高木仁三郎が警告した巨大科学技術文明の抱える問題とは
May 21, 2008 – 10:55 pm我が家の本棚に、高木仁三郎の「プルトニウムの恐怖」があった。この本が発行されたのは1981年だ。その2年前、1979年にはTMI事故が発生しており、原子力に反対する機運が高まった頃に発行された書だ。30年経った今、米国では、新規に多数の原子力発電所の建設が計画されようとしている。我が国の原子力反対運動の中心にいた高木仁三郎は何を主張していたのか、改めて読み直してみることにした。
「プルトニウムの恐怖」は、岩波新書(黄版)として1981年11月20日に第一刷が発行されている。我が家の本棚にあるのは、1982年3月15日の第二刷である。本書の著者紹介では、高木仁三郎は1938年群馬県に生まれ、1961年に東京大学理学部卒業となっている。その当時の職は、プルトニウム研究会会員、原子力資料情報員と紹介されている。
ウィキペディアで「高木仁三郎」の項をみると、略歴の最初に、1961年日本原子力事業に入社、1965年に、東大原子核研究所助手、そして、1969年には東京都立大学助教授に就任したのち、1973年には同大学を退職。そして1974年にプルトニウム問題を考える自主グループ「プルトニウム研究会」を組織。そして1975年に、原子力資料情報室専従世話人となったと紹介されている。私の理解では、「原子力資料情報室」は日本の反原発の中心的な市民団体だ。この運動を、本格的に開始して5~6年後に書かれたのが、この「プルトニウムの恐怖」だ。
TMI事故をどのように捉えていたのか: TMI事故の2年後に出版されたこともあり、本書には、TMI事故について16ページの紙数をさいて分析、記述されている。この事故直後、事故原因は「信じられない人為ミス」とされ、その後、原子力分野におけるヒューマンファクタ研究が大々的に実施された。さて、高木仁三郎は、この事故からどのような教訓を学び取ったのか? 私が重要と感じた部分について引用してみよう;
・・・原子力のような巨大科学技術の場では、ひとつの誤りが取り返しのつかない大事故を呼び起こしうるということだ。その意味では、これは「誤りの許されない技術」である。実際この事故(TMI事故)の後では、運転員の資格が問題とされ、教育訓練の強化が言われ、運転員の身元調査や精神鑑定の徹底といったことさえ叫ばれた。訓練の強化は確かに必要だろう。しかし、そうやって人間から「誤り」を奪ってしまうことが、はたしてできるだろうか、できたとして、管理強化への志向は、はたして賢明なことだろうか。私はここに巨大科学技術のひとつの大きな問題があると思う。
巨大科学技術は、管理強化を通じて、人間や機械を次第に完全な無謬性へと追い込んでいく。しかし、それはきわめて非人間的なことではないだろうか。私はとうてい誤りから自由になれそうもないし、誤りの許されない社会も窮屈でいやだ。「誤りの許される社会や技術」に向かって歩むほうが賢明なのではないだろうか。誤ってもよいほどの「小さな技術」の方が、より人間的だと思えるのである。(p.60)
ここに、高木仁三郎の原子力に代表される巨大科学技術に対する立場が鮮明に現れているとおもう。「人間から『誤り』を奪ってしまう」ことはできないこと、そうした試みが『管理強化』を志向するものであることに、巨大科学技術の問題を見る。そして、より人間的な「誤ってもよいほどの『小さな技術』を志向する立場である。そして、この「管理強化」という観点は、TMI事故に対する議論にとどまることなく、来るべきプルトニウム社会の必然的な『管理社会化』(p.179)、そして原子力事故に対する防災体制が導く社会、『管理社会』の到来に対する警告とつながる。
・・・・事故時の避難が混乱なく実施されるには、情報の徹底と同時に余分な混乱を避けるための情報の管理が必要となろう。強力な権力に支えられた統一的な行動も必要となる。・・・・ これらが二四時間的に機能する体制が必要なのである。人々の動きが常に把握されているような強力な管理体制がないかぎり、それは不可能に近い。(p.191)
巨大科学技術が導く人間の倫理的退廃: さらに、こうした管理社会の到来とは、つながりはあるものの異なった視点として、巨大科学技術が持つ本質的な問題として、人間の倫理的退廃があるとする;
巨大科学技術は、その全体のシステムが巨大化すればするほど、これにかかわる科学技術者・管理者・労働者・行政者を、細分化した専門家に仕立て上げる。そうしないかぎり、高度の専門性を必要とする無数の部分からなりたつシステムを支えられないからだ。このことは、ひとりひとりの人間の人間としての全体を次第に部分化させ、単一の機能にのみ忠実な人間を生み出していくことになり、社会全体にとっても、その全体システムに対して責任をもとうとする人がなくなっていくことになり、倫理的に大きな危機を生む。ひとりひとりが部分しか見ず、また将来のこと、子供や孫たちの住むべき環境のこと考えないとしたら、社会は確実に生命力を失い、精神的に疲弊して行く。(p.197)
というのだ。彼、高木仁三郎は、「原子力が近代科学技術文明が行き着いた最も先端的なシステム」とし、原子力問題を論じ、そのなかで、原子力問題を超えた科学技術文明の持つ本質的な問題を指摘・警告している。
ありうべき科学技術とは? さて、科学技術文明の限界を指摘・警告した高木仁三郎は、どのような社会を、ありうべきものとしてイメージするのか?
(ありうべき科学技術の)イメージをひとことでいえば、人間の社会とこの地上の自然にみあった大きさと強さと、時間と質をもった科学技術ということになろう。・・・・ これは、自然と社会(人間)に対して開かれたシステムである。・・・・ 自然に対して開かれているということは、科学や技術のプロセス、つまり広い意味での生産の過程が、自然の物質循環から切り離されていない、ということである。・・・・ 工業生産も生産―消費―リサイクルの組み合わせによって自然の物質循環にそっていくことは不可能ではないだろう。そこにまた労働が、生活のための単なる手段としての性格をこえて、自然と人間との交流、自然への主体的働きかけ、という本来の意味を回復する契機もある。いやそういう方向に進まないかぎり、・・・ この社会は出口のない状態に追い込まれる。 ・・・・ 私がイメージする方向に歩みだし、人と自然とが、そして人と人とがよりよい付き合い方をするために、私たちが知り、身につけるべきことはかぎりなく多い。そのために努力することは、より人間的な社会に向けた創造的な作業であって、後ろ向きのものではない。 ・・・・ ありうべき科学技術の方向づけも、お互いがそれぞれの多様性を重んじながら、対等に傷つけ合わずに生き続けうるような社会を生み出す努力の一環として行わねばならないだろう。(p.212-215)
ここで述べられている方向性は、今、問題になっている地球温暖化問題など、原子力問題を超えた諸問題について、直接、我々に問いかけてくるものと思う。これまで、科学技術は、我々の生活を豊かにしてきたのは確かだ。科学技術の進歩による矛盾、ひずみ、破綻は、高木が警告するように深刻な事態を引き起こしつつあることも確かだ。この「プルトニウムの恐怖」が出版された時代にはなかった数々の問題が、今、おきつつあるように思う。これらの問題は、我々が手にした科学という『知』の拡充・発展を、「お互いがそれぞれの多様性を重んじながら、対等に傷つけ合わずに生き続けるうるような社会を生み出す努力の一環」とすることでしか解決できないことなのだろう。
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