放射線障害のメカニズムからの説明(児玉龍彦の解説を読んで)
June 7, 2013 – 12:38 am「低線量被曝のモラル」を読んだ。そのなかに、島園進(東大教授:宗教学)そして一ノ瀬正樹(東大教授:哲学)が聞き手になって児玉龍彦(東大アイソトープ総合センター長)から放射線被曝、除染などの話を聞く鼎談(「討論2 何をなすべきか?」)が収められている。
ここで、児玉龍彦が放射線によるがんの発生メカニズムについて非常に興味深い話をしている。チェルノブイリにおける甲状腺がんの子どもたちの染色体が特異的なかたちで障害をうけているということ、さらにはこの特定の領域(バリンドローム変異がおこる領域)でおこったがんは放射線障害の可能性が高いというのだ。
もし、この話が正しいということになると、放射線障害に起因するがんは他のがんと区別できる、言い換えると非特異的ではなくなってしまい低線量被曝の健康影響の評価のありかたがいっぺんに変わってしまうことになる。これは大変な話だ。
メモしておくことにした。
「チェルノブイリにみられた甲状腺がんの特異性」: 児玉教授の話、「低線量被曝のモラル」のなかの「討論2 何をなすべきか?」というところで主張されている話だ。私自身、よく理解できない部分もあるので、多少長くなるが、以下、児玉発言の関連部分をそのまま抜粋させてもらう。
児玉 ・・・
それと、実践的に言ってもうひとつ大事なことは、放射線障害として最も端的なのは放射線量が上がるとDNAが切れる、というものです。切れたDNAを修復するときにエラーが起こる、そのために人間のDNAに傷が残るというのが、いちばんよく知られたモデルなのですが、以前は人間の遺伝子についてはよくわかっていませんでしたから、その傷がどこにおこるのかはわからなかった。さきほどICRPの基準は全く古いという意味のことを言いましたが、ICRPの議論とは、DNAのどこに何が起こるかはわからないから、障害メカニズムの解明は無理です、と投げていた時代の議論なのです。ところがいまは、二〇〇〇年におおよそヒトのゲノムが読めました、とクリントンとブレアが記者会見をした後の時代です。・・・・
チェルノブイリの子どもの甲状腺がんで、どこがおかしいのかを当然ながら研究するひとが出てきました。ウクライナの学者と、ドイツとイギリスの学者とが共同してヒトの染色体のすべてについて、チェルノブイリで起こった子どもの甲状腺がんと、それとは無関係な子どもの甲状腺がんとを比べてみた。すると、染色体の7番のqの11というところが、チェルノブイリですと、いまわかっている範囲で四割の子どもで三コピーになっていましたが、チェルノブイリ以外の子どもの甲状腺がんでは全くそういうことがみられなかった。
一ノ瀬 同じ甲状腺がんでも異なるタイプのものだと・・・。
児玉 はい。放射線障害によるものには、そうした特異なメカニズム論が考慮されなければならない。
・・・
児玉 ・・ 要するに線量の問題というよりも、遺伝子の切れる場所がどこかということです。7q11が切れてしまうと、われわれは「バリンドローム変異」と呼んで、メカニズムの詳細もいまようやくわかってきているのですが、ここの領域がきれると二コピーが三コピーになってしまうことがある。そこが切れることが甲状腺がんのスタートとしてきわめて大事なのです。ですから、量がどの程度かということよりも、これは放射線障害だけのことではありませんが、ある箇所が切れることが問題だ、ということです。
・・・
児玉 ・・この箇所が切れてしまったら駄目なのだということで、非常に低い線量であっても、そこが切れれば危ないということがわかっている。児玉 修復のときに、エラーが起こりやすいということがあるのです。それが、バリンドローム変異が起こる領域なのですが、遺伝子はインパ―テッド・リピート(逆位反復)と言って両方向に同じ配列を持つのです。通常はある方向に配列があって、それが進化の過程で両方向に同じ配列を持つことになった領域があります。この領域の周辺が、修復しているとき、エラーがすごく多いのです。両方向の遺伝子を一個ずつ修復してしまうために、もともと一個であったものが二個になってしまう。 ・・・
このことに関連して、一つだけ言っておきたいことは、こうした変異がもし見つかると、実際にその領域で起こったがんは放射線障害によって引き起こされた可能性が高いということが、メカニズム上の証拠として言えるということです。
(pp.317-321で関連すると思われる発言を抜粋)
放射線障害は非特異的だったのでは?: 以上、ながながと児玉教授の発言を抜粋・引用したのは、私の「放射線障害は非特異的」であるとの理解を修正しなければならないと考えたからだ。
この「非特異的」であるとの放射線障害の特徴は、本ブログの「福島第一事故による放射線被曝をどうかんがえればよいか(その1)」で紹介した中島篤之助・安斎育郎共著「原子力を考える」のなかで、以下のように、説明されている:
ICRPがまとめている放射線の危険度に関する数値は、すべての科学者が一致して認めている値かというと、必ずしもそうではありません。一レムの線量によってどれだけの死のリスクがもたらされるかという数値は、原子力発電や核戦争に伴うリスクを推定するうえでも最も基本となるデータですので、なかなか議論も盛んです。(p.146)
とし、そのリスク係数を推定する上での困難のひとつとして次のように「放射線障害の非特異性」があることについて述べている:
このほかにも、ネバダの核実験に参加した兵士に関する白血病発生のデータなど、これまでのリスク係数に関する知見では簡単に説明できないいくつかのデータが提起されています。放射線障害は”非特異的”で、放射線による白血病も他の原因による白血病も症状を見る限りでは区別がつきません。そのため、被曝集団で障害発生率に統計学的に有意な差があるかどうかを観察することがほとんど唯一の手段です。この場合、非被曝集団としては、放射線をあびていないこと以外は被曝集団とまったく条件が同じことがもっとも望ましいのですが、実際にはそうした条件を整えること自体容易なことではなく、多くの場合、データの解釈をめぐって簡単には黒白がつけがたい不確実性が残ってしまうのです。
こうした事情なので、前に述べたICRPのリスク評価値もまだ確定したとは判断できません。過小評価だという意見ばかりではなく、ICRPの値は実際の危険度を一桁ぐらい過大に評価していると主張する科学者もいます。したがって私たちは、放射線がどの程度危険かについては、今まで考えていたよりももっと危ないという意見も含めて、今なお論争中であることを念頭において、「放射線はあびないにこしたことはない」という原則的な考え方をできるだけ貫いていくことが必要でしょう。(pp.148-149)
ここで直接言及されているのは白血病についてであり、児玉教授の話は甲状腺がんであるとの違いはあるが、リスク係数を確定するうえでの困難のひとつに「放射線障害の”非特異性”」があることは理解できる。
この「原子力を考える」が出版されたのが1983年、今から30年前だ。この30年の間に、児玉教授が強調するように、「ヒトのゲノム情報」が読めるようになった。これにより、がんのメカニズムを通じて、放射線障害によるがんとその他を区別することができるということになれば「低線量被曝」によるリスクの大きさについての不確実性が小さくなる。大変なことだ。
当然のことながら、100ミリシーベルト未満の放射線被曝の閾値の有無に関わる議論も、いままでとは全く異なったかたちになるのではないか。本当に驚く議論だ。