終戦70年を迎え『戦争に反対する』とはどういうことかを考えた

August 15, 2015 – 9:37 pm

今日で我が国があの無謀な戦争に負けて70年経った。

昨日は、安倍内閣は「70年談話」で「積極的平和主義の旗を高く掲げる」とした。そして今日は全国戦没者追悼式で、天皇陛下は「さきの大戦に対する深い反省」に言及された。

ふたつの談話・挨拶はともに無謀な戦争に対し反省するとしている。しかし、安倍内閣のそれは『積極的平和主義』という戦争への道を歩むものとしか考えられない。強く反対したい。

戦争に反対することとは
団塊の世代の私にとって、先の大戦の教訓は「いかなる旗もかかげず」ひたすら「戦争に反対する」ということと考えてきた。
「戦争に反対する」ということとは、それにつきる。
その考えはいまに至っても変わらない。

私が学生時代を過ごした60年代末には「戦争に反対する」ことには何の疑問もなかったように思う。そのなかで青春を過ごした。

戦後間もなく草の根で高まった母親運動は「子供たちに再び銃をもたせない」というスローガンだった。60年安保闘争においては、日本が再び戦争への道を歩むことに反対する思いが底流にあった。そして私が学生時代を過ごした60年代末はベトナム反戦運動が大きなうねりになったが、当時の学生運動の底流にも、この反戦の運動があったと思う。

最近の自民党若手代議士の発言を聞くとき、私が生きてきた時代が全否定されたように思い、本当に身震いをするようだ。正気のさたではない。

反戦とフォークソング
私の学生時代、メッセージ性の強いフォークソングが数多く作られ、歌われた。そのなかのいくつは反戦フォークと呼ばれるものだった。YouTubeのなかを覗いてみると、当時の反戦フォークを聞ける。

私の今の思いに一致する反戦フォークに加川良の「教訓Ⅰ」がある。この歌、日本がPKO 活動なるものに手を染め始めたとき「放送禁止歌」の対象になったという。安倍政権が『積極的平和主義』の旗を掲げて我が国を「普通の国」にしたときには、この反戦フォークYouTubeのなかからも公権力により削除されてしまうかもしれない。

反戦の願いを込めて、YouTubeの加川良の「教訓Ⅰ」にリンクを張っておいた:

もうひとつ、私の思いと一致する曲に、武満徹作曲、谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」がある。これは1965年のベトナム戦争のさなかに作られたものだ。YouTubeのなかで石川セリのうたったものが アップされたのでこれにもリンクを張っておいた(リンクできなくなったので、森山良子に差し替え -テースト違うけど!!–):

https://youtu.be/VGMPUs4-yMY

 
最後に
うえにアップしたふたつの曲、1960年代になんの抵抗もなく聞いた楽曲だ。果たして今、当時と同じ感覚でこの曲に接することが普通だろうか?

敗戦から70年経った今日、「普通の国」になろうとする動き、勢力に強く反対する。


Post a Comment