八木絵香著「対話の場をデザインする」を読んでみた

October 26, 2011 – 5:49 pm

本書は、著者らが原子力立地地域において原子力の専門家と地域住民の間の効果的な「対話」を実現しようと、2002年から2009年まで7年間にわたって行った実験的な試み「対話フォーラム」の実践記録である。

この「対話フォーラム」は、国の原子力開発計画が遅々として進まない原因のひとつを原子力の専門家と立地地域住民との間に効果的な「対話」がもたれてないこととの認識から立ち上げられたプロジェクトである。

この実践記録が発刊されて1年半後の今年3月11日に福島第一原発事故が発生した。
フクシマ後の今、本書の「対話フォーラム」などにおける原子力分野における「リスク・コミュニケーション」活動とはなんであったのか考がえてみたい、と本書を読んでみた。

科学技術に関する社会的意思決定: 本書は、つぎのパラグラフからスタートする:

社会の中で科学技術をどう取り扱っていくかに関する社会的意思決定は、関連する様々な要件を総合的に加味した上で行われる必要がある。さらにその決定は、科学技術を推進する専門家の側と、それを使う市民の側の双方が、納得のいく選択であることが望ましい。そのためにはまず、専門家と市民が、検討の対象となる科学技術、およびその代替方策がもたらすメリットとデメリットについて十分に議論し、認識を共有した上で、社会的意思決定を行う仕組みが不可欠である。それが成立しなければ、有用性とリスクの両方を持ち合わせている科学技術を注意深く見守りつつ、そのメリットを享受する社会は実現しないだろう。(p.2)

著者は、科学技術の成果が真に社会的に「役立つ」ための要件として、「専門家と市民の側がメリットとデメリットについて十分に議論し、認識を共有したうえで、社会的意思決定を行う仕組みが不可欠」とする。科学技術の問題、なかでも原子力について、こうした専門家と市民の間に深い「溝」があると考えたようだ。

原子力を取り巻く状況の変化と「対話フォーラム」の立ち上げ: では、著者らが専門家と市民との間のコミュニケーションがうまくいっていないという原子力を取り巻く状況を著者等はどのように捉えていたのか。

まず、原子力エネルギーの開発・導入が本格的に開始された1960年代は原子力が新しいエネルギー源として好意的に取り扱われた時代であったとする。しかし、1970年代以降、徐々に、安全性が問題とされるようになり、1990年代以降は、チェルノブイリ原発事故(1986年)の発生もあり、一般市民のなかに原子力に対する「不安」を感じる傾向が強まり、原子力発電の推進に否定的な意見が増加してきた。原子力の一般市民の受け止め方について、著者の認識はこのようなものだったといえる。

こうしたなかで、「原子力開発計画の遅滞もあり、原子力専門家の間に原子力に関する情報発信・公開の重要性が認識されるようになっていった。(p.23)」とされる。

そして、こうした「原子力の社会的問題解決のためには、(専門家と市民の間の)信頼構築に主眼をおいた新しいコミュニケーションの場が必要」と考えられ、「対話フォーラム」の試みが開始された。

ここで、注目されるのは、この「対話フォーラム」においては、専門家と市民の間の「信頼構築」に主眼を置いている点だ。ここに、原子力安全に係わる固有の技術的課題についての言及はない。むしろ、技術的課題を議論するまえに、「信頼」なしには、そうした原子力安全に係わる技術的課題を言及しても効果的ではない、という立場をとっているといえる。

「対話フォーラム」とその構成: 具体的に「対話フォーラム」はどのような「理論的」な立場で立ち上げられたのだろうか、その構成はどのようなものであったのか、そしてその成果は。

本書の記述にそってながめてみよう:

科学技術分野における専門家と市民とのコミュニケーションにおいては、長い間、「欠如モデル」の考え、即ち「(専門家により)適切な説明がなされ、正しい知識を市民が取得すれば、彼らは専門家の主張を受け入れる」との考えに立っていたとされる。著者らは、リスク・コミュニケーションにおいては、そうした「欠如モデル」は不十分であると考える。

原子力のリスク・コミュニケーションにおいて必要なことは、「原子力について意見や価値観を異にする人同士が、相互に信頼関係を築いたうえで、コミュニケーションできる場」であるとする。そういう場として「対話フォーラム」が位置づけられる。

そして、「専門家と市民の側がメリットとデメリットについて十分に議論し、認識を共有したうえで、社会的意思決定を行う仕組み」を構築しようとするわけだ。

「対話フォーラム」の具体的な構成は、科学技術の専門家、すなわち原子力の専門家として、東北大学の北村正晴教授そして高橋信助教授(各々当時)が、市民側は原子力施設立地地域である宮城県女川町そして青森県六ヶ所村の住民が、そしてそのふたつをつなぐ役割としてのファシリテータを著者(八木絵香)自身が果たすというかたちをとっている。

この「対話フォーラム」、実に7年間にもわたって実施されている。ある意味で研究的な実践活動としては大変なプロジェクトだ。著者らの熱意自体は賞賛されるべきものであろう。

果たして、その成果はどうだったのか。このプロジェクトの成果のひとつを示すものとして、「対話フォーラム」の開始時と1年半後の市民側(住民)へのアンケート結果が示されている。アンケートにより、「専門家への信頼」がどのような変化をしたのかをみた。その結果はつぎのようなものだ。

このふたつの図をみるかぎり、専門家と住民の間の信頼関係は「対話フォーラム」のなかで醸成された、ということができる。この信頼関係の醸成、私なりの言葉に翻訳させてもらえば、専門家と住民が「腹を割って話すことができる環境」は整えられた。

こうした「腹を割って話すことができる環境」の専門家と市民の間の「会話」についてエピソディックに書いているというのが本書のエッセンスである。そして、そういう「会話」の場を創るノウハウをまとめたのが本書の意味なのかもしれない。それは、それで興味深いものである。

しかし、果たして、こうした活動が原子力の安全性の向上に、どのように寄与することができたのだろうか?

福島第一原発事故発生後に本書を読むと: 著者等が原子力立地地域の住民との信頼関係を築いた実践記録として読むかぎり、本書はリスク・コミュニケーションを効果的に行うために何が必要なのかを書いた優れたテキストのひとつとして評価することができるだろう。

しかし、本書が刊行された1年半後には、我々の想像を絶する大事故が発生した。この事故を経験したいま、そうした現実を経験したものとして、本書を読み進めてみると、少し異なった印象を持たざるを得ない。

私が、気になった2,3のエピソードをもとに、以下に、著者らの「対話フォーラム」についての私の印象を述べてみようと思う。

<気になった部分その一>
著者のフォーラム初期段階の経験としてつぎのような記述がある:

ファシリテーターを努めた私自身も、試されていると感じた瞬間があった。二回目のフォーラム終了後の懇親会でのことである。宮城県沖地震の際に原子力発電所への津波の影響があるかどうかという指摘を、複数の参加者が口にしていた。その際の指摘は、主に建物の構造に関するものに偏っていた。そのため、私が「直接的な建物被害は考えにくいという思いますが、津波に伴う引き潮で取水口から冷却水が取り入れられなくなる危険性の方が、危険性のほうが大きいのではないですか。」と発言したところ、即座に数人の方から即座に「ふ~ん、八木さんも意外と専門知識はあるんだね。」と返答された。(p.94)

ここで、複数の参加者が「津波の原子力発電所への影響」を危惧している。まさに、今回福島第一発電所の大事故発生に導いた津波について、住民が心配をしているところである。これに対し、著者は彼女なりの「原子力発電所の津波対策」を説明している。

この場面をどのように捉えるのか? 著者は、参加者、住民がファシリテータである著者の専門知識を試す場面として紹介している。

果たしてそうなのか?

私は、この住民の発言は、女川に住む住民が。日常的に抱いている「津波」に対する恐れが、ここに表明されているものとして捉えるべきだと考える。東北の太平洋岸の住民の特有な津波への警戒感、その警戒感をベースとした原子力発電所建設に際して、その津波対策が十分であるかどうかへの疑念、そして、十分な対策の必要、願いがここに表明されていると理解すべきだったのではないか、と考えるのである。

住民が、原子力施設の立地に係わり意思決定の一翼を果たすことができるなら、立地地域の住民であればこそ理解できる諸課題、ここでは津波対策の現状と強化について専門家側は学ぶべきところではなかったのか?まさに、ファシリテータとしての役割を果たしていた著者は、彼女の理解している原子力施設の津波対策を説明するだけではなく、この課題をさらに深めるべきなかだちがもとめられていたのではなかったのか。

本書で、津波のもつ影響についての住民の危惧は、著者が繰り返し言っている「立地地域住民だからこその知見」の重要な部分だったのに違いない。

ま、このこと、福島第一事故を経験したあとであるから指摘できることかもしれない。それはそうだ。

<気になった部分その2>
信頼関係が醸成され、「腹を割った会話」が可能になった状態で、専門家、北村教授は、自らが原子力発電所の持つと弱点と考える諸課題についても説明する場面が記述されている。つぎの部分である。

北村教授は、(原子炉において静的機器より、ポンプやバルブのような動的機器の方が危険につながる可能性がある。」と発言するなど、住民が気づいていない原子力施設の危険性についても、積極的に発言するようになっていた・・・)<==ここまでは、私の要約

一方で、北村教授は、住民の不安を過渡に煽る結果になることを避けるため、自らが原子力施設を安全と考えていることや、その根拠についても、丁寧な情報提供を行っていた。

「原子力発電所でトラブルがあった場合、より重要な警報に早く気づいたり、それに対処したりするためには、やはり『人間がどのような状況でも理解しやすい』ことがのぞましいのです。もちろん、発電所の運転員は様々な訓練を行っているので、人間の特性に配慮した機械でなくても、十分に対処することはできます。
・・・中略・・・
原子力発電所は、厳重な壁に何重にも取り囲まれているので、私には、大量の放射性物質が出るとは考えられないのです。事実、過去のどんな事故の際も、放射性物質の漏洩の心配はなかったという情報が出ています。だから、事故が起こらないとは言わないけれど、大量漏洩は起こらないと言えると思うのです。」

(pp.122-123)

この場面のポイントは、専門家である北村教授が「原子力発電所は安全です」ということを説明したにすぎないのではないのか、としか、私には捉えられない。前段の「動的機器」の持つ弱点を言及する部分は、原子力業界は「十分な安全が確保されているのではあるが、さらに安全性を高めるための努力を行っているのですよ」と安全性への取り組みを強調しているにすぎないのである。

原子力業界の安全性向上の取り組みを説明する、ある意味「うちわ話」をするのは、それはそれでよい。しかし、北村教授は、彼が弱点として認識している「動的機器」について、弱点改善のためにどのような努力がなされているのか、安全性向上の方向でその部分が改善されることを説明することこそ、そしてその可能性についてこそ、言及すべきではないのか。

結局は、いろいろ弱点はあるのではあるが、心配しなくても「原子力発電所は安全です」と言っているにすぎないのではないか、と私には思えるのである。これでは、専門家と市民の間の真のコミュニケーションとはいえないのではないか。「原子力は安全です、という枠」を堅持しながら、「腹を割った議論をしている」のでは、と思ってしまう。

「双方向コミュニケーション」には限界がある: 福島第一事故の発生後に本書を読み進めていると、うえに述べたような原子力において進められてきた「リスク・コミュニケーション」の持つ限界が見えてくる。

何が問題なのか? 著者自身が、専門家と市民が双方向のコミュニケーションを持つことの限界を吐露している部分がある。次の部分である:

私は、再度上流に立ち戻って、原子力からの完全撤廃まで含めて検討するという選択肢を否定しているわけではない。対話の場の設計という観点から言えば、「脱原発」を選択肢の一つとする対話の場もあるべきだ。問題なのは、そこまで選択しの中に含まないにもかかわらず、「市民との協働」「双方向コミュニケーション」というような耳障りのよい言葉を冠にした、推進派主催のコミュニケーションの場が横行することである。市民の意見が仮に「原子力からの撤退」と定まれば、国はその方針転換をするのだろうか。するつもりのない、もしくは困難な部分まで市民との協働と強調しすぎることが、逆に無責任な印象を与えている可能性はないのだろうか。(p.184)

そうなのだ。「市民の意見が仮に『原子力からの撤退』と定まれば、国はその方針転換をするのだろうか」なる問いは、自明だ。そういう選択肢なしで行われているのが、原子力分野における双方向コミュニケーション、あるいはリスク・コミュニケーションなのである。最初から答えは決まっている、というのが実態なのではないか、と思ってしまう。

専門家と市民との「双方向のコミュニケーション」が実効的で、原子力の安全を向上するだけの役割を果たすものであるためには、専門家と市民との間の意見交換で合意された内容がなんらかのかたちで実現する保証がなければならない。それがないと、結局は、「対話フォーラム」といった活動は、著者らが否定したPA (Public Acceptance)活動となんら変わらない、ある種、巧妙なPA、新種のPAとなってしまうのではないか、と思うのである。

原子力分野における「リスク・コミュニケーション」の限界を感じてしまうのは、私ひとりか?


  1. 3 Responses to “八木絵香著「対話の場をデザインする」を読んでみた”

  2. 興味深く拝見しました。八木准教授は、直近の論考で、「2.5人称の視点」をもつ専門家の大切さを指摘されています。→http://synodos.jp/society/5900
    ご本人は、ファシリテーターとして大変有能な方の様ですね。ただ、3.11を経た今こそ、中立的な立場の意義と限界を自覚された上で、福島の現場で、その力を発揮されることを切に願います。

    By ともた on Oct 18, 2013

  3. 貴重なコメントありがとうございました。
    専門家のありかたについて考えてゆきたいとおもっています。

    By yama on Oct 18, 2013

  1. 1 Trackback(s)

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