三菱自の燃費不正問題は企業文化・風土が原因!?
May 9, 2016 – 12:14 pm日経(5/9付朝刊)のコラムで「懲りない三菱自動車」と題して三菱自の燃費不正とその組織の抱える問題について解説されている。
なるほどと思わせる解説記事だ。記事の最後は、「根本の原因はやはり、自浄作用に欠ける三菱自の文化や風土にある。」と締めくくられている。
なにか問題が起こると、結局は、(組織の)「文化」とか「風土」にあるとされるのが定番。
この解説記事を読んで、私がお世話になった原子力関連組織も同じだなと思ってしまった。福島第一事故のあと、「安全神話」「安全文化の欠如」「原子力村の論理」などと「文化」「風土」が、あの大事故の背景にあったと議論されたのを思い出したのだ。
自動車業界にしても原子力業界にしても、どんな組織、分野においても、何か大きな問題が起きると「自浄作用に欠ける文化や風土」に「根本の原因」があるとされると、誰も否定できない。「文化」、「風土」はまさに問題の「核心」なのだ。。
しかし、(組織の)「文化」「風土」が議論の遡上にのぼると、もうお手上げといったところが実感だ。今回問題を引き起こした三菱自動車は、パリ・ダカールラリーを制覇した栄光の「三菱自動車」だ。燃費不正問題を起こしたのと同じ(?)「文化」「風土」のなかで、あの栄光は勝ち取られたのではなかったのか。
だとすると、ある特定の「文化」「風土」は、積極的な面と否定的な面、両面を持ち合わせていると考えるのがよさそうだ。
日経の記事では、三菱自のリコール問題のときには、社内改革に向けて聞き取り調査などがおこなわれ、そこでは、今回の燃費不正問題につながるさまざまな声が寄せられたことを紹介し、まさにそうした社内の声が三菱自の改革に生かされなかったことが問題とされる。
社内の声として、以下のようなものが紹介されている:
「組織がたこつぼ(極度に縦割り)化していて横串がとっていない」
「人事異動が少ないから不正が防げない」
「上を見て発言を控える習慣が染みついている」
「2度目の失敗を防ぐ教育の仕組みが不十分」
「試作品レベルのものを売り出して結果的に不具合対応になっている」
「実施すべき実験は多くあるが、予算がないのでパターンを減らしている」
これらの声、もっともと思う。しかし、「組織のたこつぼ化」を避けようとすると、個々の組織の自立性が妨げられワンマン経営への道を拓いてしまうことだってあるのではないか。特定の声の持つ中身は、積極的、否定的の両面があることを意識しなくてはならない。
勢い、組織の「風土」「文化」が問題にされはじめたら、その組織には退場をお願いしたほうが良いのではないか、と思ってしまう。
三菱自動車も原子力業界も、退場してもらうのが最良だ。
なんて言ったら身も蓋もないか