確に表現することは気象学の先端研究を反映するかたちで、さらに研究が必要のようだ:
シミュレーションをするにあたって、 厳密なことを言えば、原発事故による放射性物質の大気中への放出以前に、背景としての平常時の大気中エアロゾルの時空分布を定量的に正しく表現できる数値モデルががなければ、放射性物質の移流、拡散、地表面への沈着過程のシミュレーションはさらに難しいことになる。また、地表面への沈着過程の数値モデル化も放射性物質単体での沈着過程というよりは、硫酸エアロゾルの乾性沈着、湿性沈着過程のモデル化の精密化が必要である。(pp.94-95)
季節に依存する移流・拡散の様相について述べている部分も興味深い。関連する部分を抜粋しておいた:
福島第一事故が発生したのは3月11日という寒候期であった。したがって、気象学的には安定成層大気中の放射性物質のプリュームの長距離輸送と雨・雪による除去すなわち湿性沈着過程で特徴づけられる。比較的典型的な移流拡散現象であったと考えられる。(p.101)
そして、
(今回の事故において)比較的結果の解釈がつきやすい汚染物質の分布状況は、寒候期の安定成層大気中の移流拡散現象だったからであり、・・・原発事故が夏の不安定大気中で起こったとしたら、放射能地上汚染の景色は、今回とはまったく異なったものになる可能性がある。(p.102)
だらだらと書きなぐったようになってしまった。本書を読んで、印象に残った部分を中心にメモしておいた。
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