九段会館に泊まってきた
August 5, 2009 – 11:20 am家族3人の「東京一泊旅行」であの九段会館に泊まってきた。実に、歴史の重みを感じさせるホテルであった。これまで横を車で通り過ぎることはあり、九段会館の存在は知っていた。しかし、ここに、自分が、宿泊するなぞ考えてもみなかった。いろんな意味で、想像した以上に興味深い宿泊だった。
何故、九段会館に宿泊?: 「久しぶりにブログ再開」に書いたように、家族で東京に一泊二日の「旅行」をすることにし、都心で宿泊費の安いホテルを探してみた。これで見つけたのが九段会館。家族3人で素泊まり15,000円と考えられない料金。これだ、ということで決めたのが、この九段会館だ(実際は、3連休のため、24,000円だった)。
もう一つの決め手は駐車場があるということ。都内に出かけ、一泊するということになると困るのが駐車場。この九段会館、宿泊者には、1日1000円で駐車することができる。
戦前の日本にタイムスリップ!: 我々が会館に到着するのと同時に観光バスが入ってきた。この観光バスの乗客、普通の観光客と異なる。全員が揃いのエプロンをして幸せそうな表情。どうやら、この人たち、皇居の清掃作業をするいわゆる「皇居奉仕団」のかたがたのようだ。そこで気が付く、この九段会館、普通のホテルではないのだ。
九段会館の歴史をウィンキペディアで調べてみると、以下のような記述がある:
・・・・ 昭和初期に流行した帝冠様式の建物である。旧称「軍人会館」であり、二・ニ六事件では、ここに戒厳司令部が置かれた。
運営は財団法人日本遺族会。「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸与に関する法律」により、本来は国の財産であるが日本遺族会に無償で貸出している。
- 1934年、竣工。軍の予備役・後備役の訓練、宿泊を目的に建設される。
- 1936年2月26日、通称「二・二六事件」が起こり、戒厳司令部が置かれる。
- 1945年9月、連合軍に接収。以降1957年1月まで連合軍の宿舎として使用。
- 1953年、国有化の際に名称を「九段会館」と改める。上記法律により、日本遺族会に貸出。
大変な歴史的建造物に宿泊したようだ。
我が娘、ホテルのロビーに着くなり、一言、「『三丁目の夕日』のホテルだ」という。なるほど、定かではないが、同じようなロビーが、映画の場面にでていたような気がする。
会館の周辺を散策: 朝5過ぎから会館の周辺を散策した。清水門から北の丸公園、そして武道館の前を通って、靖国神社まででかけた。結構な距離だ。
靖国神社に到着したのが丁度午前6時の開門時間。開門を待ちかねて参拝するひとが何人もいるのに驚いた。ジョギングして本殿の前を通りすぎようとした人が、守衛さんに止められ、「ここでは、走ってはいけません。ウォーキングにしてください」と注意を受けた。
この地域、何かが違う。
意識していなかったが、この周辺、戦前の日本の精神的支柱ともいえる地域のようだ。あの靖国神社がある。それに隣接するように千鳥ヶ淵がある。うかつにも、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑がほぼ同じ位置にあるとは知らなかった。
そして、武道館。この建物、確か、東京オリンピックのときに建てられた筈だ。それが1966年だったか、ビートルズの日本公演に使われている。この地域のありかたを考えると、こうした公演を右翼がよく許したものだと思う。今や、この武道館。子供たちにとっては、「矢沢永吉の公演があるところ」くらいにしか意識されていないのではないか。
なんとも歴史的な場所に宿泊したものだ。それはそれとしても、この会館、東京にでかける際には、かなり便利なところにある。