米原万里著「不実な美女か貞淑な醜女か」を読んでみた

October 18, 2009 – 1:10 pm

英語にしろ、フランス語にしろ、外国語を学ぶというのは容易なことではない。ひとつき前、鳩山首相が国連そしてIOC総会で英語で演説をし、「なるほど国外生活のある優れた政治家だ」、とマスコミに賞賛された。国際化時代の今、外国語に堪能でありたいと思うのは、みんなの願いだ。外国語が堪能な人の頂点にいるのはプロの通訳、この人たちは外国語というものをどのように捉えているのか。今は亡き露語通訳の米原真里さんの「不実な美女か貞淑な醜女か」を読んでみることにした。これが実に面白い。

「不実な美女か貞淑な醜女」の意味するところ: この不思議なタイトル、本書、第3章の表題だ。そこでは、「いい訳とは何か」について議論する際に座標軸、あるいは比喩としてこのフレーズが用いられている。この「座標軸」、次のように定義される:

原文に忠実かどうか、原発言を正確に伝えているかどうかという座標軸を、貞淑度をはかるものとし、原文を誤って伝えている、あるいは原文を裏切っているというような場合には不実というふうに考える。そして訳文のよさ、訳文がどれほど整っているか、響きがいいかということを、女性の容貌にたとえて、整っている場合は、美女、いかにも翻訳的なぎこちない訳文である場合には醜女というふうに分類(P.158)

誰もが望む通訳の理想は「貞淑な美女」に違いない。しかし、どんなに優れたプロの通訳であっても、「不実な美女」あるいは「貞淑な醜女」を選択せざるを得ない場面に出くわすということのようだ。本書では、さまざまなエピソードを交えながら、通訳という仕事の難しさが紹介されている。

異なる言語間でのコミュニケーションが、単なる言語の相違という問題ではおおえない、夫々の言語の背景にある文化・歴史への理解がないと、とても成り立たない事だということに、改めて、気づかされる。

面白いエピソードがちりばめられている本書、そのなかでも笑ってしまったのは、つぎの話だ。余りに面白かったのでその部分を抜粋:

 あるとき、とある商社の社長さんが、商談のためアメリカを訪れ、大変歓迎された。この社長さんは日本語しかできない。英語はできないけれど、英語ペラペラの海外市場部長というのが同行していて、
「社長、一切日本語でかまいません。私が全部訳させていただきますから、挨拶される際には全部日本語でおっしゃってください。」
 と言うので、社長はその言葉に従い、日本語で挨拶をした。しかしスピーチの最後の部分は、せっかく相手の国にきたのだからせめて一言ぐらい英語をしゃべってサービスしなくては、と思ったのか、
「ワン・プリーズ(One Please)」
と締めくくった。宴会終了後、英語ペラペラ部長は社長の傍らへ走り寄り、
「社長、最後のあれは何でしょうか」
と尋ねると、社長は得意満面の様子で、
「うん、君、あれも分からんのか。ひとつ、よろしくだよ」
と答えたという、これは実話である。(P.148)

鳩山首相の英語、大丈夫?: 鳩山首相のスローガン(?)「友愛」とかいうものらしい。私には、この言葉の意味するところ何か良くわからない。わかったようでわからない友愛、プロの通訳これをどのように訳すのだろう、なんて考えてしまった。通訳泣かせに違いない。日本語で育ってきた私がなんのことだか分からない言葉、どんなにすぐれた通訳でも訳せるわけがない(と思う)。

冒頭に触れたように、国連での首相の演説は英語で行われたようだ。果たして、この友愛なる言葉が使われたのだろうか。だとしたら、鳩山首相の意図したところは諸外国の指導者に正確に伝わったのだろうか?まさか、「友愛」なる言葉を「Friend Love」なぞとは言われなかったとは思うのだが・・・。調べてみなきゃいけないな。


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