トランプとゼレンスキーが口論するのを見て思ったこと

March 5, 2025 – 12:10 pm

3月1日にホワイトハウスで行われた米ウクライナ首脳会談の決裂には驚いた。

このやり取りを見ながらいろいろ考えた。この会議の教訓は、我が国を含め、全ての国が自国の安全保障は自らが責任を持ち、構築しなくてはならないということだ。アメリカとの同盟関係とか核の傘とかいうが、ひとたびトランプのように自国優先を唱える指導者が現れるとひとたまりもない。

会議でゼレンスキーは一時的な停戦があったとしても、ロシア・プーチンの新たな侵攻に対する保証がなければ、平和とならないと過去のいきさつを振り返りながら懸命に主張しようとした。こうした議論のなかで、彼の主張は、アメリカへの感謝の念のない、ふとどきなものと一蹴されてしまった。アメリカの立場にたてば、ある意味当然のことなのだろう。

結果、ウクライナへの軍事支援は、しばらく停止されるということになった。支援の再開には、ゼレンスキーの「謝罪」、アメリカの意向に沿った停戦の道筋をウクライナが認めるべきということらしい。一言でいうと、アメリカの支援を受けるためには、ウクライナは、屈辱的な白旗をあげねばならない。

日経電子版(3/5 1:49配信)には、「ゼレンスキー氏、口論「遺憾」 トランプ氏に関係修復訴え」と題する記事がでている。このなかには、次のようなゼレンスキーの反応が報じられている:

ゼレンスキー氏はX(旧ツイッター)への長文の投稿で、米側が支援停止の理由に和平努力への非協力を挙げていることを念頭に「私はトランプ氏の強力な指導力のもと、永続的な平和を実現するために取り組む準備ができている」と表明した。

これを読むとき、小国の指導者の悲哀というものを感じてしまう。

我が国も、アメリカの核の傘とか呑気なことを言っているわけにはいかない。戦後80年経った今、はじめての危機のはじまりではないかと思ってしまう。
 


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