荒川紘著「原発に抗して」を読んでみた

February 4, 2017 – 2:11 pm

近所の公立図書館でみかけ、読んでみることにした。

本書を読もうとしたのは、著者が、原子力黎明期に福島県で育ち、東北大理学部で物理学を学び、科学史を専門とする方であること、そしてそのタイトルから反原発を主張するかたであることなどに、多少、関心を持ったということだ。

しかし、一読した感想をひとことで述べると、失礼かもしれないが、3.11事故後に数多く出版された「反原発」本のひとつを超えるものではないな、というくらいだ。その印象を超える感想は特にはなかった。期待はずれであった。

うがった見方ではあるかもしれないが、本書が出版されたのは反原発本であれば多少は売れるという出版社の経営判断でもあったのか、なんて思ってしまった。

本書から読み取れることは、原発事故により故郷を「破壊」された福島出身である著者の怒りだ。確かに、その怒り、憤りを読み取ることはできた。それはそうだと思う。

しかし、それ以外には、著者の主張するところは何なのか。私には、正直、よくわからない。

あえて、本書の主張するところを見出そうとすると、あとがきの次のくだりではないのかと思った。

以下、転載。

 どうしたら日本から原発をなくすことができるのか、原発のない日本を描くことはできても、実際に日本から原発をなくすのは容易ではない。それには日本が変わらなければならない。日本が変わるには私たちが変わらねばならないのだ。私たちが変わるには、原発とは縁がなさそうな江戸時代の人間教育から見直さねばならない。そう考えて私は孔子や孟子の儒教にも目を向けることになった。

本書、一応、読んでみたということだけは、メモしておいた。


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