高校野球の「トラブル」で思ったこと
August 11, 2025 – 12:01 pm広島代表の広陵高校が1回戦に勝ったあと、部員の暴力事件の疑いから2回戦目の試合を辞退するという前代未聞の事態が発生した。
この暴力事件について、文部科学大臣が「大変遺憾で、決して許される行為ではない」と発言したようだ。穏やかな話ではない。
暴力事件がこうした途中の出場辞退をしなければならなかったほどの事案であったかどうかは私の理解するところではない。
しかし、だ。こういう事態の発生をみるに、高校野球自体のありかたのなかにこそ、こうした暴力事件を生み出す問題があるのではないかと思わずにはいれない。
甲子園の開会式の風景にはいつも違和感を感じる。開会式の入場行進の様子、丸坊主の選手がロボットのような軍隊調の行進をする様を見ると、まるで彼らが意思を持たないロボットのように感じてしまう。自らの意思を持たない、あるいは持つことが許されない高校生が、ロボットのように「母校のため」に「青春」を捧げているのだ。そう感じてしまう。
もう大昔のことになるが、私の卒業した高校でも甲子園に出場したことがある。地域全体が野球チームの活躍を願って異常な状態になり、野球部員の子供たちの行為すべてが許されるような「雰囲気」になったことを記憶している。
こうした「雰囲気」を背景に、一部の野球部員は傍若無人な行為をとる。そして、そうした行為が許される。私自身も、甲子園に出場しプロ野球選手となった野球部員のひとりから、そうした屈辱的な「いやがらせ」を受けたことがある。60年以上もたった今も、その時のことは忘れられない。
高校野球そのものが、甲子園の開会式の軍隊調の行進に象徴されるような前近代的なものであり、それが広陵高校で発生した暴力事件を生み出すことになったと思うのである。ロボットと化した高校生には善悪の判断なんぞできるわけがない。
今回の広陵高校の事案は氷山の一角。高校野球のなかには、こうした暴力事案が数多くあると思わざるを得ない。
そもそも、甲子園を頂点とする高校野球運動そのものは、そろそろ考え直したほうがよい。後援する朝日新聞社、毎日新聞社は自らの行為を考えなおすべきと思う。