三菱自動車には愛想を尽かした

April 24, 2016 – 2:58 pm

三菱自動車_2016-04-22
ここに掲げたチャート図、4月20日から22日まで3日間の三菱自動車の株価の変化をプロットしたものだ。20日に急落しているのがわかるだろう。この「異変」により、わずかばかりの三菱自動車の株を持っていた弱小株主の私は「株主責任」を取ることになってしまった。

因みに、この株式チャート図、本ブログの「Web公開情報から株価を自動取得しFlotでチャート化」で公開したツールを用いて作成したもの。この図でわかるように、不正が公になった20日の次の日の21日は取引が成立しなかった。結局、翌々日、22日になって、やっと取引が成立し20日の2時時点から40%減で手持ちの全株を手放した。

一体何が起きたのか?
冒頭のチャート図に示したストップ安までの株価の急落は、三菱自動車による燃費試験の不正が明らかになり当日午後5時に社長が会見するとの報道があったことによる。

社長会見の報が何時あったのかは定かではないが、株取引が終了する3時までの45分前にこの事態に反応して株価が急落している。一般の個人株主がこんな事態に即座に対応することはできない。

我々個人株主は、どんな大きな会社とはいえ、過去に問題を起こしたような会社に投資するようなことはよしたほうがよさそうだ。これが、私にとっての、今回の教訓だ。

翌4月21日の日経朝刊1面トップで三菱自動車の不正について報じている。見出し、リード文は次の通り:

三菱自 燃費不正62万台 –軽4車種、意図的に 日産にも供給
三菱自動車は20日、軽自動車4車種で燃費を実際より良く見せる不正を意図的に行っていたと発表した。合計62万5千台が対象で、車を供給する日産自動車の指摘で発覚した。三菱自は2000年以降のリコール(回収・無償修理)隠し問題で経営危機に陥った。新たな不祥事により経営責任と企業体質が問われそうだ。

実は、私、1970年終わりから3年前にマツダのマツダ・ベリーサにくら替えするまで、ほぼ40年の間、三菱のギャランを愛車としていた。2000年のリコール隠し問題による経営危機がありながら、わずかばかりではあるが三菱自動車の株をも取得し、その復活を信じ応援していた。三菱の車の性能に「惚れ」、これに引き続き力をそそいでいた電気自動車の技術に期待していたいた。

3年前には、やっと経営再建も軌道にのり株式の配当も期待される状態まで復活したと思っていた、この矢先に、今回の不祥事である。

数日前まで株主であった立場から言わせてもらおう。3年前に車をコンパクトカーにしようと、いろいろな会社のディーラーをのぞいてみたことがある。当然のことながら、三菱自動車のディーラーにもでかけてみた。

残念ながら、年金生活者となった私に合うような車は、三菱のディーラーで、でくわすことはなく、より安価でそれなりの性能と感じたマツダにのりかえることになった。そのとき感じたことのひとつは、三菱自動車のラインナップの貧困さだ。それに加えて、ディーラーの店員の「横柄な」態度。これには辟易した。でくわした店員個人のキャラだとおもっていたが、今回の事件を通じて、ひょっとしたら三菱自動車の雰囲気、士気が末端のディーラーにまで反映していたのではと思ってしまった。

この三菱自動車という会社、三菱グループという後ろ盾、支援により経営破たんは避けられるような感じもしなくはない。2000年、2004年の不祥事による経営危機の際には、結局は、それにより存続したように思う。しかし、今回こそは、このまま破たんさせてしまったほうが良いように思う。社長の記者会見で、「コンプライアンスを守ることは本当に難しい」との発言を聞いて、もう手をつけられないな、と思った。

日本航空のように完全に破たんさせて出直すことしか道はない。実は、私、日本航空の破たん時にも「株主責任」を取らされたことがあった。親方日の丸をあてにするような企業に投資する価値はないことをそのときに学んだ。「親方三菱」をあてにするような会社には、全くもって投資する価値はない。

今回は、さっさと破たん処理をさせることが大切だ。

本当に愛想を尽かしてしまった。


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