茨城県知事選(2017年) 各候補者の原発への態度を見てみた

August 21, 2017 – 5:09 pm


私の住む茨城県では、投票日は27日で、県知事選挙が行われる。

今朝、郵便受けにこの知事選挙の選挙公報が入っているのを見つけた。右図が、この選挙公報のフォトコピー。パソコンに繋がっているスキャナーを用い作成した。この図をクリックすると拡大図が現れ、その内容を読み取ることができる。

私の住む地域では、選挙公報は新聞の折り込みとしてしか配布されなかったが、やっと新聞を定期購入しない所帯にも配布されるようになったようだ。結構なことだ。

知事選挙などの地方選挙では、立候補者の主張を知る手段は選挙公報しかない。我が家では、前回の選挙では、新聞を定期購読していなかったので選挙公報も手にはいらず、投票所で選挙公報を読み、投票に臨んだというおぼえがある。

今回の選挙の争点のひとつは東海第二原子力発電所の再稼働問題の筈だ。立候補している3候補が、原発問題に対してどのように主張しているのか、選挙公報のなかで見てみた。次のようになっている:

  • 橋本まさる候補:
    県民の生命と暮らしを守るため、安全性と避難体制の実効性が確保できない状況では、原発再稼働は断じて認めません
     
  • 大井川かずひこ候補
    原発問題については、直接には、全く言及していない。選挙争点として取り上げていない方針のようだ。
     
  • 鶴田まこみ候補
    原発問題を今回の知事選挙の争点の中心に据えている。
    「原発とめて、くらし向上へ あなたの選ぶ知事が、東海第二原発の再稼働の是非を決めます」とし、他候補の立場にも言及:

    橋本候補の立場を「再稼働条件付き容認」、大井川かずひこ候補については「再稼働推進政権が支援」とし、自らの立場を「ストップ!原発」とする。

    原発に対する立場は、「安全な原発はありません/100万人の避難も不可能」とし、全面的に否定。
    さらに、「いのちを大切に」ということで、「放射能から子供を守る健康調査の継続的実施、犬猫の殺処分をなくします」としている。

私の立場と感想
原発再稼働問題についての私の立場は、本ブログのなかで折を見て書いているが、「原発の寿命」との関わりのなかで以下のように考えている(「原発の寿命40年をどう考える?」の記述を再掲)。

原発の寿命をどう考えるかは、原子力の未来をどうしようとするかに依存する。原発の即時的な廃止を求める立場では、当然のことながら、原発の寿命をどう考えるかなんて問題外だ。しかし、現実的な立場にたつと、そうもゆかない。原子力に代わる新エネルギー源を確保するまでの「時間稼ぎ」が必要なのだ。
現存する原発は、その寿命の間は、「安全に」稼動させることにしたらどうだろう。そのあいだに、新エネルギー源を確保するのだ。言い換えると、新しいエネルギー源確保のタイムリミットを現存する原子炉の寿命とするのだ。この意味では、寿命を40年という固定したものにするのが良いのではないか。きちんと、みんなが納得できる期限を置き、ダラダラと原子力に依存する期間を延ばすようなことはしないのだ。
原子力施設の減価償却期間は、原子炉の寿命というものをベースに考えられているはずだ。おそらく、原子炉建設時には、40年という期間を減価償却期間としていたものと推察する。技術的には、これを超えることも可能なんてことを主張し、この期間を超えて運転させようとするのは、福島事故を経験した今、欲張りすぎではないかと思う。減価償却期間40年間は、なんとか運転をして、その間に新たなエネルギー源を確保すると考えるのがよい。
これって常識的な線ではないのか、と思うのだが・・・。その意味で、法的に原子炉の寿命を40年にすることは意味がある。

この立場から行くと、私の考えていること、どの候補の主張とも異なってしまうように思う。

橋本候補の主張では、東海第二原発が40年を超えることに言及していない。東海第二の安全を考えるということであれば、まもなく40年を超える事実は無視できない筈だ。結局、知事として、安全問題を取引きの材料にすることでお茶を濁すことになる。原子炉の寿命を青天井とすることになってしまう。

大井川候補については、東海第二原発について何ら言及しないということは、これを議論の遡上に乗せれば自らに不利に働くとしか思っていないということだろう。県民の大多数が原発に否定的な立場をとることを知りながら、敢えて争点から外すと言われてもしょうがない。

鶴田候補は、「原発の即時的な廃止」を主張しているように思える。確かに、ひとつの考えかたとは思えるが、東海第二原発の再稼働に反対するということを中心に考えるなら、原発の寿命をどう考えるかは重要だ。公約の「いのちを大切に」ということで、おそらく福島第一事故の放出放射能の影響を継続的にモニタする必要を主張しているように思えるが、これは賛成だ。しかし、ここで「犬猫の殺処分をなくします」とするのはいただけない。ひとのいのちと犬猫のいのちを同列で議論されてはたまらない。
どうも、この候補の主張、情緒的な部分が先行しており、知事としての資質については、私見では、不満足かな?
  


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