嘉田滋賀県知事の「びわこ宣言」を見て・・

November 29, 2012 – 11:37 am

衆議院選挙を控え「脱原発」が重要な争点のひとつとして注目されている。滋賀県の嘉田由紀子知事による「日本未来の党」の立ち上げと、それに合流しようとする弱小政党の動きは、改めて、その流れを再確認させるものになったようだ。
この嘉田知事の会見報道を見ながら、個人的なことになってしまうが、多少思いだすことがあった。メモしておいた。

嘉田知事の「びわこ宣言」: 一昨日(11月27日)、大津市内のホテルで嘉田知事により「びわこ宣言」なるものが発表され、そのなかで「卒原発」という政策を中心に据えた「未来の党」の立ち上げが発表された。

この発表には、嘉田知事の傍らには、今や脱原発のチャンピオンとなった飯田哲也が控えているのには驚かされた。飯田哲也さん、数日前までは、「日本維新の会」のブレーンとして活躍していたひとではないか、なんて思ったからだ。変わり身が早いというより、選挙を控えて、世の中の変化が激しいといったほうがあたっているのかもしれない。

「びわこ宣言」の会見場に記憶が・・: この「びわこ宣言」の報道を見て思いだしたことがある。嘉田知事自身が会見の冒頭に述べている会見場の背景、「びわ湖」の風景におぼえがあるのだ。

私の勘違いでなければ、20数年前、「びわこ宣言」が行われたのと同じ会場で、この地域の方々を前に「原子力の安全性」について話をさせていただいたことがある。

話の内容は、「原子力の安全はどのように確保されているか」ということだった。私の記憶が正しければ、「日本原子力文化振興財団」なる組織が行っている講演会の講師として話した筈だ。私は、原子力のしくみについて、「原子力施設では、いかに高度な技術で安全が保たれているか」について、まじめに話したつもりではあった。が、しかしだ。どちらかというと、主催者側の意図は、原子力推進のキャンペーンの一環として行われていた集まりであったように思う。

20数年前に、私が「原子力推進キャンペーン」の一環として話をさせていただいたのと同じ(だと思う)会場で、「卒原発」あるいは「脱原発」に向けた「びわこ宣言」なるものが発表されているのを見て時代の変化、流れを感じた次第だ。

安全神話というけども・・: 福島第一事故の発生後、問題は「安全神話」を信じて、対策を怠ったことが問題だ、と非難されている。私が、講師として話した内容は、「いかに原子力の安全性が確保されているか」ということで、万全の安全対策をとるためになされている「努力」について話した筈だ。

こうした「努力」により、原子力の安全は確保されているはずであった。

福島第一事故により、こうした「努力」をもって「安全」と過信したことに問題があった、と非難されているのである。

しかし、だ。「原子力事故」なるものを惹き起こしてしまったら、まさに取り返しがつかない事態になるのは明白だ。福島第一事故で放射能に汚染された東日本の惨状を思うときに、「絶対安全」といえないような「原子力技術」は許してはならなかったのである。

その意味で、原子力は技術の利用は成立しない。「安全神話」を本当に成立させる技術は、原子力を進めるうえでなくてはならないものなのである。そうでなければ、原子力の利用は許してはならないのだ。

「絶対安全」な技術を確保できないことに気付いたとき、十分に小さな「確率」なんて概念が導入された。あるものは、事故確率は隕石があたるそれと同じ程度なんて、のたまった。隕石がおちてくるのはしょうがない。しかし、原発事故は人間の作り出した技術だ。同列におくべきものではない。ましてや、「確率」なんて概念を持ち込んで、原子力のリスクを受け入れろなんて誰にも言えないはずだ。

嘉田知事の「びわこ宣言」の精神のもと妥協することない「脱原発」への道が歩まれることを期待する。


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