「薬の費用対効果」を公的健康保険制度に導入すべき?!

November 15, 2010 – 4:00 pm

昨日の日経(11月14日付)の特集に「薬の費用対効果 議論を」という解説記事がでていた。この問題、かなり重要な問題だ。以下、記事の一部を引用:

 これまで日本では有効性・安全性が認められ、現場で普及し始めた技術や薬などは広く公的医療保険の対象としてきた。海外では使えるのに日本では使えない薬があるという批判に応えるために、薬の承認や保険適用は加速しているきらいもある。
 しかし、高齢化に伴い医療費は年35兆を超えて増え続ける。効果が明確な薬は多少高額でも公的保険の対象としないと多くの患者が使えずに困ってしまうが、効果が不確かなのに高額な薬まで取り込んでいては財源が持たないとの危機感がでてきた。そこで、費用対効果論が登場する。

薬の効果をどう判断?: この解説記事のポイント、薬には「効果が明確な薬」と「効果が不確かな薬」の2種類があり、「『効果が明確な薬』は公的保険の対象にしてもよいが、後者の『効果が不確かな』ものをも公的保険の対象にしていては財源が持たない」としているところだ。

 ところで、薬の効果はどう判断されているのだろう?この問題、かなり微妙だ。素人考えにたつと、一定の薬、患者の体質などの違いによって効果が変わるものだってあるはずだ。処方箋をだす医師が万能だったら、このあたりの判断間違いないと思うが、次々新薬がでてくる現状では、一部の医師を除いて、的確な判断ができるとは思えない。

 結局のところ、治験データなどを持つ薬品メーカーの評価が一次情報となるに違いない。薬品メーカーとしては、新薬を開発するからには売れなければ困る。勢い、その効果については「過大」評価をすることになってしまうだろう。新薬が以前の薬より少しでも効果がある、例えば以前の薬では平均生存期間が5年のところが5ヶ月伸びて5年と5ヶ月になりました、という薬、私が製薬メーカーの立場にたてば、「著しい」効果の改善が見られたと言いたくなる。

平均生存期間が10%延びると期待される薬の値段が10倍になっていたらどうだろう。これを公的な医療保険の対象とすべきものかどうか?当然、「効果が明確」な場合においてもだ。

患者の立場: 平均的な患者あるいは家族の立場にすると答えは簡単だ。1日でも、1月でも長く生き延びることができるなら、「金に糸目をつけずに」使って欲しいということになるのだろう。これが平均的な患者の立場であることは間違いない。

「患者の会」の主張に、「米国では使われている薬が我が国では認可されないのはおかしい」というのがあるのは良く知られている。マスコミもそろって我が国の薬事行政の「怠慢」を非難する。我が国の薬事行政に、おそらく問題があることは間違いないだろう。しかし、問題はそれだけだろうか?

 ひとたび薬が認可され、公的健康保険で使用が認められると、高額な薬代は保険によってまかなわれる。「高額療養費制度」により患者は守られるが、公的健康保険制度への負担は大きくなってしまう。最近一般的になってきた「分子標的薬」は、総じて高額だ。1日でも、1月でも生き永らえたいという患者の願いを最優先して認可するようなことになれば、公的保険制度は崩壊してしまう。残念なことではあるが、なんらかの基準は必要だ。我が国の「国民皆保険」の制度はなんとしても維持しなければならない。

英国の公的医療制度では: 1,2年前のHerald Tribuneの一面トップにショッキングな写真付きの記事がでていたのを記憶している。「不安そうな表情」をした老夫婦の写真とともにでていた記事、英国の公的保険制度についての記事だ。余命半月と「宣告」された老人に対する「新たな治療」に保険の適用が行われないとの判定が下されたというものだった。

 冒頭の日経記事にも、このあたりのことが触れられている:

 英国では費用対効果に一定の基準を設け、原則としてそれに合致した場合だけ公的な医療制度の対象とする仕組みを取り入れている。一つの参考になりそうだ。・・

公的健康保険制度の未来についての国民的な議論が必要になってきているのでは、と思う。かなり難しい問題だ。


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