「自由の危機」ー息苦しさの正体 を読んでみた

March 7, 2024 – 3:50 pm

右に掲げたようなものがtweetされているのを見た。これを見た私の第一印象は、著名な「進歩的文化人」を揶揄するものだろうというものだった。正直なところ、少しばかり、確かに「息苦しい」感じを受ける名前が並んでいるのには感心した。

ところが、表紙に並んでいるのは「息苦しさの正体」と名指しされた著名人のリストといったものではなく、「自由の危機」とタイトルされた極めて真面目な書籍であり、「-息苦しさの正体」というのはこの本のサブタイトルであり、表紙の著名人のリストはこの書籍の著者のリストであるということを理解した。

何故、私が、「この本の表示ヒドくない」というのに反応してしまったのか?考えてみると、私自身の感覚が、(本書の著者の皆様からみて)ネトウヨと呼ばれるような発想を持つ人間だったのかもしれないと考えた。

本書は、どうやら3年前に、菅首相によって学術会議会員任免拒否問題を「学問の自由」の危機ととらえ、この危機について表紙に並んだ「文化人」によって論じたというもののようだった。その意図については、本書のまえがきに以下のように記されている(長くなるが、以下、転載しておいた):

 二〇二〇年一〇月一日、六名の人文系学者が正当な手続きを経て会員に推薦されたにもかかわらず、菅義偉首相によって任命を拒否されたと報じられました。今でほとんど報道されることもなくなりましたが、この問題はまだ終わってはいません。首相が任命拒否の具体的理由を示さないからです。これは単に「学問の自由」の危機であるばかりではなく、文化芸術、教育、日常生活など、あらゆる「自由」に通底する問題だと考えます。そこで、研究者に限らず、小説家、美術家、劇作家、音楽家、漫画家、ジャーナリストなど多くの方々に、この「自由」の危機について論じて頂きました。これらの論考は、共鳴し、調和する部分がある一方で、破調を含むところもあります。それらはあえて残しました。そこにこそ、目をむけるべき重要な視点が含まれているように思われるからです。また、安易な両論併記を取ることも避けました。構成上の全ての責任は編集部にあります。
 理不尽なことに対して、少しでも声を上げやすくなる世の中になることを願って、これを世に送りたいと思います。        集英社新書編集部

学術会議会員任免拒否問題については、私の感想は、このブログの「学術会議任命拒否問題で思ったこと」に書いたことがある。

そこで、現在の「学術会議の会員の任免」のしくみが日本の学問・研究の当事者、研究者を代表しているとは言えないのではとの感想を書いておいた。

そのあたりについて、本書の著者のひとり隠岐さやかも次のように触れている。以下転載:

 初期の日本学術会議は「学者の国会」を目指したことでも知られる。現在のように業績に優れた学者を現職会員が推薦するという形ではなく、日本中の研究者が選挙で会員を選ぶ方式だったのである。これは他の国のアカデミーにはない特徴だり、いわが実験だった。
 ・・・・ 戦後の先人たちは他の国のアカデミーが掲げる理念を知ったうえで、よりそれに即した理想を追求しようとしたのではないだろうか、たしかに選挙制自体は一九八四年の法改正により廃止されてしまった。だが、試行錯誤の歴史は貴重な経験であったと私は考えている。(p.42)

私の感覚では、「日本中の研究者が選挙で会員を選ぶ方式」が、「試行錯誤の・・貴重な経験」と切り捨てられるのには抵抗を感じてしまう。現在の日本学術会議は研究者版の「貴族院」と化してしまったのではないか、と感じる。本書で、任免拒否問題が研究者総体の「学問の自由」云々といったものではなく、どこか雲の上の空中戦のように思えてしまう。

本書のサブタイトル「息苦しさの正体」を本書の表紙に並んだ「進歩的文化人」のリストのなかに見てしまったのは、このあたりからではなのではと思ってしまった次第だ。

やはり、私、ネトウヨといった範疇の人種なのかな?まあ、いいや。


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