山本義隆著 「福島の原発事故をめぐって」を読んでみた

November 6, 2011 – 3:55 pm

本書は、福島第一原発事故を私なりに考えてゆくうえで、読んでみたいと思っていた本のひとつだ。
著者、山本義隆は、私の世代から見れば、元東大全共闘委員長ということで知られている。現在は、科学史の研究をしているということのようだ。その著作を、近所の公営図書館で、めくってみたことがある。
本書の感想をひとことでいうなら、山本義隆の科学技術のもたらす未来への悲観主義的な立場にある種の驚きをおぼえる。
本書の論調、私にとっては全面的に受け入れられるという性格のものではないが、「反原子力」「脱原子力」を標榜する立場のひとつの典型として、この書を読むことに意味があると思う。主要な論点と思った部分をメモしておいた。

「はじめに」を読むと・・・: 本書を手にした読者は、当然のことながら、まず本書の「はじめに」を最初に読むことになる。

ここで、福島第一原発における大事故の発生に対する著者、山本義隆の怒りの大きさを感じることになるが、まるで40年も前の学生運動の盛んな時代の「アジびら」を読んでいるような感じを受ける。以下、長くなってしまうが、これを転載しておこう:

 東京電力福島第一原発一~四号機が地震によって損傷し、津波により非常用電源が喪失し冷却機能が失われ、核燃料のメルトダウン(溶融)と水素爆発をつぎつぎ引き起こし、多量の放射性物質が放出され、広範囲に飛散するという大事故が発生した。それにともなって十万に近い数の人たちが、ほとんど着の身着のままの状態で生まれ育った故郷と住み慣れた家を後にし、生活の基盤を奪われ、いつ帰るとの展望もなく長期にわたる避難生活――難民化――を余儀なくされ、さらに多くの人たちが被曝の恐怖のうちに生活している。子供たちに将来放射線障害が現れるのではないかという危惧はこの先何年も払拭されることはない。何世代にもわたって大切に受けつがれ営々として維持されてきた田畑は汚染され、放置されている。事故現場では、多くの作業員が劣悪な条件下で、ときには命がけにも近い状態で、懸命に努力しているが、いまなお終息の展望が見えない。
 これが「世界第二位の経済力」を誇り「技術立国」を謳っていた日本の現実である。福島での作業員にたいする許容被曝量の限界値をなしくずしに緩和したことや、児童生徒の屋外活動を制限する放射線量の年間許容量をめぐって示された混乱は、「唯一の被爆国」を枕詞のように語ってきたこの国が戦後半世紀以上にわたって被曝の問題をまじめに取り組んでこなかったことを浮かびあがらせた。
 事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。学者グループの安全宣伝が想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。
 しかし現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によるものと見るべきではない。津波の大きさに対する予測を誤ったことや、非常用電源配置のミス、あるいは廃炉にともなう経済的損失をおそれて海水注入を躊躇し事態を悪化させたといったことだけが問題なのではない。むしろ本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきた自体にある。(pp.2-4)

原子力の平和利用: 原子力は米大統領アイゼンハウワーのAtoms for Peace からはじまった原子力平和利用が「虚妄」であるとの議論からスタートする。遮二無二原発建設推進の背景に、我が国が核武装能力の保持があるとする。

著者の立場では、我が国における原子力開発の初期的段階では、原子力によるエネルギー源の確保というよりむしろ

 原子力発電(原子炉建設)の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、むしろ日本が核技術を有すること自体、すなわちその気になれば核兵器を作りだしうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることにおかれていた。(p.9)

 日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワー・ポリティックスから生まれたのであった。岸にとって「平和利用」のお題目は、鎧のうえに羽織った衣であった。(p.12)

とされるのだ。そして、原子力導入時の我が国の学者・研究者の日本学術会議における「原子力平和利用の三原則」「自主・民主・公開」に向けてのさまざまな運動・努力も、次のように否定的に扱われることになる。

 学者に共有されていた科学技術の発展にたいする当時のあまりにも楽天的で無批判な信頼が「原子力の平和利用」という幻想を支えていたことは、認めねばならない。(p.13)
 科学技術幻想にとらわれているかぎり、権力者の側からの原子力開発にたいして有効に対抗し得ないことは明らか。(p.16)

そして、核燃料サイクルを形成しようとする我が国のエネルギー政策は、「プルトニウム大量保有の道を開」く「我が国の潜在的核保有国への道」を開くものとして捉えられる。

 潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力産業育成の究極の目的であり、原子力発電推進の深層底流であった。とするならば、脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。「軍縮や核実験禁止問題など」についての「国際的発言力」を高めるためには、核兵器保有の潜在的能力を高めなければならないという岸の倒錯した論理を、原発とともに過去のものとしなければならないであろう。(p.24)

科学技術的側面からみた原子力: 科学技術とはなにか、そしてその発展はどのようなものであるかについて、

科学技術とは科学理論の生産実践への適用であるが、実験室の理想化された環境で十分に制御された微小な対象によって検証された理論から、さまざまな要因が複雑にからみあった大規模な生産までの距離はきわめて大きい。その距離を埋める過程では多くの試行錯誤が必要とされる。(p.27)

とし、

無害化不可能な有毒物質(核分裂生成物)を稼働にともなって生み出し続ける原子力発電は、未熟な技術と言わざるをえない。(p.33)

との立場にたつ。

そして、科学技術の発展における試行錯誤的な過程において、原子力発電の持つ際立った特徴について、試行錯誤の段階で避けることができない「事故」の発生と影響について次のように述べる。

・・・原発事故を蒸気機関の創生期にあったような事故と同レベルに捉えることは根本的に誤っている。原発以外では、事故の影響は時間的・空間的にある程度限られていて、事故のリスクはその技術の直接の受益者とその周辺が負うことになる。それにたいして原発では、事故の影響は、空間的には一国内にすら止まらず、なんの恩恵をも受けていない地域や外国の人たちにさえ及び、時間的には、その受益者の世代だけではなくはるか後の世代もが被害を蒙る。実際に福島の事故では、周囲何キロかは今後何世代にもわたって人間の立ち入りを拒むスポットとなるであろう。融け落ちてそこに遺されている何トンもあるウラン燃料の塊は、たとえさしあたっての冷却に成功したとしても、それを長年にわたって遮蔽し続けるためには莫大なコストと資源とエネルギーが必要とされ、それが将来の日本人のかたにかかってくる。そして土壌汚染は広範囲にわたり、その影響は長期に及ぶ。原発では試行錯誤による改良は許されない(pp.57-58)

 田中三彦が自己の経験を踏まえて述懐しているように「原発の場合、一度でも大きな事故をおこしたらそれで終わり」なのである。とすれば、端的に原発は作るべきではないという結論になるであろう。(p.58)

原発が「試行錯誤による改良」を許さない他の科学技術と異なる特性を持つ、という立場。これは極めて重要なポイントだろう。

科学技術の万能性を否定: 科学史家としての著者の議論は、今回の福島第一原発の大事故を一九世紀以来われわれの抱いた「幻想」、科学技術万能性を否定する。

 経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生みだされた。・・・それは、巨大な権力に支えられてはじめて可能となったものであり、その結果は、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。
 実際、原子力(核力のエネルギー)はかってジュール・ヴェルヌが言った「人間に許された限界」を超えていると判断しなければならない。
 第一にそのエネルギーは、ひとたび暴走をはじめたならば人間によるコントロールを回復させることがほとんど絶望的なまでに大きい。・・・・
 第二に、原子力発電は建設から稼動のすべてにわたって、肥大化した官僚機構と複数の巨大企業からなる“怪物”的プロジェクトであり、そのなかで個々の技術者や科学者は主体性を喪失してゆかざるを得なくなる。プロジェクト自体が人間を飲み込んでゆく。(pp.88-90)

三月一一日の東日本の大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位にたったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という一九世紀の幻想を打ち砕いた。今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来、人間のキャパシティを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。pp.88-91)

さて、こうした論点、どのように捉えていけばよいのか・・・? ひとつの論点には間違いないのではあるが・・・


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