大西康之著「東芝 原子力敗戦」を読んでみた

April 24, 2018 – 6:35 pm

本書は近所の公立図書館で借りた「東芝問題」を扱った本の2冊目。

まず、読後感。やはりプロのジャーナリストの書いたもの、説得力がある。同じ東芝問題を扱っているのであるが、前エントリーの「なぜ東芝は・・・」とは異なるトーンとの印象だ。

「本書は、主に『文藝春秋』、『週刊文春』、『文春オンライン』で書いた東芝関連の記事をベースに、大幅に加筆修正したもの(p.280)」と本書の「おわり」に記されている。本書の発行がほぼ1年前の2017年6月30日だから、現在進行形の東芝転落劇をリアルタイムなルポとして読める。

以下、一読して印象深く思った部分を中心にメモしておいた。

東芝転落の背景に経産省の構想「原発パッケージ型輸出」
本書を読み進めると、いかに東芝のWH買収が無謀ななものだったのかよくわかる。

東芝社内に定められていた組織原則・手続きをも、無視した博打ともいえる無謀なWH買収劇とその後の一連の暴走ともいえる行為の背景には、経産省の構想「原発パッケージ型輸出」という「国策」があったという。

そして、

当時の東芝において「国策」という言葉は「魔法の杖」だった。どんな無謀なプロジェクトでも「国策」を持ち出せば通ってしまう。(p.45)

という東芝の組織的欠陥が、東芝をして転落に導いたようだ。

興味深いことに、経産省の「国策」は、今、政界を揺るがしている森友・加計疑惑で、話題の今井直尚哉総理大臣秘書官、柳瀬唯夫総理大臣秘書官が経産省時代に中心になって策定した構想だったようだ。

東芝自身の引き起こした転落劇とはいえ、その背後に森友・加計疑惑の経産省官僚の関与があったことを知ると、なにか見えないつながりを感じる。

国策依存体質を持っていた我が国の電機メーカ
こうした東芝の「国策」依存体質、実は、東芝に限らず、我が国の総合電機メーカーが、構造的・歴史的に、持ている体質だったという。

電力小売りが自由化されていなかった当時、国民は電力会社を選べなかった。・・・ 現代社会で電気を使わずに暮らすことは不可能に近い、つまり電気料金とは、すべての国民が納める「税金」だったのだ。
電気会社は国民から集めた「税金」で設備投資する。原発や火力発電所を作り、送電網を整備する、設備投資するたびに、巨額の資金が東電や関西電力から東芝、日立、三菱電機といった「電力ファミリー」の総合電機メーカーに流れる。この極めて安定した収益源があったからこそ、総合電機各社は半導体、コンピュータといった「金食い虫」jのビジネスに投資することができたのである。(pp.31-32)

なかでも、東芝の「国策」依存度は高いという。

東芝は、日立とともに「電力ファミリー」と「電電ファミリ」の両方に属する企業の一つだ。売上高で日本の総合電機一位の日立と、四位の東芝は、どちらも「国策企業」だ。しかし、「東電の正妻」と呼ばれることからわかるように、「国策」への依存度は、東芝のほうがはるかに高い。

そもそも東芝という会社、「国策」依存体質の強い会社だったということのようだ。

高コストの原発ビジネス
本書では、原発産業が、そもそも、ビジネスとして成立しないものとの立場から議論が展開されている。

その技術が孕む潜在的リスクに巨大さ故、洋の東西を問わず黎明期から現在にいたるまで、この産業では「国策民営」が貫かれている。絵を描くのは国で、実行するのは民間企業という構図だ。故に、原発産業はあらゆる事業の中で、最も資本主義から遠い場所に位置する。(p.194)

とする。

原子力発電所の誕生にさかのぼって、原発ビジネスの性格が説明される。その性格とは、原発が軍需とセットで初めて採算がとれるものであったという事実だ。以下の様に、黎明期の原発産業が描かれる:

世界最初の発電用原子炉は英国のコールダーホールはもともと「プルトニウムの効率的な生産」を目的に開発が進められたのであるが、厄介者の熱をエネルギーとして活用することで産業・家庭用電力を生み出す発電所の役割を果たすようになった。
発電だけが目的では成立し得ないコストだが、英政府は「軍需との両目的なら採算がとれる」と考えた。・・日本への原発導入を先導した中曽根は、その政治信念として、「日米安保条約が破棄された場合に備え、日本げ核武装すべきだ」といい続けた政治家である。日本もまた、「両目的」で原発導入に動いたのだ。
原発の建設コストは高かった。米英はその途方もない建設費を穴埋めするため、「核の平和利用」と称して西側諸国に原発を売り込み始めた。(p.197)

「核の平和利用」の名のもとで進められた原発ビジネスも、1997年のスリーマイル島原発の原子炉冷却材喪失事故から、チェルノブィリと過酷事故が発生するたびに安全性基準が厳格化され安全コストが膨らんだ。さらに、「最初は『大した問題ではない』と思われていた使用済み核燃料の処理や、廃炉のコストが膨大であることがわかってきた。

「先進国では、『原発は儲からないビジネス』と認識されていたのであるが、加えて、冷戦終結で、その存在意義が一段と希薄になった(p.204)」ということのようだ。


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