兵庫県知事選挙の結果を巡る内田樹のTweet
November 21, 2024 – 2:41 pm兵庫県知事選挙の結果を受け、いろいろな言説が飛び交っている。特に、既存メディアの役割とか、SNSの弊害とかについての議論が多いように見受ける。年金生活者で、暇を持て余していることもあり、既存メディア、Twitterなどに見られる議論をできる範囲で読んでいるところだ。
選挙結果に対するリアクションのうち、いつも読んでいる内田樹のtweetが、いわゆる「進歩的文化人」の見解を代表しているように感じたので、tweet中身を転載し、それに対する私なりの感想を残しておくことにした。
11月19日の選挙結果が明らかになったあたりに内田樹は、以下のようにtweetしている。
しかし、兵庫県知事選はひどかったですね。選挙というのは民主政の根幹ですから一番たいせつなのは「ルールを守る」こと。第二が「有権者が適正な判断ができるように候補者たちについて正確な情報を提供する」ことのはずですが、どちらも果たせなかった。
選挙結果が出ると「民意に従え」と威圧的な物言いをする人間と「長いものには巻かれろ」と現状を追認する連中が出てくる。どうして、そんな過剰反応するのか。
選挙で勝ったというのは勝った候補者が真実を語っていたとか、政策が正しいとかということを意味するわけではありません。勝った人の掲げた政策が優先的に実行されるだろうというだけのことです。そして、その政策の適否については事後に検証するしかない。
最低限守るべきルールをNHK党の立花が斎藤候補応援のために介入したり、デマを流布したことを指して、「今回の兵庫県知事選はひどかった」いうのだろう。それに続いて、いくら選挙の結果がでたからといって、受け入れられないといった感想が述べられているように思う。この結果で「ことの真偽」を判断する気なんかないよ、といったところか。
そして、11月20日には次のようにtweetしている。
朝一仕事はAERAの連載。「県知事選とメディア」について900字書いて送稿。「既存メディアは信じられない」という言明をあれほど多くの市民が「昨日は雨でした」くらいのカジュアルさと確信を込めて口にするというのはかなり危機的なことです。
「メディアは信じられない」と多くの市民に思わせたのはメディアの責任です。「既存メディアは嘘をつくが、ネットには真実がある」というのも部分的にはその通りです(新聞テレビよりも質が高く、掘り下げの深いニュース解説がいくつも配信されていますから)。でも、ネット情報は玉石混淆です。
玉石混淆の情報プールから「玉」を選び出すには高いリテラシーが必要です。そのようなリテラシーをどうやって涵養するのか?骨董や刀剣の鑑定と同じなら「生まれてからずっと『ほんもの』だけを見続ける」しか確実な方法はありません。でも、質の高い情報にだけ触れ続けることは可能なんでしょうか?
「カジュアルさと確信を込めて口にする」というのは、かなりひどい言い方のように思ってしまう。なんのことはない、ネット情報は玉石混淆なのだが、そのなかから真実を探りあてるというのは容易なことではなく、「高いリテラシー」も持ち合わせてもいない多くの市民が、ネット情報を既存メディアに優るように言うのは分不相応だよ、と言っているように読んでしまう。
いわゆる「知識人」というのは、多分、多くの市民、選挙民をこのように見ているのだろう。これって、かなり危機的なことなのではと思ってしまう。
青木理の「列島民族」発言も同じ線上にいる「知識人」の発言だな。