「証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたか?」を読んでみた
May 1, 2013 – 5:43 pm福島原発の事故から2年が経過し、当時、事故への対応に責任を持つ立場にあった当事者の「回想録」といったものが公にされてきている。菅直人による回想録「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」を2週間ほど前に読み、本ブログに感想を記しておいた。
もうひとりのキーパーソンに班目春樹・原子力安全委員長(当時)がいる。彼も、菅直人と同様に「回想録」にちかいもの「証言 斑目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたか?」を「出版」した。
近所の図書館でこれを見かけた。早速、読んでみた。印象に残った部分を中心に私の感想を交えながらメモしておいた。
本書は斑目氏の証言?: 本書のタイトルでは、「証言」と銘打っている。しかし、「はじめに――本書について」には、本書の編著者、岡本孝司・東京大学教授により、そのあたりについて次のように記されている。
本書は、原子力安全委員会が幕を下ろしたのを機に、関係者が斑目委員長にインタビューを行い、新聞やテレビの報道とは異なる観点から、事態の一連の推移を再構成したものです。・・
なお、「証言」と銘打っていますが、本書の内容に関する責任は聞き手である、編著者にあることを付け加えておきます。(pp.3-4)
奇妙な感じを受ける。本書の中身を一読すると、文体は、ほとんど班目氏が「回想」あるいは「証言」しているようなになっている。しかし、「本書の内容に関する責任は聞き手である、編著者にある」というのである。
本書の出版にあたって、斑目氏は「インタビューを受けた際の発言」と齟齬があるかどうかをチェックせず、記述されている内容については斑目のあずかり知らぬこととでも言っているのであろうか?この編著者、岡本孝司教授の「本書の内容に・・」なる記述、どのように考えればいいのか?理解に苦しむ。
混乱を極める政府内部、そして班目委員長は?: 本書の第一章、第二章を読むことにより、事故の推移、そしてその対応に混迷を極める政府の様子を伺い知ることができる。大震災のなか、限られた情報しか入手できず、事態の把握が困難であったことは理解できる。
斑目委員長が、一五条通報を受け、官邸についた際の様子が次のように記されている:
一五条通報を受け、午後五時四〇分ごろ、官邸に向かいました。
到着すると、まず官邸五階の総理執務室に通されました。
「助けてください」
私を出迎えた保安院のナンバー2である平岡英治次長がそう懇願しました。いったい何事かと思いました。だいたい、本来、この場にいるのは保安院トップの寺坂信昭院長のはずです。ところが、姿がみえない。
後で聞いたのですが、菅さんに原発の状況を聞かれたのに、寺坂さんはまともに質問に答えられなかったようです。それを厳しく叱責されたため、官邸を辞した後でした。
・・・
確かに、菅さんにも相当に問題はあります。すぐに怒鳴り散らす。携帯電話だと、耳に当てて話すと鼓膜が破れるのではないかと思うくらいです。
・・・
だからといって、寺坂さんのように、叱責されたから自らの職責を放棄して官邸から逃げ出してしまっては、話になりません。最も大切な瞬間に敵前逃亡してたわけですから、決して許されざる行為だと思います。(pp.39-40)
菅首相の「回想」にも寺坂保安院院長のふがいない様子が記されている。そこにも、寺坂院長が官邸を去ったあとに到着した班目委員長の出くわした不思議な光景、「保安院トップの『敵前逃亡』」が記されている。
この文章から、斑目委員長は、寺坂院長の『敵前逃亡』が許されざるものである、とする一方で、菅首相の寺坂院長に対する叱責が度を越しており、事態を複雑にした、との印象をもったと、読み取ることができる。
さらに、常識では信じられないような記述がある。一五条通報を受けると、首相は原子力緊急事態を宣言し、首相を本部長とする原子力災害本部が立ち上げられる。原子力安全委員長は、当然のことながら、この原子力災害本部の主要なメンバーとなるはずだ。ところが、この会議では、班目委員長の受けた扱い、次のようなものだったという:
原災本部会合の際に原子力安全委員長が座ることになっている場所には、気象庁長官が座っており、私は長官のお尻を見ながら後ろの方にいました。(p.42)
なんということだろう。原子力安全委員長、原災本部会合では、読みようによっては、脇に置かれ、事故対応に向けた主要な役割も期待されていない状態だった、とも受け取れる。この状態どうみるべきか?おそらく、混乱のなかで、原災本部の事務局機能すら機能してなかった、とも思われる。
しかし、仮にも、原子力安全委員会委員長が、「気象庁長官のお尻を見る」ような状態だったとは・・・
さらに、官邸内部の様子、次のように記される:
東電の武黒さんたちが、それまでに電源が回復すれば大丈夫と官邸の政治家に説明していたからでしょう。政治家たちは、電源を現地に届けられれば後はなんとかなる、と考えていたようです。電源をヘリで運ぼうとか、電源車を自衛隊に輸送してもらおうとか、そんなことを東電や官邸の職員が話していたような記憶があります。
実態は、そんなに、生やさしい状況ではなかった。一五条通報まで来ているのですから、現地の実情把握に努め、全力で対策に当たるべきだったのです。(pp.42-43)
電源車の話、菅首相の「回想録」でも生々しく描写されている。そこには、「早く、電源車を!」、「電源車さえ到着すれば!」との官邸でのやりとりが詳しく記述されている。そのあたりは、班目委員長の「証言」と符合する。
しかし、「実態は、そんなに、なまやさしい状況・・」をどのように読めばいいのか?斑目委員長、どこか他人事のように官邸内の政治家たちのやり取りを見ていたようにも思えてしまう。私には理解できない。
メルトダウンの発生と安全委員長の責務: 今回の事故で不思議なことは、燃料が溶融しているのは明白なのに、いつまでも「燃料は溶けていない」とする発表が続けられたことだ。燃料が健全である場合と溶融してしまっている場合とでは、とるべき対応は大きく異なるはずだ。どうして、このような発表が行われたのか。このあたりについて、班目証言ではつぎのようになっている:
1号機ですでに炉心溶融、すなわちメルトダウンが起こっていると考えられることを、保安院が一二日午後の会見で公表していました。まさに緊急事態でした。ところが、この発表を契機として、官邸の情報の判断には、技術的な合理性とは別のものが混ざり込むようになってしまったのです。
ことの発端は、保安院が炉心溶融の見解を発表したことに、枝野官房長官やその周囲が不快感を示したことでした。状況から見て炉心の溶融はもう疑う余地がありませんでしたが、枝野さんには そうした詳しい状況が十分に伝えられていませんでした。・・・そこへいきなり「メルトダウンがおこっている」という話が入ってきたために、「いったい、どうなっているんだ」ということになったのが真相のようです。そのため枝野さんの周辺は保安院に対して、きちんと情報を官邸に伝えるようにと強く抗議したということです。
保安院としては、寺坂院長が逃げ出してしまったこともあり、この抗議に過剰反応を見せます。今度は、その日の夜の記者会見などで「メルトダウンはまだ起きていない」と真逆のことをメディアに説明し始めたのです。また、メルトダウンに言及した公報担当者も交代させられました。
・・・
いずれにせよ、原発の事故対応とは直接関係のない話ですから、政治家と官僚のこうした微妙なバランスの変化を、当時の私はまったく理解していませんでした。(pp.80-81)
ここに書かれていることが真実だとしたら、全くもって保安院は国民を欺く発表をしつづけたことになる。
斑目証言を読み進めると、斑目委員長は、早い時期に、メルトダウンという事象が発生したいると判断している。このあたり、菅首相とともに12日朝に現地に乗り込んだ際の「回想」からも知ることができる:
私は福島第一原発で、このチャイナシンドロームが起きる可能性を考えていました。
三月一二日の朝、菅さんと現地を視察して、私は1号機はすでにメルトダウンしていることを確信しました。圧力容器もメルトスルーしていたと思います。
1号機では、すでに一一日午後九時五〇分頃、原子炉を覆っている建屋内で放射線レベルが上昇していました。メルトダウンが原因でしょう。(p.79)
メルトダウンに至っていることを「確信」していながら、班目委員長は一体なにをしていたのか?なんの効果的な助言もしていないのではないか。不思議な話だ。
「政治家と官僚の微妙なバランスの変化」を理解するとかしないとかは、どうでも良い。しかし、事態の推移・変化、とりわけメルトダウンなる事象の発生について、安全委員長としてなんら助言できていないのは、保安院院長の『敵前逃亡』と変わらないではないか。
その後、水素爆発の発生などを経験し、菅首相をはじめとする政治家たちは、斑目委員長を全く信用しなくなったという。ある意味、当然の流れだろう。彼からは、専門家としての見通し、助言を受けることができないのだから。
統合対策本部の立ち上げ後: 3月15日、2号機の格納容器が破損し、大量の放射性物質が放出される。そして、東電からの全面撤退の「意向」が伝えられると、菅首相は東電本店に乗り込み、そこから政府と東電の統合対策本部が設置される。それについて、斑目「証言」では次のように記述されている:
統合対策本部が本当に必要だったかどうかは、分かりません。ただ、情報の流れが改善されたことは間違いありません。私たちも、東電本店に行くことが多くなりました。
もっとも、この頃になると関係者がナマの情報を共有していることもあり、それまでのように「いったいどなっているんだ」と、政治家から状況解説を求められることは少なくなりました。また、記者会見など政府側の対応に関しては、安井さんがほとんど仕切ってくれたので、私たち原安委はようやく本来の業務に取り組めるようになりました。(pp.99-100)
統合対策本部の設置は、事故対応をする関係者の間で情報の共有化という意味で積極的な役割を果たしたようだ。このあたりは、菅首相の「回想」と符合している。
SPEEDIの役割は?: 原子力安全委員会は、住民避難の要であったはずのSPEEDIによる予測計算を発表していなかったとして、各方面から非難された。
斑目証言では、そもそもSPEEDIの予測計算の発表は文科省の所掌であったこと。そして、SPEEDIが役にたたないことを覆い隠すために、文科省はあたかもこれが安全委員会の責務であるかのように仕組んだという、ことになっている。驚くべき「証言」だ。
SPEEDIは、原発事故で放出された放射性物質が、どこへ、どのくらい広がるかを即時に予測するシステムです。「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」が正式名称で、その英語訳(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information)の各単語の頭文字からSPEEDIの愛称がつけられました。スピーディ(speedy)、つまり迅速に放射能の影響を予測する、という語感を持たせたのでしょう。
しかし実際には、今回の事故ではスピーディどころかスリーピィだったと思います。事故の直後に、必要な情報は住民に発信されず、眠っているかのようでした。
・・・
文科省はSPEEDIを、非常に頼りがいのある防災対策システムだと盛んに喧伝してきました。原発事故が起きた際には、スーパーコンピュータを活用し、放射性物質の拡散する地域を迅速に割出し、その到達時間を考慮した上で最も被害を軽減する形で、住民に対して避難もしくは屋内退避を指示できるはずだったのですが、実際にはほとんど使い物になりませんでした。その意味では、これまでSPEEDIにつぎ込まれてきた一二〇億円もの大金は、まさにドブに捨てられたようなものです。
原発の防災訓練に際しても、SPEEDIがすぐに使えることが前提になっていたので、「いざというときはSPEEDIからの情報に従って行動すればいい」と、周辺自治体や住民は思い込んでいました。何より深刻なのは、われわれ原安委や専門家までもが、そう信じてモニタリング指針やマニュアルまで作っていたということです。一部には「実際の事故では役に立たない」と危惧する声もあったようですが、大きな議論にはなりませんでした。しかし、万が一に備えて不断に監視、点検を行い、性能の向上を目指すべきでした。その意味でこのSPEEDI信仰もまた、今回の原発事故で崩壊した「安全神話」の一つだったと言えるでしょう。(pp.118-119)
文科省の責任のがれで、SPEEDIを押し付けられた、と主張されている。なんとも、おかしな議論だ。
この証言のなかで、班目委員長が主張したかったことは、一体何だったのだろう?
そもそも、SPEEDIなる予測システムは全く役立たずのシステムであった、それが事故対応のなかで実証されてしまった、というのか。それとも、万が一に備えて「不断に監視、点検して、性能の向上を目指して」おけば役にたつものであったのに、それを怠っていた、というのか。
よく理解できない「証言」だ。
事故対応にかかわり、この「証言」のなかで班目委員長の主張したかったことは、どうやら次のようにまとめられるようだ。
私は、事故直後から首相官邸で、トップの院長が逃げ出した原子力安全・保安院の尻拭いをさせられ続けた。SPEEDIでは文科省に責任をなすりつけられた。責任感の欠如した政治家、官僚たちに囲まれ、ふんだり蹴ったり、という状況でした。(p.134)
なんとも情けない話になってしまっている。
過去の原子力安全行政への憤り: 本書「証言 班目春樹」では、事故への対応を回想するとともに、その後半には、事故に至らしめた原子力安全行政の欠陥、不備に対する「憤り」について述べられている。
班目委員長の主張をまとめると、二年半前に原子力安全委員長に就任して以来、安全委員会を、原子力施設を安全に保つために不断の努力をする組織・体制にするため、奮闘してきたのであるが、旧態然とした原子力安全行政の改善が間にあわず、事故を防ぐことはできなかった、といったところだろう。
本書の第4章「安全規制は何を誤ったのか?」では、まず、班目委員長の憤りはこれまで原子力安全行政に指導的な役割をしてきた識者16名の「緊急提言」に対してむけられる。以下のようなものだ:
事故が発生してから、三週間程度経った三月末に、原子力安全委員会の元委員長などの方々一六人が事故について、「状況はかなり深刻で、広範な放射能汚染の可能性を排除できない。国内の知識・経験を総動員する必要がある」という内容の緊急提言をだされました。要するに「もっと、しっかりやれ」ということでしょうか。
それなら何か役に立つ提案があるかというと、「当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ、(省略)」というようなことが書いてありました。
しかし、具体的な提案はありません。提言も結構ですが、事故の原因は、日本の規制が改善されてこなかったこと、つまり新たな知見の導入を先送りしてきたことによって、海外では当たり前の安全性向上のための対策が、日本では全く考えられていなかったことにあります。その先送りをよしとしてこられた張本人の先輩方が、自分は第三者のような顔をして、とぼけた提言をだされたことについては、怒りを通り越して、あきれてしまいました。
もちろん、私は責任を逃れるつもりはありませんが、おかしいと思うことはキチンと指摘しておきたいと思います。
今までやるべきことをほとんど先送りし、結果として事故を招いた方々です。自分たちであれば事故を収束できると言わんばかりの提言に、ブラックジョークもここまで来るかと、さすがに頭に血が上りました。
今まで何も出来なかった方々が、なぜ、対応できるというのでしょうか?(pp.168-169)
なんとも、驚くような言葉、「悪態」といっても差し支えないような表現だ。「ブラックジョーク」とか「頭に血が上る」とか・・・。斑目元委員長の憤り、理解するのはいいが、なんともすごい表現だ。
「緊急提言」には「具体的な提案」が含まれてない、何の役に立つものではない、とされている。果たして、この「緊急提言」には具体的な提案はふくまれていなかたのか?
本書には書かれていないが、この緊急提言の結びの部分は、つぎのようになっている(全文はここで見ることができる):
・・・
事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係各省に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国が持つ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的に取り組むことが必須である。私たちは、国をあげた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。
緊急提言で行われた提案は、「国をあげた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築すること」とし、この体制には、「我が国の英知と経験」といったリソースを動員すべき、とされている。これ以上の具体的な提言はあるのだろうか?
私は、この「緊急提言」を、具体的で、極めてクリアな提言と受け取った。
しかも、この提言の相手先は、斑目委員長とか安全委員会といったものではなく、政府に向けられている。政府は、原発事故に向けて、我が国の蓄積してきたさまざまなリソースをもっと活用すべき、と言っているのである。
なんとも、班目委員長が、怒りの矛先をこの「緊急提言」に向けるというのは、筋違いととられてもしょうがないのではないか。
終わりに: ながながと書き連ねてしまった。なんとも情けなさだけが残った。
当然のことながら、限られた情報のなか、そして大震災によりもたらされた困難のなかで、事故の対応に追われたものと考える。班目委員長も、大きな責任のなかで、大変な苦難のなかにあったにちがいない。そうした困難さを考慮したとしても、斑目委員長が安全委員長として国民から期待された責任を全うすることができたかどうかは、私にとっては、疑問だ。
この班目「証言」を読んで、我が国は、原子力の利用という大きなリスクを孕む事業を行う資格はないのではないか、との思いを強くしてしまった。残念なことである。