伊藤守著「テレビは原発事故をどう伝えたのか」を読んでみた
May 21, 2013 – 1:58 pm2年前の東日本大地震そしてそれに続く福島第一原発事故にみられるような広域の「災害」に遭遇したとき、われわれは何から必要な情報を取得するのか。大部分の情報は、テレビ報道を通じて取得され、それに依拠しながら、意思決定することになる。
本書は、福島第一原発事故のメディアの役割を検証するため、「テレビ報道に限定して、しかも事故発生から初期の七日間に限定して、ドキュメントとして記録し、検証を加え(p.255)」たものだ。今回の災害・事故に際して、テレビ報道がわれわれの期待に応えるものであったかどうか、そして課題はどのようなものであったのか。本書を読みながら考えてみた。
初期報道は楽観的だった?: 津波が襲来し、15時42分には、東京電力より政府に異常事態(10条通報)が伝えられ、そして16時45分には緊急事態(15条通報)となった。政府は、原子力緊急事態を宣言し、原子力災害対策本部を設置した。それ以降、枝野官房長官の記者会見などを通じ、状況の変化・推移がを政府の立場から発表されることになる。この記者会見内容を報道することを含めて、事故の初期段階、テレビはどのように事態を報道したのか。
まず、19 時40分には、緊急事態宣言の発令等についての枝野官房長官が記者会見する。その直後のNHKの報道・解説は以下のようなものだった:
武田アナ 国が宣言した緊急事態とはどういうことなんでしょう
山崎・科学文化部記者 これはですね、原子力発電所で大きなトラブルがあった場合ですね、たとえば、放射性物質が外にでてしまうとか、住民が避難しなければならないような、大きな事象につながる可能性がある場合に、電力会社だけではなく国が全面に出て、専門家も含め、福島の防災拠点に集めて対応をとるという状況を宣言したことになります。
武田アナ 現在の状況はどうなんでしょうか。
山崎 六つの原子炉は停止していますが、まだ熱が残っているので冷やしていかないといけないその一部の原子炉で、冷やすためのポンプが正常に動いていないということで、宣言につながったわけです。ただですね、周囲に放射能がでるというようなことは、まだモニタリングポストでは観測されていないとうことなんですね。いますぐ避難が必要な事態ではない。まぁ、国も万全を期したいということで宣言を出したということです。(p.54-55)
15条通報に基づく緊急事態の宣言を受けての解説としては、なんとも呑気なものではないだろうか。「まだ熱が残っている」どころではなく、原子炉が停止しても全出力の数%の「発熱」が続いており、「ポンプが正常に動いていない」というだけでなく、原子炉の制御に必要な「全ての電源が喪失し」ていたのである。この解説では緊急事態が宣言された事態の深刻さを伝えることはできない。
この時、私自身は大地震に被災し停電のなかテレビ報道は見ていない。深刻な原発事故が発生したという事実は、そのとき唯一の情報源であった携帯ラジオを通じ、NHKのニュースではじめて知った。そのとき、私が考えたことは、「東日本大地震・個人的体験(原発事故発生を知った直後) 」に書いたとおりだ。以下、一部を再掲する:
最初に、私が福島原子力発電所の事故の発生を知ったのは、地震発生の夜、携帯ラジオで聞いたNHKニュースだ。「福島原子力発電所では、ディーゼル発電機、非常用電源ともに動作していない」(暗闇のなかで聞いたニュース、正確なニュース内容は分からない)というものだった。耳を疑った。この大震災のもとでは外部電源の確保は期待できないに違いない、とも思った。大事故に発展すると思った。
その後のニュースに注意していたが、少なくとも私には、福島原発の事象推移についての報道はなかったように思う。このままでは燃料が溶融してしまう。
NHKのラジオニュースを聞いて、事態の深刻さについて思いをめぐらしている。事故の発生している地点から私の居住地までは120キロあり、直接の被害までは想像していなかったのではあるが、大変なことが起きた、ということは分かった。ほぼ10年前には、自宅から3キロくらいのところで発生したJCO事故を体験したが、JCO事故の範囲で収まるようなものではないことはすぐ理解できた。NHKの解説にみられるように「国も万全を期したい」といって緊急事態を宣言したわけではない。まさに緊急事態が発生したのである。
「いますぐ避難が必要な事態ではない」はずであったが、緊急事態の発生を伝えた枝野官房長官の会見から、わずか2時間もたたない21時23分には、3キロ以内避難、3~10キロの範囲は屋内退避という住民避難の指示がだされた。「いますぐ避難が必要だった」のだ。
こうした事故初期段階におけるテレビ報道の様子を、本書の著者は、報道側の認識が事態の深刻さを十分に把握していなかったとして批判する。
・・・ここで指摘しておくべきは、この11日の夜の時点での報道が、一号機、二号機、三号機の全冷却装置の機能喪失という事態の深刻さを十分認識したものであったか、という根本的な問題である。「二号機の運転状態が不明で原子炉の水位が確認できない状態」にあるとの発表が東電から21時55分に行われ、核燃料棒が露出し、むき出しの状態になりつつあった。さらに、電源車による回復もできない状態が続いた。この「異例中の異例」とでも言うべき「緊急事態」となっていることを、テレビの送り手側はどれほど認識できていたのだろうか。とりわけ、民放には存在しない科学文化部をもっているNHKの責任は重い。(p.68)
そして、日付が変わって12日の3時過ぎには、枝野官房長官の記者会見により、格納容器から空気を放出する措置をとるため、放射性物質が大気中に放出される可能性があることが発表される。「閉じ込められる」はずの放射性物質が、原子炉施設の外部に放出せざるを得ないとの報道が行われたわけだ。
事故の初期段階、「専門家」は事態を正しく評価、解説できたのか?: 事故を伝える、数多くの原子力の「専門家」がテレビ報道のなかに登場する。こうした「専門家」は、原子炉の事態をどのように解説したのか、その解説は、果たして事態を正しく評価、解説していたのか。
事故発生からまもなく、事態の深刻さを伝えた「専門家」もいるにはいた:
注目されるのは、20時7分の報道で、藤田祐幸(元慶応大学助教授)が電話取材で「メルトダウンが始まりつつあるのでは・・・」という、政府見解から一歩踏み込んだコメントを出したことである。
藤田 原子炉は非常に高温にありますので、冷却を続けないといけないのです。原子炉が緊急に停止したとしても、原子炉を冷やさないとメルトダウンになる。原子炉自身が溶けて、水に触れたりすると水蒸気爆発をして、大災害になります。で、これを防ぐために、いまたぶん電源車が向かっていると思いますが、すでにメルトダウンの状態にはいっているのではないかと大変心配しています。
安藤MC ということは、冷却が行われておらず、炉心溶解といいますか、メルトダウンがもうすぐ始まりつつあるのではないか、このように推察される根拠というのはあるんでしょうか。時間というか、地震が午後2時46分に起きて、それからすでに六時間が過ぎていますが・・・。
藤田 こういう場合、一分、一秒で事態が進行していくんですね。六時間は大変長い時間なんですね。現場では、大変苦労されていると思いますが、一刻も早く電源を回復しないと、冷却を再開することができないと、大変な事態になります。(p.55 – 56)
確かに、ここに示された藤田祐幸の「解説」は、福島第一原発がメルトダウンに至っているあるいは至る可能性があることをかなり早い時期に示唆しており、事態を正しく評価しているとは言える。しかし、この解説、「専門家」というよりむしろ「反原発文化人」が、日ごろ原子力に対して抱いている危険が実際に惹き起こされたと主張しているにすぎないと受け取られてしまっている。安藤MCに「メルトダウンの状態に入っている根拠」を聞かれたところで、残念ながら、それに対して十分な解説がされていない。情報の乏しいなかでの発言でありやむを得ないものであった、と思うのではあるが・・・。
では、この段階で、いわゆる原子力の「専門家」は納得できる解説をしたのだろうか。テレビ報道に登場とした「専門家」のひとりとして東京大学教授・関村直人の解説が本書にとりあげられている。彼は、12日3時過ぎの格納容器からの空気の放出を発表した枝野官房長官の記者会見についてNHKの電話取材に対して次のように述べている:
原子力が専門の東京大学教授・関村直人さんによりますと、格納容器内の放射性物質を含む空気の外部への放出は、格納容器内の圧力を下げるために、原発の敷地内にある排気筒という煙突のような施設から、何重にも設けたフィルターで放射性物質を取り除きながら行われます。格納容器内に含まれる放射性物質の量を調べた上で、排気筒から放出した際に原発の敷地の中や外にいる人に大きな影響がないか確認しながら行われるということです。
この解説に不思議な感じを持つのは私だけか?格納容器からのベントラインに「何重にも設けたフィルター」があったなんては話は聞いたことはない、そしてその時点で「格納容器内に含まれる放射性物質の量を調べる」ほどの余裕があったのかどうか。どう考えても、この「解説」は専門家として、事故の発生している原子炉の構造、状態を把握したうえでの発言とは思えない。単に、彼の「希望的観測」といったものに過ぎないのではないか。ある意味、無責任な「解説」が行われているとの印象すら受けてしまう。
そして12日に日付が変わった頃、越塚誠一・東京大学教授がフジテレビに登場し、次のように局アナと「議論・解説」をしている:
本田アナ バッテリー切れで冷却機能が停止していた福島第一原発二号機では、(11日午後)10時に原子炉の水位は燃料棒より3メートル40センチ上回っているということです。保安院は、通常水位は5メートル40センチということで、二号機は安定している。圧力容器は十分冷やされているとの見方をしています。二号機の電源車もすでに到着していて接続作業が行われています。一方、三号機についても、二号機と同様にバッテリーが切れる恐れがあり、注水機能が切れる恐れが高まっています。しかし、こちらも水位が燃料棒の高さより4メートル50センチ上回っており、三号機用の電源車もまもなく到着する見込みだということです。保安院は、現時点では放射能漏れの恐れはないとして、引き続き情報を確認しています。
奥寺アナ 原発の中心から半径3キロ圏内の方々には、これは、念のため、ということで、避難指示が出ていますが、現時点として放射能漏れはないという発表があるわけですが・・・。それにしても、越塚先生にお伺いしたいんですが、水位が燃料棒を何センチ上回る下回る、これはもっと具体的にどういうことなんですか。
越塚 原子炉は停止した後でも、水によって冷やさなければいけません。燃料棒より水位は高くしなければならないんですけれども、いま伺っていますと3.4メートル上回っているという。そうするとですね、当面は放射能が出るというようなことは考えられない。考えにくいと思います。
奥寺アナ 燃料棒が出ると放射能が出るんですか。
越塚 いま水位が高いと発表されておりますが、これであれば恐れはないと思います。
奥寺アナ ただ、今後のことはどうなんでしょうか。
越塚 今後については、いま、電源を回復してポンプを動かして水を入れるような方法、いろんなやり方を考えて頑張っているようなので、いま3.4メートルで、これ以上下がらないように、やる必要があろうかと。
奥寺アナ 冷却する電源に問題が生じて、不具合が起きる可能性があったんだけれども別のかたちでパワーサプライできるようになったので、大丈夫だということでしょうか。
越塚 完全に電源は回復していないかと思うんですが、電源車が到着しているんですか(ここでアナが電源車が到着しています、と発言)。そうですか、そうしますとポンプも動かせるようになりますので、水の供給が回復すると思います。
奥寺アナ ということで、放射性物質が漏れる恐れはないと・・・。
越塚 現時点ではそういうことだと思います。
奥寺アナ そういう意味ではご安心いただきたいと思います。(p.75-76)
越塚の説明、前述の関村のような憶測での発言ではないということは確かだ。事態について、なんら情報を持たない、さらにいえば何の見通しも持たないまま、マスメディアに登場し、右往左往しているとしか思えない状態だ。ある意味、越塚・東大教授、何の情報も持たないままマスメディアの前面に登場させられたピエロ役を演じているようにも思えてしまう。困ったことに、越塚が、「ご安心いただきたい」と発言したかのような印象も与えてしまったようにも受け取られてしまう。
毛色の違った「専門家」も登場する。12日の午前9時55分頃にフジテレビに登場した澤田哲生だ。つぎのように発言する:
境アナ 海江田経済産業相は、福島第一原発一号機、二号機、三号機の圧力を制御するよう東京電力に命じました。これを受けて東京電力は、格納容器の圧力を下げるため格納容器の弁を開ける作業に入る予定だということです。
安藤MC 澤田先生、これはどのようなことを意味するんでしょうか。
澤田 なぜ格納容器の圧力が上がっているかなんですが、それはそもそも地震発生後、なかなかここ(パネルの圧力容器を指示)をちゃんと冷やせなかったんですが、そうしますと原子炉の核分裂を止めたとしても、通常の三%くらいの熱がじわじわと出て、それを放おっておくと、この中が熱くなって、この上部にある蒸気が増えて、圧力が高くなるんですね。・・・それはよろしくないんで、圧力容器の(蒸気を)逃がすんですね。そうしますと、その外の格納容器の圧力が上がる。そこで(圧力容器から出た蒸気に)微量ですが放射能が含まれていますので、格納容器内の放射能も弁を開けると出るんですね。・・・その外は大気中で、人が住んでいる地域にも・・・。
安藤MC そうしますと、出される放射能の量なんですが、先ほど、微量と言いましたけれど、私たち放射能と言われると、それだけで恐ろしくて、微量と言われても疑わざるをえないんですが。
澤田 安藤さん、いま、この部屋にも放射線はありますので、それが、年間、どこにでも、日本でいうと平均2.4ミリシーベルトを一年間で受けていて、どこにいようと、何をしようと。ですから、逃がしてもいいというのは、それを上まわる数値ではない。2.4ミリというのは一年間の量なんです。いま、スーッと出す量がどれほどか、正確には言えませんが、普段われわれが受け取っている2.4ミリシーベルトの何倍にはならない。
安藤MC その数値を上回るものではないと・・・。
澤田 多少、上回るかもしれませんが、そんなに心配する必要はない。
安藤MC 健康に対する被害はないと・・・。
澤田 そんなに直接、被害がでることはない。(p.81-82)
原子炉の状態について、それなりの「解説」が行なわれている。しかし、後半の健康影響の程度についての解説は「正確には言えませんが、普段われわれが受け取っている2.4ミリシーベルトの何倍にはならない」とし、「そんなに直接、被害がでることはない」とする。ある意味、原子炉の「専門家」として一般市民の危惧を打ち消し、あたかも避難あるいは屋内待機といった対応も否定しまうような解説をしている。驚くべき「解説」だ。
本書の著者、伊藤守は、事故発生の初期段階にテレビ報道に登場した「専門家」は状況判断を誤っていると批難し、何故、そうした専門家の状況判断のあやまりが生じたのか、つぎのようにコメントしている:
なぜ、専門家は状況判断を誤ったのか、政府や保安院、東電からの情報が不足していたことを理由に挙げることはできる。あるいは不正確な情報しか与えられなかった、判断に必要な情報が少なかった、ということも理由の一つかもしれない。しかし、それ以上に、彼ら原子力関係者にとって、「想定外」の混乱した状況を適切に判断する枠組みが欠如し、従来の「想定内」で思考する「正常性バイアス」が存在していたのではないだろうか。すなわち、事態が想定を超えたまったく別のステージに移行したにもかかわらず、従来の認識枠組みでしか思考できなかった。それが理由ではないか。結果として、事態の深刻さは十分に認識されず、視聴者に伝えられなかった。(p.82-83)
放射性物質が2号機から大量放出された事態を受けて「専門家」は・・・: 福島第一原発の状況はさらに悪化し、15日にいたっては圧力抑制室=サプレッションプールの圧力が3気圧から1気圧に低下し、圧力抑制室の損傷が明らかになってくる。こうした事態になって、楽観的な見解、解説をしていた「専門家」は困惑の表情を浮かべることになる。そのなかのひとり、関村直人・東大教授のNHKでの発言・解説は以下のようなものだ:
安部アナ それでは関村教授に加わっていただきます。この状況をどう考えられていますか?
関村 爆発音、衝撃音が聞こえたということ、・・・それから格納容器の圧力に変動があったということ、こういう情報が入っています。損傷やキズが、なんらかのかたちで、放射性物質が外にでていかないようにするという意味での格納容器の壁に、なんらかの損傷が起こったといことが考えられるということです。そういう可能性が出てきたということだろうと・・・。
安部アナ 仮にそういうことになりますと、どの程度の危険性がましていることになると思いますか。
関村 最終的に放射性物質を閉じ込めるという格納容器が健全であることが求められているわけですが、その一部が機能しなくなっている可能性がある。その結果として、格納容器に放射性物質があったとすると、その一部が漏れ出る可能性が出てきていると思います。
安部アナ 漏れ出る際に、気体か、液体か、ということがあるようですが。
関村 これについては、どこで損傷があったか、それについてはまだはっきりしないので、どういうかたちで外に漏れているか、どれくらい建屋にとどまるか、そういうことは早急に情報を把握する必要があると思います。
(中略)
安部アナ 放射線の値をどうご覧になっていますか。
関村 なんらかのかたちで、放射性物質が外に出ている、やや高い値が出ている、それが今後どう推移していくか、場所によってどう違うのか、まだはっきりしない、ということで、ぜひこの点を把握したいと思います。
・・・
安部アナ 関村さん、数値が高くなっているということですが・・・。
関村 500マイクロシーベルト/時、これ以上の値であると、積算で30ミリシーベルト以上の放射線量を受ける可能性があるので、一五条通報というもので、防災の観点から、たとえば10キロ圏内のみなさんに避難をお願いするということになります。その基準の値の四倍くらいの値が検出されているということです。したがって、防災の観点で、避難をどう考えたらよいか、検討する余地がでてきていると思います。
安部アナ それでは、避難区域の見直しなども必要だということですか。
関村 モニタリングをしている場所、この情報をしっかり把握していくというこことだと思います。
(p.138-141)
なんとも頼りない「解説」ではないか。視聴者が、自らの意思決定をする際に必要とする「専門家」の助言になっていない。こうしたテレビ報道における「専門家」の発言をみるに、本書の著者の表現を借りるなら「科学コミュニケーションの失敗」という状況があからさまになってきている。
ネットを通じた原子炉事故情報: 頼りないテレビ報道とそこに登場した「専門家」たちから得られる情報とは別に、ネットを通じたある意味「草の根」的に発生したメディアから原子炉情報が伝えられるような状況が現れた。こうした状況は、過去の原子力事故、TMI事故そしてチェルノブイリ事故の際には存在しなかったものだ。
こうしたネットを通じた原子炉事故情報の流布を、本書の著者は以下のように評価する。羅列することになってしまうが、著者の言説を以下に転載しておく。
これら無数の(ネット)情報が生産・流通・受容され、補完されることで、ますますテレビが発信する情報が相対化され、これまでは「それなりの信頼性のある情報を提供しているはずだ」と考えられてきたテレビ情報に対して、多くの視聴者が一層の「不信感」をいだく結果となった。(p.198)
かっては、ネットの情報は信頼性が乏しいと考えられてきた。今回の大震災でも、風評やデマがネット上で流れたことは事実である。・・・一定のメディアリテラシーがあれば、インターネットのほうが既存のマスメディアよりも有益な情報をもたらしてくれることが明らかになったのである。(p.205)
今回の大震災と原発事故は、ライフスタイルや文化の消費にかかわる領域にとどまらず災害や大事故といった社会の構成員全体にかかわる事態においてさえ、「マスメディアを介して、マス=大衆がほぼ同一の情報を共有するという構造」が崩れ去ったことを示したという点で、歴史的な転換であった。
そして、この構造的な変化のなかに、萌芽的なものとはいえ、従来のマスメディアがプラットホームとなった情報の生産・受容の情報回路とは別の社会譲歩うの回路が生まれ、その回路を基礎にして、「共同の知」あるいは「集合知」とでもいうべき新しい知の布置の関係が生まれつつある。(p.225)
・・原発事故に対するネット上の情報発信と移動、そしてその情報の共有という事態には、「集合知」を彷彿させる知の形態の現代的な生成の萌芽を垣間見ることができる。
原子力工学の専門家、原子炉設計のエンジニア、放射能汚染と健康被害の研究を行ってきた医学系の研究者、気象観測の専門家、過去にチェルノブイリ事故後の調査に入ったジャーナリスト、さらにこれまで反原発運動を地道に続けてきた市民運動家、放射能汚染を心配する子どもをもつ親たちなど、日常的な活動の分野も違えば、専門も違い、立場も違う個人が、それぞれに自らが伝いたい情報を発信し、それを受け取った者がその情報に価値があると判断すれば、その情報を選択し、転送し、他の誰かに伝える。複数のさまざまな情報が無限のループを描くように折り重ねられた情報環境の成立である。この環境にコミットする者たちにとっては、さまざまな知がネットワーク状につながり、そのバーチャルなデジタル空間上に「共同の知」ないし「集合知」が成立する。(p.227)
まとめ 東日本大震災によってもたらされて福島第一原発の事故は、事故それ自身の重大さはもちろんではあるが、これにより我が国のさまざまな社会的基盤が、いかに脆弱なものであったかをあからさまにするものであった。なかでも、本書で議論されているテレビ報道は、我々が日常生活を送る際の意思決定をするうえで重要な基盤を提供するはずであったが、震災そして原発事故の発生は、その限界を露呈することになってしまった。
さらに、もうひとつの重要な教訓として、いわゆる「専門家」と呼ばれるひとびとが、こうした緊急事態には、なんの役にたたないものであることもあからさまになってしまった。この「専門家」が助言システムとして機能しないのは、個々の「専門家」が無能であるというより、むしろ現代社会の複雑さの反映とみることがただしいのかもしれない。「専門家」個々が全体を俯瞰することが極めて困難な社会的仕組みが生じてきたともいえるのだろう。原子力システムは、その巨大複雑システムという性格からいって、まさに現代社会の複雑さの典型として考えねばならない。
こうした状況のなかで、インターネットの普及によりもたらされた新しい情報流通のしくみの役割を見据えねばならないのではないか。本書のなかで言及された「科学コミュニケーション」を成立させる新たな基盤として、ネット情報流通システムのありかたについてさらに考えてみたいと思う。
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