「粉ミルクからセシウム検出」の報道で考えたこと
Friday, December 9th, 201112月6日に、明治の粉ミルクから放射性セシウムが検出されたと報道された。
このニュース、汚染のレベルの大小というより、むしろ、わたしが想像していなかった汚染経路が存在することに気づかされたこと、そして汚染を最初に見つけたのが市民団体であったことの2点で、私にとっては、かなり衝撃的なものであった。
ニュースの内容とこれに関連して私の考えたことをメモしておいた。 (続きを読む)
12月6日に、明治の粉ミルクから放射性セシウムが検出されたと報道された。
このニュース、汚染のレベルの大小というより、むしろ、わたしが想像していなかった汚染経路が存在することに気づかされたこと、そして汚染を最初に見つけたのが市民団体であったことの2点で、私にとっては、かなり衝撃的なものであった。
ニュースの内容とこれに関連して私の考えたことをメモしておいた。 (続きを読む)
高木仁三郎著作集の第2巻に右のような図が載せられている。この図は、チェルノブィリ事故後に西ドイツの雑誌に「西ドイツの子供の新生児死亡数」として掲載されたものだという。随分前に刊行された資料に示されたものではあるが、福島の事故を経験した今ながめると、かなり不気味なデータではないかと思ってしまう。
さて、この図から我々は何を読み取るべきなのか?ここに示されているデータをどのように解釈すればいいのか? (続きを読む)
環境中の放射性物質からの被曝をさける方策のひとつとして、個々人が「食べものに気をつける」ということがあげられる。「食べものに気をつける」という点で興味深いデータが、高木仁三郎著作集の第2巻に収められた「食卓にのぼった死の灰」にあった。右図に示すものだ。
この図は、チェルノブィリ事故の際に、ドイツ・ハンブルクで人体中のセシウム(134+137)を「食物に気をつかわなかった人」と「食物に気をつけた人」のグループそれぞれについて人体中の放射能の時間変化を示したものだという。 (続きを読む)
原発事故がらみの本をさがしているなかで見かけたのが本書だ。
読後感をひとことでいわせてもらうと、なんとも後味が悪い本であった、といったところだ。
福島第一の事故が発生した今、原子力推進側に立っていたと著者が判定した「文化人」たちを槍玉に挙げ、糾弾している。
こうした糾弾をすることが、フクシマ後にどのように作用するのか、私には定かではない。むしろ、ネガティブな効果しか与えないのでは、と感じてしまった。 (続きを読む)
放射線への被曝を安全か危険かを判断するうえで、法的な基準値あるいは「許容線量」が重要な役割をおっている。この基準値、「許容線量」がどのように考えられ、設定されたかということについては、なかなか難しい問題が含まれている。特に、健康影響がすぐには現われない低線量域の被曝についてどのように考えるべきかは簡単ではない。
最近、近所の公立図書館で武谷三男編の「原子力発電」を見つけ、借りてきた。このなかに、許容線量の歴史的な変化についての資料があった。なるほどと思わせるものだった。メモしておいた。 (続きを読む)