新聞のない生活

June 13, 2009 – 1:02 pm

先月まで購読していた日経をしばらく止めることにした。この新聞、購読を始めてからもう20年以上になる。これを、今月の初めから止めてしまったわけだ。朝、新聞を読むのが日課となっていた生活から、突然、「新聞のない生活」になった。この「新聞のない生活」、新聞の役割を確認してみるのにいい機会になるのではと思っている。

なぜ新聞の購読を中止?: 購読をやめたのに特別な理由はない。敢えて言うと、新聞のない生活がどんなものか、一度、経験してみようといったところだ。なにしろ、子供のときから新聞のない生活というものを経験したことがない。

新聞の役割は、一言で言うなら、「世の中の動き」を知る媒体ということだろう。TV、ラジオなどの媒体に加え、インターネットが普及した今、まだ新聞が必要なのか?ひょっとして、惰性で、新聞を読んでいるのではないかと思ったりした。

日経の購読費用、朝・夕刊を合わせて一月4,383円になる。インターネットの接続料金より少し安い程度の購読費用だ。この費用を考えると、世の中の動き、インターネットから得られる情報で十分ではないのか?なんて思ってしまう。

新聞の定期購読をやめ、何か気づいたことがある?: まだ新聞の購読をやめて2週間ほどしかたっていない。まだまだ、どんな変化があったのか結論づけるには、余りにも短い。ただ、2、3、気が付いたことがある。

まず、うちのなかから新聞紙がなくなるというのは、結構、すっきりする。配達されてきた新聞、一応、目を通すまでは廃棄する気にはならない。当然のことだ。しかし、1週間もたてば、新聞紙の山となっていた。これがなくなった。新聞の折り込み広告も合わせると、大変な量になってしまっていたのだ。

新聞がないと、なにか手持ち無沙汰だ。暇だと、いつも新聞を開いていたことに気づく。新聞を読んでいるのは、ボーッとテレビを見ているのと変わりがないのかもしれない。かなり受動的な行為なのかななんて思ってしまう。アクティブに情報を得ようとすると、インターネットからのほうが効果的かもしれない。

新聞には、毎日、大量の折り込み広告が入っている。近所のスーパーの安売り広告などなどだ。こうした広告、結構、地域の動きを知るのに役立っているのではないかと感じる。通常のメディアでは得ることができないものが多い。

新聞のレイアウト: 個別の情報取得ということでは、新聞よりインターネットのほうが優れているように感じる。しかし、新聞独自のレイアウトというか、構成には、かなり意味があるのかもしれない。

個々のニュースの重大さは、記事の配置に現れる。見出しの大きさ、配置などなどだ。こうした新聞のレイアウトには、それぞれの新聞発行者の姿勢、視点が明瞭に現れる。一目で、これを知ることが出来る。新聞という媒体の持つ長い歴史に違いない。インターネットで読む記事にはこれがない。羅列された記事の項目を眺めるだけでは、即時には個々の記事の軽重は読み取れない。

この3月までは、IHT(International Herald Tribune)のWebサイトでフロントページを新聞紙面と同じレイアウトで見ることができた。ヨーロッパ版、アジア版そしてアメリカ版の間のレイアウトの違いで、それぞれの地域でのニュースの軽重が分かり、興味深かった。残念なことにIHTのサイトからこれが消えた。このあたりが、インターネットでは得られない部分かもしれない。新聞が優位な部分かもしれない。日本の新聞社のWebサイトに、その日のフロントページをPDFで出してみたらと提案したい。

しばらく様子を見てみようと考えている、といったところが実際のところだ。一ヶ月くらい「新聞のない生活」をやってみて、少し考えてみよう。

わけのわからないエントリーを書いてしまったな・・・。まあいいか。

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