福島第一事故による放射線被曝をどう考えればよいか(その1)

April 17, 2011 – 8:38 pm

福島第一原子力発電所の事故により周辺環境が放射能に汚染され、放射線による健康影響をどのように考えればよいのか、ということについて関心が高まっている。30年以上も前になるが、原子力発電所から放出される放射能にたいする被曝評価に係わる仕事に従事していた経験を持っている。こうした経験から、一般の方々に、放射線被曝をどのように捉えるべきか、何か伝えるべきではないか、と事故発生以来、考えてきた。

今回の福島第一の事故で、私の周辺の方々から、事故に伴い報道される放射線の量は「安全ですか、危険ですか?」と質問を受けることが多い。この問いに応えるには、まず、放射線とはどのようなものか、被曝により健康影響はどのように現われるものなのか、について説明することが必要なのではないか、と思う。ところが、このあたりをきちんと説明しようとすると、結構大変というのが実感だ。 (続きを読む)



TMI事故で避難者に支払われた保険金

April 11, 2011 – 6:30 pm

福島第一原発の事故では、半径20Km圏内の住民の方々に対して避難指示がでている。そして今日、「福島県葛尾村、浪江町、飯館村、及び川俣町の一部と南相馬市の一部について『計画的避難区域』として、避難対象に加える」(asahi.com記事(4/11) )との方針が示されたようだ。 (続きを読む)



東日本大地震・個人的体験(原発事故発生を知った直後)

April 4, 2011 – 4:27 pm

今回の大地震、その規模のすごさに加えて、福島原子力発電所に事故が発生したことが、今までにない災害となったといえる。地震、津波という自然災害だけでなく、人工物による苦難が、災害の質を大きく変えている。原子力関連の組織で働いていたものとしては、まさに驚愕の事態だ。

地震発生から3週間も経過した今日、未だ、問題解決の見通しもはっきりしない状態が続いている。

この原子力事故について、詳しい情報も持たない状態で憶測だけでブログ記事を書くことは、正しくないことと思う。しかし、この原発事故の発生を知った際の「個人的に考えた」ことを書き留めておくことは、記録として、それなりの意味を持つと考えた。 (続きを読む)



東日本大地震・個人的体験(被災時に困ったこと、役立ったこと)

April 4, 2011 – 12:46 pm

地震発生後、延べ4日間の停電そして約10日間にわたって水道が止まった。電車は、ほぼ3週間にわたって不通。そして高速道路は寸断され(緊急支援車以外の通行が禁止されたこともあるが)回復まで20日間程度かかった。大げさに言うと「陸の孤島状態」がしばらく続いた。

地震直後に想像していた以上にいわゆるライフラインの復旧に時間がかかった。ライフラインが寸断された状態でも生活しなくてはならない。今回の経験、この種の災害に対する(個人的な)備えを今後どのようにしておくべきかを教えてくれたような気がする。

被災時に困ったこと、役立ったものなどについて思いつくまま書いておくことにした。 (続きを読む)



東日本大地震・個人的体験(地震直後)

April 2, 2011 – 3:37 pm

3月11日に発生した東日本大地震から3週間たった。今回の地震被害、特に津波による被害は、私の想像をはるかに超えるものだった。私の住む茨城県でも、未だに強い余震が続いている。
東北地方沿岸部の被害に比べるととるに足らないものであるが、我が家でも、壁に多少の亀裂が生じるとか、引き戸の窓がはずれるなど、それなりの被害を受けた。
この震災以来、ブログを書くことを休止していた。ブログを書く精神的余裕がなかった、ということでもある。
地震発生から3週間経った今、この地震についての個人的な体験、地震直後から考えたことを、忘れないうちに記録しておくことにした。
後々、多少の役にたつことがあるかもしれない。以下、地震直後の話だ。 (続きを読む)