「読み・書き」を科学すること(秋田喜代美著「読む心・書く心」を読んで)
June 7, 2008 – 10:57 am前回エントリーで日本学術会議の「これからの教師の科学的素養と教員養成の在り方について」と題された「要望」について書いた。これを読み、日本の教育、特に科学教育が抱える問題の一端を理解できたような気がした。この「要望」の取りまとめをした「検討委員会」の委員長、秋田喜代美(東大・教育学研究科教授)が、どのようなバックグランドの研究者なのか知りたく、近所の公立図書館で、著書をさがしてみた。
図書館で見つけた2冊の著書のひとつが、「読む心・書く心―文章の心理学入門」(北大路書房 2002年10月30日発行)だ。「心理学ジュニアライブラリ」(企画編集委員:吉田寿夫、市川真一、三宮真知子)というシリーズのひとつとして執筆されている。対象とする読者は中高生ということだ。
この本に記されている著者の経歴、かなりユニークだ。東大文学部卒業後、銀行員、専業主婦を経て、東大教育学部へ再び学士入学、教育学研究科博士課程終了、専門は学校心理学、発達心理学となっている。本の裏表紙には、著者自身の経歴紹介(自己紹介?)がある。かなり興味深い。多少長いが、そのまま引用:
中学時代は流行のテレビアニメ「アタックナンバー1」の影響で、バレーボール部に所属、高校では、女子高ならではの男っぽい先輩にあこがれて自然科学部に所属、国語は授業がじれったくて最も嫌いな科目、先生が嫌だとその科目も嫌いという生徒でした。中・高校生時代は心理学はオカルト現象か星占い程度にしか思っていませんでした。・・・・。中根千枝という女性文化人類学者を本で知り、彼女のもとへと大学受験。しかし入学後、中根先生にすぐには教えてもらえるわけではないという現実にぶつかり、以後、私の目標は、社会勉強としての遊びとお嫁さんになることへ変わっていきました。結婚、出産してみてから、それだけが私の生涯の生きがいになるのだろうかと悩み、再度学ぶ意欲がわいてきました。人生何度でもやり直しがきくし、学ぼうと思った時がその人にとっての学びの最適期と思っています。
このなかの最後の「学ぼうと思った時がその人にとっての学びの最適期と思っています」というところは励まされる。対象とする読者、中高生へのメッセージだろう。しかし、あと数ヶ月で還暦を迎える私さえも励まされた感じがする。
さて、この「読む心・書く心」である。実に良い。我が子、高校1年生になるが、全くといってよいほど、本を読まない。当然、何か書くこともしない。なんとかしなくてはとの思いもあって、この「読む心・書く心」を読みすすめた。中高生向けということもあって、良かったら子どもにも勧めようとも思ったのだ。読んでみて、子どもだけではなく、私にとっても思いあたることが随分ある。なるほど読書という行為はこのようなものかと再確認させてくれた。ただ、ちょっと、中高生には難しいかなと思う。親子で一緒に読めばなんとかなるのかもしれない。
数ヶ月前、このブログで、NHKの「日本のこれから―学力」について書いた(ここ)。そこで、「日本の公教育が機能していた時代の『読み書き算盤』と現代の『読み書き算盤』の中身は大きく変わ」り、この変化に対応できる「教育」が必要なのではとの感想を述べた。こうした変化に対応するためには、やはり、「読み・書き」という行為がきちんと「科学」されることこそが必要と思う。本書・「読む心・書く心」は、「読み・書き」の科学とはどのようなものか、その入り口を示してくれた感じがする。