デジタルとアナログ―国領二郎の議論を読んで

March 13, 2009 – 1:22 pm

先週の水曜日から日経の解説記事(やさしい経済学-経営学のフロンティア)で、国領二郎・慶大学教授による「IT時代の組織と情報戦略」が連載されている。この解説記事、IT技術の社会的な影響を考えるうえで参考になると思った。記事では、IT技術のポジティブな側面が強調されているが、私にとっては、なにかモヤモヤしたものが残る。モヤモヤした感じをそのまま書いてみた。

解説記事のなか(連載2回目)で、IT革命の本質は情報のデジタル表現にあるとされる。デジタル表現の影響について、①デジタル化による、マイクロプロセッサ能力向上の恩恵を受けやすくなること、②デジタル化によるシステムの構造、アーキテクチャへの多大な影響の2点が強調されている。

この2番目のアーキテクチャへの影響の部分について、解説記事では、次のように説明される。以下引用:

・・・ デジタル化はシステムの構造、アーキテクチャにも大きな影響を与える。ここでアーキテクチャとは大きくて複雑なシステムを、下位システムの分業構造として設計する場合の機能分担と下位システム間の相互を結ぶインターフェースの設計を指している。
 特に影響の大きいのが、インタフェースのデジタル化である。下位システム間の相互作用がデジタル信号のみで行われるような製品は切り離しがしやすい。つまり、部品化(モジュール化)されたシステムを自在に結合させて多様で新規なシステムを迅速に作る「組み合わせ型」のアーキテクチャが採用しやすくなる。・・・

簡単にまとめてしまうと、「デジタル化によりモジュール化が容易になり、多様で新規なシステムを迅速に作る」ことが可能になるというわけだ。われわれの日常的な感覚と合致する。これで社会は効率化され、我々は技術進歩の恩恵を「効率的」に受けることができるということなのだろう。

果たして、我々は、この流れ、もろ手を挙げて歓迎していいものなのか?

「デジタル」か「アナログ」か?: この解説記事の冒頭に、「『デジタル』という用語を、わが国では、感性的なものに対する、非感性的なもの、というように理解することが多いが、・・・本質を逃した理解なので要注意だ」と主張されている。この主張につづいて、デジタル化の本質的で技術的な意味としてアーキテクチャへの影響が議論されるわけだ。

「デジタルが非感性的なもの」との我々の日常的で感覚的な理解、デジタル的なものに対する違和感は、実は、デジタル化によるアーキテクチャの変化のなかにこそあるのではないかと、私は、感じるのだ。

なにかモヤモヤした感じというのは、こうしたものだ。少し、間をおいて、いつか考えてみよう。

今日はここまで。


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