今回は読めるかな「カラマーゾフの兄弟」

March 16, 2009 – 1:49 pm

亀山郁夫の新訳「カラマーゾフの兄弟」がベストセラーになっているという。本の帯には、「全5巻累計100万部突破」となっている。これまで何回も読もうと挑戦してみたが、残念ながら、一度として読みおえることはできなかった作品だ。今回こそはということで、新訳に挑んで、第一巻を読み終えた。いままでで最長不倒だ。ひょっとしたら今回は全て読みおえるかもしれない。

「カラマーゾフの兄弟」とのつきあい: 「つきあい」などと書くと、いかにも文学青年がこの作品を深く理解してきたように思えるが、私、実は、一度も読み通すことができなかった。何度も、読んでみようと挑戦するのだが、そのたびに数十ページで挫折をしている。

最初に挑戦したのは40年以上も前だ。きっかけは大学の「キリスト教倫理学」なる講義で、ドストエフスキーの作品が課題となったとき、このときは、「カラマーゾフ」、「罪と罰」、「白痴」と本屋で目に付くドストエフスキーの著作を買い集めたが、どれも数ページで放り投げてしまっている。

それから何回も挑戦だけは続けた。私の書架にその痕跡だけは残っている。

亀山郁夫の新訳とその他の訳を並べてみた: 私の書架には、「カラマーゾフの兄弟」の4つの異なる翻訳が並んでいる。今回購入した亀山訳のほか、中山省三郎訳、米川正夫訳、原卓也訳と3つの異なる翻訳が「そろっている」。

せっかくなので、異なる翻訳で同じ部分がどのように異なるのか抜書きして並べてみることにした。

亀山郁夫訳 光文社(古典新訳文庫)(pp.169-179)

 しかし主として教会が罰を避けるという理由というのは、教会の裁判というのが唯一、みずからのうちに真実をはらんでいる裁判だからです。たとえ一時的な妥協であっても、その結果、ほかのどんな裁判とも本質的に精神的に結びつきをもつことができないからです。そこではもう取り引きなどできないのです。外国の犯罪者はめったに罪を悔いたりしないそうですがそれというのも現代の教育までが、おまえの犯罪は犯罪ではなく、不当に抑圧する力に対する反抗にすぎないという思想で、犯罪者に自信をもたせているからです。

中山省三郎訳 角川文庫(pp.121)

しかし教会が処罰を差し控えるおもなる原因は、教会の裁判は真理を包蔵する唯一無二のものであって、したがって、たとえ一時的な妥協にもせよ、他のいかなる裁判とも本質的、精神的に結合することが不可能であるからじゃ。この場合いいかげんなごまかしはとうていゆるされませぬ。なんでも、外国の犯人はあまり改悛するものがないとのことじゃ。つまり、それは現代の教育が、犯罪はその実犯罪ではなくて、ただ不正な圧制力に対する反抗である、という思想を鼓吹しておるからじゃ、・・・

米川正夫訳 川出書房 世界文学全集19(pp83)

しかし教会が処罰を避けるおもな原因は、教会の裁判は真理を包蔵する唯一無二のものであって、その他の裁判と一時的な妥協をすることさえ、本質的に精神的に不可能であるからじゃ。この場合、いいかげんなごまかしはとうてい許されぬ。人の話によると、外国の犯人はあまり後悔するものがないとのことじゃ。つまりそれは現代の教えが、犯罪はそのじつ、犯罪でのうて、ただ不正な圧制力にたいする反抗である、という思想を裏書きしているからじゃ。

このほか、原久一郎の新潮文庫版もあったが、残念ながら第一巻は紛失してしまっていた。

確かに、亀山新訳版は読みやすい感じがする。読みやすさだけで、どこまで読み進められるのかわからないが、とにかく挑戦してみよう。

感想は、全て読み終えてからにしよう。何時になるか分からないが・・・。

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