学術会議任命拒否問題で思ったこと 

October 10, 2020 – 3:06 pm

菅政権になって一番驚いたのは、日本学術会議の会員任命拒否問題。

日本学術会議というもの、私にとっては、雲の上というか別世界。学術界の重鎮が集まり、日本の学術研究について話しあう場、政権とは独立した組織だろうというくらいの印象しかない。時折、一般世間に対し、雲の上から「世の中こうあるべきと思うぞ」なんて感じで提言するくらいが仕事だろうと思っていた。

なにしろ、アカデミアとして最も格式のある、時の政権といえども手を出すことはできない組織であったはず。その組織に対し、就任したばかりの首相が「会員の任命をする権限は我にあり」とのたまったのだから大騒ぎになった。

この菅総理の「暴挙」、アカデミアの指導的立場にある人々、そして旧左翼陣営を中心に「学問研究の自由への介入」であるとされた。当然のことだ。

しかし、その一方、「普通の」学問研究当事者からは「学術会議なんてのは研究者の貴族院のようなもの」で、あってもなくても良いものという声も聞こえてくる。

今回の会員任命拒否問題を、学術会議のあるべき姿を議論することとごっちゃにし、同列に扱うべきではない。特段の理由も明かさないで、学術会議の推薦した会員の任命を拒否するというのは、時の権力が学術研究者を「脅す」ことになるというのは明白だ。なんとも気味悪い話と感じてしまう。菅首相の独裁者を志向する性格すら窺わせる。

しかし、だ。学術会議のあるべき姿といったところで、今回の騒ぎで、はじめて知ったことがあるのも事実だ。

私が大学を卒業したころ(もう50年も前)には、日本学術会議会員は研究者の選挙で決められていたような記憶がある。選挙権を持つ研究者はきちん(?)とした学会誌などに投稿掲載された論文の著者であれば与えられたように思う。一定の要件を満たせば、申請すればその選挙権を得ることができた筈だ。こうした仕組みが良いものかどうかは別にして、このあたりが「我が国80数万研究者の国会」といわれる所以だったように思う。

この仕組み、どのような経緯で変わったのか知らないが、2005年以降は、「現役会員と連携会員が推薦し、最終的に学術会議が推薦候補を絞り首相が任命」する仕組みになったようだ。一般の現役研究者の意向とは違う「閉じた」世界で会員が決まる仕組みになっていたようだ。

このような現在の仕組みのもとでは、学術会議が日本の学問・研究の当事者、研究者を代表しているとは言えないのではないかと思うが、いかがだろう。
  
どうでもいい独り言。


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