肺がん治療薬イレッサ訴訟: 国の和解勧告拒否は当然だ!

January 26, 2011 – 1:45 pm

肺がん治療薬イレッサ訴訟で、東京・大阪両地裁がだしていた和解勧告を国が拒否することになった。この国の方針、「がん治療」を受けた経験を持つ患者の立場から、当然の対応だと考える。国が今回の和解勧告に応じることになると、がん患者の願う新薬の開発に大きな障害となると考えるからだ。

国・製薬会社の義務: 抗がん剤の投与が、患者を死に至らしめるような重篤な副作用がなく、十分な効果を与えるものであって欲しいのは全ての患者、家族の願いだ。また、患者は、「使用する抗がん剤の利益・不利益など全ての情報を知ったうえで納得できる選択と自己責任で厳しい治療に挑む」(『イレッサ薬害被害者の会』ごあいさつ)ものであるから、国・製薬会社はこうした利益・不利益の情報を明らかにする義務があることも事実であろう。

新薬承認制度の強化には限界がある: しかし、新たに開発される「抗がん剤」について「利益・不利益など全ての情報」を明らかにすることは、果たして、可能であろうか。素人的な立場ながら、「全ての情報」を明らかにすることはできないと思うのだ。限界がある。残念ながら、新薬であるかぎり(治療現場での)試行錯誤という場面は避けることはできない。たとえ新薬承認制度を強化してもグレーな部分が残るに違いない。

重要なのは医師のスキルアップを含むトータルな医療の仕組み: このグレーな部分を補なうのは治療現場で奮闘する医師である。以前、「医療分野のIT化と真の医療のありかたについて」を書いた。ここで、私の主治医の治療態度について次のように書いた:

幸いなことに、入院治療開始時から4年(今日、現在で6年)が経過した、現在、治療のおかげで(定期的な検査を除けば)何の問題もなく日常生活をおくることができている。どうして、ここまで回復することができのか?ひとつは、医療技術、医薬品の著しい進歩である。さらには、こうした医療技術、医薬品の進歩を把握し、それを的確に臨床の場に適用してくれた私の主治医のおかげである。私にとって、主治医はまさに名医、命の恩人である。

私自身、治療に際しては、認可されて間もない「抗がん剤」の投与も受けた。この「抗がん剤」、イレッサと同じく「分子標的治療薬」の範疇にある薬剤だ。「抗がん剤」の投与にあたっては、主治医は連日のように私の状態を慎重にモニターし、的確な判断をしてくれた。単に、マニュアルどうり「抗がん剤」を投与したわけではないのだ。

「抗がん剤」に限らず薬品の投与に副作用が伴うのは常識だ。副作用を最小限にとどめ、治療効果をあげるには、専門家としての医師の役割を忘れてはならない。「患者ひとりひとりは全て異なる」のである。同じ薬剤を投与しても、患者Aには有効であるが患者Bには災禍を及ぼすことがある。特定の患者に対し投与する薬剤がどういう効果をおよぼすかという判断は、患者ではなく、経験を積んだ医師にしかできない。この医師の判断を通して患者が「納得できる」選択をすることになる。

残念ながら、我が国では「抗がん剤」治療の専門家である腫瘍内科の医師が少ないと聞く。このあたりを充実させることなく、薬剤の承認・認可制度の不備をことさらに強調することがあってはならない。

まとめ: 「イレッサ訴訟」が、新薬の開発そしてその認可を遅らせてしまう、言い換えると、「がん患者」の受ける治療の可能性を狭めてしまうのではないか、ということを危惧していた。その意味で、国の和解拒否は当然である、と考えるのである。

重要なことは、新らしく開発される「抗がん剤」を処方する医師のスキル向上を含むトータルな治療システムを充実させることなのである。

ここで私が述べたこと、あくまで「がん患者」としての私がイレッサ訴訟に対して感じたことを率直に述べたものだ。「がん患者」、家族、そして治療にあたる医師の方々がどのようにお考えなのか、コメントしていただければ幸いだ。


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