ジョン・マルコフ著 「人工知能は敵か味方か」を読んでみた

October 25, 2019 – 11:05 am

ここ数年のAI技術の進歩には目を見張るものがある。iPhoneに搭載されているSiriのような技術の能力には驚かされる。

80年代にはエキスパートシステムというものがあった。ここでは、人間の知識をデータベース化し、if-thenルールに基づいて推論をすすめるという代物であったと記憶している。これに対して、現在のAIは知識自体を自ら創り出しているように思える。AIという同じ表題で、全く異なる技術にしあがっている。

そんななか、近所の公立図書館でみつけたのが本書だ。

タイトル「人工知能は敵か味方か」は、かなり刺激的なものになっている。最近のAI技術の動向と我々の生活とのかかわりが書かれているのではと期待して読んでみた。


一読しての、私の感想は、情報時代の技術者、研究者たちの仕事がエピソディックに書かれており興味深いものではあった。しかし、本書全体を通じて、実に読みにくいというのが実感である。この読みにくさ、翻訳の悪さによるものかもしれない。

AI技術に代表される情報技術の進展になじみ深い読者が技術開発フェーズのそれぞれのエピソードを知るのにはよいのかもしれないが、私のような断片的な知識しかないものが読むには骨の折れるものであった。

本書の中心テーマは、「まえがき」のなかで次のように述べられている(以下は、私の理解にもとづき多少の書き換えている)。

(60年代から80年代にかけて)コンピュータと通信技術がパーソナル・コンピュータやインターネットの基礎を築いた。インタラクティブ・コンピュータ・システムの開発者に関わり2つの異なる意図が認められる。これら二つの意図は、情報時代の幕開けに際して、そのルーツを次のふたりの研究者に求めることができる。

ひとりは、数学者でコンピュータ科学者のジョン・マッカ―シーで、「人工知能」という言葉の生みの親だ。彼は1964年に人間の能力をまねるテクノロジーの設計を始めた。もうひとりの研究者はダグラス・エンゲルバートであり、コンピュータは人間の能力を拡張するもので、模倣や代替するものではないと考えた。

一方の研究者集団は人間の存在を知的街んで置き換えることを意図し、他方は人間の知能を(コンピュータのちからにより)拡張しようとしていた。このふたつは対極にあるのではるが、その関係性はパラドキシカルでもあった。人間の知能を拡張する技術は人間を置き換える技術となることもできるからである。(pp.2-4)

人間が生み出すシステムによって人間を拡張するのか、それとも人間を代替するのか、という開発者たちの仕事に内在する対極性とパラドックスが本書の中心テーマとなっている。

いずれにしろ、コンピュータの能力をどのように見るのかというものだ。コンピュータ大好き人間としては、もっと正確な技術史を知りたいと思った次第。


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