伊藤洋一著 「情報の強者」を読んでみた

March 29, 2016 – 12:38 pm

前回の記事では、TBSラジオの朝番組で聞いた伊藤洋一さんの解説について書いた。そのついでに伊藤さんの著書にはどんなものがあるのか検索し、本書「情報の強者」を見つけた。2016年2月26日発行ということで、出版されたばかりの本のようだ。早速、アマゾン経由で手に入れ、読んでみた。

私のこのブログ、10年近くも運営しつづけている。ほとんど読者もいない状態で長年書き続けているのであるが、さすがに今後のブログの運営をどうする考えなくてはと思っていたところだ。本書の著者、「情報強者」の伊藤さんの話が参考になるかもしれないと読んでみることにした。

私が読む本の大部分は近所の公立図書館で借りたものだ。お金を出して自分で購入した本を読むのはひさしぶりだ。本代700円のもとをとらねばということで読後感くらい残しておかねばと思った。

私の運営しているこのブログ、自宅に設置しているLinuxサーバから発信している。いわゆる「自宅サーバ」というやつだ。すでに10年近く部屋の片隅で動作し続けている。SNSとかクラウドが常識になった今も自宅の「物理サーバ」を運営するというのは時代錯誤もはなはだしいのかもしれない。いまや「化石」系情報オタクといったところだ。

以下、「化石」系オタクの「情報弱者」が本書を読んで印象に残ったところを感想を交えてメモしておいた。

紙の新聞の役割について次のように述べられている:

 紙の新聞がネットのニュースよりもすぐれている点には「ニュースの配置」を一覧できる点が挙げられる。新聞では長いキャリアを持った「ニュースの目利き」が、各ニュースをランク付けし、段数(記事の量)や位置を決めている。
 私は新聞を読むとき、その新聞が何を1面トップにもってきているのか、自分がすでによく知っているニュースを各社がどう位置付けているか、逆に自分の知らないニュースをどう位置付けているのかに注目するようにしている。
 ・・・中味を読む前に、その配置を楽しむものだ。(pp.55-56)

最近、数年やめていた日経の購読を再開した。伊藤さんの話に頷くところが多い。朝、郵便受けから部屋に入るまでの数分で主要なニュースを「即座に」知ることができる。これが紙の新聞の有利な点にちがいない。

それからもうひとつ、折り込みのチラシが我が家周辺のローカルな情報を届けてくれる。わが町では新聞を定期購読していないと選挙公報も手にいれることができない。ネット社会になったはずなのに、紙の新聞しか得ることができない情報もまだまだ多い。

ブログを書く意味について、とても参考になる記述がある。以下だ:

「Day by Day」は原稿料がもらえるわけでもないのに、毎日必ず書くようにしている。とはいえ、毎日長い文章を書けるとは限らない。たった3~4行という日もある。
 それでも、とにかく毎日書く。よく「毎日は大変でしょう」と言われるが、私に言わせれば、「毎日書くから続けられる」のであって、長く休めば今度は書くきっかけをつかむのが大変になると思う。
 そして毎日書くという「大変さ」を凌駕するメリットがある。その時、自分が何に注目していたのか、何が実際におこっていたのか、その時のデータや記事のリンク先はどこだったのか、といったこともすぐに忘れてしまったり、勝手に記憶を作り替えたりするものだ。自分の行動や思考を辿る必要が生じた時に、ブログは「伊藤洋一専用にカスタマイズしたデータベース」として機能してくれる。(p.164)

我がブログ、平均すると1週間で1記事のペースで書かれている。とても、毎日書くということにはなっていない。ブログを始めた当初は伊藤さんが主張するようにブログを自分専用の「データベース」として機能させようと考えていた。そうはいうものの、文筆家でもないアマチュアの私のようなものからすると、とても毎日文章を書き続けるということは大変だ。

ブログツールは現代の『知的生産の技術』だ」なんて記事を書いたことがある。伊藤さんの主張されているブログの「データベース」としての効用は、その通りと頷く。しかし、毎日書かねば、その効用も半減してしまう。

伊藤さんの「毎日長い文章を書けるとは限らない。たった3~4行という日もある。」に励まされる。私も折々に調べたこと考えたことを少なくても書き留めることにしようなんて思った。初心に帰ろう。

全体通じての感想
本書には、なるほどと頷くところが多い。全体通じて主張されていること、私なりにまとめてしまうと、「好奇心を持って、世の中を見渡すべし」といったところだろう。

私、高齢者とひとくくりにされる年代になってしまっているが、まだまだ好奇心だけは旺盛でなくては、と思った次第。


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