「竜馬がゆく」と「龍馬伝」(その1)
May 24, 2010 – 6:10 pmNHKの大河ドラマ「龍馬伝」、なかなか面白い。毎週、欠かさず見ている。福山雅治扮する龍馬も良い。このNHK版「龍馬伝」を見ていると、以前読んだことのある司馬遼太郎の「竜馬がゆく」との違いに気づく。どちらもフィクションであると割り切れば、それはそれでいいのだが、司馬遼太郎のファンとしては、この違い、やはり気になる。
ということで、NHK版「龍馬伝」の放映にあわせて、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(文春文庫版全8巻)を、もう一度、読んでみることにした。
このエントリーでは、「竜馬がゆく」と「龍馬伝」の違いについて、これまでの放映分(5月23日まで)で、際立った違いがあると感じたふたつの部分について触れることにする。
お田鶴さまと平井加尾: 「竜馬がゆく」のなかで重要な役回りをする女性のひとりに、土佐藩家老福岡宮内の妹、お田鶴(たづ)さまが登場する。このお田鶴さま、竜馬の「恋人」のひとりであるとともに、竜馬の思想の変転に重要な役割を果たす役回りとなっている。
江戸での剣術修行から土佐に一時帰郷した折り、田鶴が竜馬のもとを訪れる。その際、「江戸での黒船騒ぎ、志士の横行、幕閣の不手際とか、あるいは外人の横暴とか、そんな話」のなかで、次のような竜馬と田鶴のやりとりがでてくる:
「お田鶴さま、いまのままでは日本は亡んでしまうと思います。なにをすればよい、とお思いですか」
「むずかしい議論よりも、洋式の大砲と軍艦をたくさん造れば、あとは自然に道がひらけてくるとおもいます。ただその軍艦と大砲を幕府の腰のない役人にもたせるのはどういうものでしょう。いまの幕府では日本をもちきれませぬ。坂本さま、みなさんで倒しておしまいになれば?」(第一巻 p.312)
「竜馬がゆく」の第一巻で、司馬遼太郎は、竜馬の進むべき道をこのお田鶴さまのせりふのなかに暗示させている。その後も、物語のおりおり、このお田鶴さまが登場し、重要な役回りを果たす。しかし、この女性、「龍馬伝」には全く登場しない。
「龍馬伝」には、広末涼子扮する平井加尾が登場する。この加尾、龍馬の初恋の相手であり、土佐勤皇党の指導的な立場であった平井修二郎の妹である。この加尾に示唆され、龍馬が勝海舟の門をたたくことになるなど、龍馬伝のなかでは、平井加尾の役割は、かなり重要な位置が与えられている。
「竜馬がゆく」では、加尾についての言及されている部分はなくはない。しかし、ものがたりのなかでは、特にこれといった役割は与えられておらず、加尾の役割の大部分は、お田鶴さまが担っている。
NHKの「龍馬伝紀行」に実在の平井加尾について紹介されている部分がある:
第十回「平井加尾ゆかりの地」(3月7日放送)
龍馬の家からおよそ1キロのところに、加尾が暮らした家がありました。
現在、加尾の遺品は南国市の歴史民俗資料館に保管されています。龍馬の初恋の相手といわれる加尾。
加尾が龍馬にあてて詠んだとされる歌の横には、龍馬直筆の寄せ書きがあります。
これらの品を生涯大切にしたという加尾は、龍馬と過ごした日々に思いをはせていたのかもしれません。
司馬遼太郎は、この加尾を膨らませ、お田鶴さまという「架空」の人物を登場させたのかもしれない。どちらが史実に近いのか?と問うより、私にとっては、司馬版竜馬に登場する「お田鶴さま」のほうがものがたりとしては面白い。
勝海舟の門弟になるいきさつ: 竜馬と勝海舟との出会いについては、「竜馬がゆく」と「竜馬伝」では、随分、異なっている。
「龍馬伝」のあらすじ(以下、NHKのサイトのあらすじの抜粋に、一部付け加えたもの)では、次のようになっている:
千葉重太郎の取り計らいで幕府の政事総裁職に合い、勝への紹介状を書いてもらうことに成功する。龍馬は紹介状を携え、赤坂にある勝の屋敷を訪ねる。龍馬は、勝の弟子になりたいと申し出るが、(最初は)拒否される。
勝を切り捨てようと乗り込んできた武市の話を通じ、龍馬が「幕府も藩もいらぬ」という考えを持っていることを知り、龍馬に興味を抱き始める。
再度合って、話をするなかで、龍馬の考えが勝のそれと一致することを見出し、弟子とする。
一方、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では:
江戸の攘夷の空気に感化された千葉重太郎が、志士気取りで、勝を切り捨てようと、竜馬とともに、勝の屋敷を訪れる、
勝の話を聞くうちに、竜馬は、またたく間に勝の「開国論」に感銘し、弟子にしてくれるよう懇願し、受け入れられる。(「竜馬がゆく」第三巻の関連部を乱暴に要約)
どちらが史実に近いか、どうかは別にし、勝との出会いは、竜馬の活躍にとっては決定的な出来事のはず。これがふたつの竜馬のものがたりで、このように異なることは興味深い。
この1週間、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み進めた。やっと、NHKの「龍馬伝」に追いついたところだ。今年の暮れの「龍馬伝」が終わるまで、この竜馬をめぐるふたつの物語を比較しながら、楽しんでみることにした。