「なぜメルケルは「転向」したのか」を読んでみた

February 2, 2016 – 10:38 pm

福島原発の事故からほぼ5年が経過した。九電川内原発に続き、関電高浜原発3号機が再稼働した。福島原発の事故は、我々にとって一体何だったのかと思う毎日だ。

福島の原発事故のあと、ドイツ首相メルケルが原子力に対する態度を180度変えたことは記憶に新しい。いまさらとは思ったが、我が国とは全く異なった選択を何故ドイツがとったのか、あらためて知ることができればと思い本書を読んでみた。

印象に残ったところをメモしておいた。

連邦会議におけるメルケルの演説:
メルケルは、2011年6月9日に連邦議会において行った演説で原子力に対する自らの態度を変えたことを明らかにした。

本書で紹介されている演説の一部を以下に引用・転載:

・・原子力の残余のリスクは、人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ、受け入れることができます。
しかしその残余のリスクが実際に原子炉事故につながった場合、被害は空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及び、他のすべてのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります。私は福島事故の前には、原子力の残余のリスクを受け入れていました。高い安全水準を持ったハイテク国家では、残余のリスクが現実の事故につながることはないと確信していたからです。しかし、今やその事故が現実に起こってしまいました。
・・福島事故が我々に突き付けている最も重要な問題は、リスクの想定と、事故の確率分析がどの程度信頼できるのかという点です。なぜなら、これらの分析は我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で、価格が高すぎず、環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです。(pp.33-34)

この演説のなかで、「高い安全水準を持ったハイテク国家では残余のリスクが現実の事故につながることはない」との確信は、福島事故の発生により崩れ去り、これまで依拠していた「リスクの想定と、事故の確率分析」が信頼に足りないものとなったのである。

安全なエネルギー供給に関する倫理委員会
福島事故後、メルケルは二つの委員会、即ち「原子炉安全委員会(RSK)」と「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」に助言を求めた。このうち、メルケルが原子力に対する態度を定めるにあたって、技術的専門家の集団「原子炉安全委員会(RSK)」より後者の「倫理委員会」の主張に重きを置いたといわれる。「倫理委員会」は、社会学者や哲学者、宗教関係者など、エネルギー問題とは無縁の知識人が大半であった。

この「倫理委員会」のメンバーのひとりに、元ミュンヘン大学の社会学教授、リスク社会学が専門のウルリヒ・ベックがいた。彼は「福島事故の以前から原子力に批判的な内容の著作を発表していたことで知られる」ようだ。

このベックの主張は、原子力のリスクについて考えるうえで非常に重要だ。特に、原子力リスクと損害保険との関わりについての彼の主張は、私が原子力に対して持つところと一致する。

以下、ベックの主張するところで本書に紹介されている部分を転載する:

「倫理委員会」においてベックは、

「損害保険会社は、原子炉事故をカバーしない。このため原子炉事故が起きたら政府つまり納税者がつけを払わされる。だが技術者の研究活動によって生じるコストは、本来その産業が支払うべきだ。もしも法律で電力会社に原子炉事故のための賠償責任保険を買うように強制したら、保険料は高額になり、原子力による電力は安いというお伽噺に終止符を打つだろう。脱原子力は、経済問題なのだ」(p.176)

と主張したという。

さらに、彼は、

原子力産業を民間企業に任せておくことは難しいと主張する。近代社会は、「あらゆる最悪事態について、組織的な備えが行われている」という前提に成り立っている。だが福島事故のように、特定の事態が「起こり得ない」と想定されていたのに、それが実際に発生した場合、社会はそうした事態に対して準備ができていないことになる。ベックは「福島事故直後に日本政府が見せた混乱ぶりに、そのことが表れている」と言う。(p.177)

損害保険の対象とされない原子力産業
ベックの主張にみられるように、原子力事故による被害は民間の損害保険会社によっては保障されない。このことは、ドイツに限らず、わが国でも同様だ。その理由は簡単だ。原子力事故により発生する被害が「空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及ぶ」ため、保障の対象として取り扱うことができないからだ。

損害保険の対象として考えることもできないような災害を引き起こすリスクを我々は受け入れることができないのは当然ではないか。

損害保険の対象とすることのできる他産業のもたらすリスクと原子力産業のそれとを同じ枠組みで扱うことはできない。


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