高木仁三郎が警告した巨大科学技術文明の抱える問題とは
Wednesday, May 21st, 2008我が家の本棚に、高木仁三郎の「プルトニウムの恐怖」があった。この本が発行されたのは1981年だ。その2年前、1979年にはTMI事故が発生しており、原子力に反対する機運が高まった頃に発行された書だ。30年経った今、米国では、新規に多数の原子力発電所の建設が計画されようとしている。我が国の原子力反対運動の中心にいた高木仁三郎は何を主張していたのか、改めて読み直してみることにした。
我が家の本棚に、高木仁三郎の「プルトニウムの恐怖」があった。この本が発行されたのは1981年だ。その2年前、1979年にはTMI事故が発生しており、原子力に反対する機運が高まった頃に発行された書だ。30年経った今、米国では、新規に多数の原子力発電所の建設が計画されようとしている。我が国の原子力反対運動の中心にいた高木仁三郎は何を主張していたのか、改めて読み直してみることにした。
我が家の本棚で見つけた梅棹忠夫の「知的生産の技術」に触発されて、『知』の生産、発想について、関連しそうな本を古い順に読みながら、3つのブログ記事を書いてきた。これまでに取り上げた本、いずれも、インターネットが普及する前に出版されたものだ。計算機、さらにはインターネットの普及が、『知』の生産とか発想とかにどのような意味を持つのか考えてみようと思ったのだ。インターネットが本格的に普及したあと、どのように、この『知』の生産・発想が議論されているかと思い、図書館で関連する本を探してみた。見つけたのが梅田望夫著「ウェブ進化論」だ。ウェブ時代の「若者?」の主張を知る上で興味深かった。著者の、Web時代の可能性に対する熱い思いが伝わってくる。また、同時に、その危うさも。
前回、前々回、梅棹忠夫の「知的生産の技術」に触発されて、人間の「知の生産」「発想」ということについて、いろいろ考えてみた。関連する図書は、ということで近所の図書館に行ってみると、表題の立花隆の本にでくわした。立花隆といえば、どこかで「知の巨人」なんて紹介されていた。「知」といえば、この人か、ということで、早速、借りて読んでみた。なるほどと思うところも多かった。KJ法のくだりは、前回書いた。ここでは、その他、興味深く感じた部分、参考になったと思った部分について、抜書きしておいた。
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前回エントリーの梅棹忠夫「知的生産の技術」の出版に先立って、1967年には、川喜田二郎著の『発想法-創造性開発のために-』が発行されている。どちらもフィールド研究の経験に基づき、発見、発想、言い換えると新しい『知』を生み出すための手法を提案・紹介しているものだ。『発想法』も、私の書棚に眠っていた。『知的生産の技術』にあわせて読み直してみた。
ブログサイトを開設し、試みに記事を書いていて理解したことのひとつに、ブログツールが情報発信手段という側面だけでなく、自らの考えをまとめるうえで、非常に有効なツールであるということだ。最近、本棚の新書版のなかに、梅棹忠夫著の『知的生産の技術』を見つけた。この本、1969年7月21日、第一刷発行となっている。私の学生時代、ほぼ40年前に、購入したものだ。この本に提案・紹介されている「知的生産」のための方法が、現代、ブログツールとして実現されているのではとの印象を強く持った。