天皇皇后のパラオ訪問についての森本毅郎さんの「解説」
April 11, 2015 – 10:07 am昨日(4月10日)のTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」という番組の冒頭、キャスターの森本毅郎さんが天皇皇后のパラオ訪問について発言していた。
ここで、最近の一連の天皇陛下の発言そして今回のパラオ訪問の意義について、森本毅郎さんが「解説」している。
このトークを「解説」と言うべきかどうかはわからないが、実に優れたトークであると感じた。
以下、このトーク、メモしておいた:
戦後70年にあわせて太平洋戦争の激戦地パラオを訪問されていた天皇皇后両陛下ですが、日本に戻ってこられました。
これ、パラオだけでなくてですねミクロネシア連邦それからマーシャル諸島、こういうところも回られたんですね。
もの静かで、極めて思索的な旅を続けておられるという、そういう印象がわたしなんか強かったんですけれども、戦争についてもね、決して忘れてはならないと思うというふうに、言葉は静かですけれども内容は厳しい未来に向けた不戦の思いをにじまされておられました。
で、天皇皇后両陛下はですね、生涯かけてこの慰霊に取り組んでおられると、今日、東京新聞が書いていますが、最近は戦争を知る世代もだんだん少なくなってきました。記憶の継承が難しくなってきている。そのことを大変心配されているのですね、
で、戦後70年になる今年の新年の感想で、陛下はですね、この機会に満州事変にはじまるこの戦争の歴史を十分に学んで、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことなんだと、そういうふうに記されています。
これも、やっぱり、記憶の継承が難しいんだということを意識されていることなんですが。どうでしょうね。
今年80歳を迎えられたわけですが、誕生日の文書というのがあって、そこに、ですね、平和の恩恵にあずかっている私たちみんなが絶えず平和を志向して国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力をつみかさねて行くことが大事だと、これね、大変、示唆に富んだ非常に重い言葉だというふう思うのですね。
で、まあ、最近はですね、どうも、その自衛権の行使の容認とか、それから閣議決定もされましたし、与野党間の安全保障法制の整備とか、戦争できない国から出来る国へと、戦争しない国からする国へと、こういうふうに傾斜しているのではないかと見られているなかでの陛下のお言葉ですから、これは、我々はしっかりとかみしめねばならないといけないのではと、特に政治家はね、この言葉をかみしめて欲しいなとつくづく思います。
もう80歳を超えられても、自ら行動でそういうことを示しておられるのですから、そのことはしっかりと胸に畳む必要が、私たちは、あると思いますね。
政治家の靖国参拝の対極にある天皇皇后の慰霊の旅: 森本毅郎さんの冒頭トークを聞き、すぐ思い出されたのが、安倍首相の靖国参拝、そして自民党代議士の靖国集団参拝だ。
靖国参拝の意義について、安倍首相は、
「国のために戦い、倒れた方々に、手を合わせ、尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りする。(国の)リーダーとしてそういう気持ちを表すのは当然のことだろう」
そして、政権1年目における1昨年の参拝後、
「この1年の安倍政権の歩みをご報告し、二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓い、決意をお伝えするためにこの日を選んだ」
と発言している。
これらの発言、一見、「不戦」を願っているような装いをしているが、我が国が行った70年前の無謀な戦争についての反省をしているものとは思えない。むしろ、最近の安倍政権のもとで進められている自衛権の容認などを考えると、この戦争を「美化」しているようにすら感じてしまう。
天皇の「平和の恩恵にあずかっている私たちみんなが絶えず平和を志向して国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力をつみかさねて行くことが大事」との発言を安倍首相のそれと比較するとき、彼が「争いや苦しみの芽を摘み続ける努力をつみかさねて」いるようにはとても思えない。
安倍首相の参拝、そして国会議員のゾロゾロとする集団参拝をみるとき、そして彼らが「自衛権の容認」などを主張する勢力と一致するのを見るとき、この国の行く末について空恐ろしさを感じてしまう。
森本毅郎さんの「解説」にあるように、彼ら政治家こそ、天皇の今回のパラオ慰霊の行動の意義を重く考えねばならない。