年金生活者バッシング!
December 20, 2010 – 1:41 pm最近、「世代間格差」ということを良く聞く。私のように、団塊世代の年金生活者にとっては肩身の狭い感じがしてくる。確かに、「世代間格差」という問題、わが娘の将来を考えると、なんとかしなければとは思う。しかし、どうも「世代間格差」を、年金生活者をバッシングするかたちで議論しようとする風潮があるのではと感じている。
数日前の日経の連載記事「改革迷走 瀕死の社会保障(上) 団塊という時限爆弾」に書かれた記事、こうした年金生活者バッシングの風潮を煽っているように思う。この記事の出だし部分を抜粋すると以下のようなものだ:
年収は年金以下 「なんで引退した父の方が稼ぎがいいのか」。大手小売業に勤める高橋宏太(仮名、32)は釈然としない。宏太の年収は390万円。退職し企業年金も含め504万円の年金を受け取る父(69)より少ない。
就職氷河期の01年に入社してから昇給はなく、賞与は減った。毎週末ゴルフに出かける父を見ると「僕から税や保険料を取って父のような高齢者に配るのはおかしい」と思う。
この記事、現在の年金制度のもと、現役世代の負担がいかに大きいかを印象づけたいようだ。これを読んだ読者は、どのような印象を持つことになるのか。容易に想像できる。「年金生活者は『非常に』豊かな生活を送っており、その豊かさは現役世代により支えられている。その『犠牲』ともいえる現役世代の年収は年金生活者のそれより低い。異常な状態だ」といったところだろう。
そして、こうした印象はどこに向けられるか。これほど大きな「世代間格差」を早急に是正すべき、といったところだろう。「世代間格差」を是正することは我が国にとって喫緊の課題だ。早期に手を打たねばならない。当然だ。
年金生活はバラ色?: しかし、だ。平均的な年金生活者は、この記事にかかれたような「ばら色」の年金生活を送っているのだろうか。年金生活者のひとりとして、この記述、とんでもないと思う。昨日の日経解説記事(Sunday Nikkei)「いまさら聞けない年金」のなかで平均的な年金支給額について次のように書かれている:
厚生年金は現在、60歳から65歳に向けて支給開始年齢を引き上げつつある。額は現役時代の収入に比例し、現在の平均は国民年金部分を含めて月16万円程度。自営業者と違って会社員には定年があることなどを踏まえて設計されているという。
この解説記事によれば、我々が受給している平均的な年金は月16万円、年額にして192万円である。公的年金だけで生活しようとするのは結構つらいものがある。「退職し企業年金も含めて504万円の年金」という冒頭の日経の連載記事に書かれたものの4割にも満たない。残りの6割、300万円超の部分は企業年金によるものだ。これだけの企業年金が受給できる退職者は、そう多くはない。
企業年金の原資は何?: 昨年の今頃、「日本航空」退職者の年金が破格であるとの話題があった。このブログでも、これについて書いたことがある(「JALの年金給付引き下げの議論はおかしな話だ!」)。ここで、世の中から散々叩かれた日航の企業年金、月額25万円のうち、「5万円は本人の掛け金、残りの20万円は退職金2000万円の積み立て」に対応するものだった。「多額の」企業年金、実は、退職者の積み立て部分を原資にしていたというのが実情だ。日航に限らず、企業年金の大部分は(組織で若干の制度は異なるであろうが)、こうした退職者の積み立てた原資をもとにしているのだ。
冒頭の日経記事で紹介されている年金生活者が受給している年金の6割は自らの退職金などを原資にしたものということになる。これで、「毎週末ゴルフにでかけ」てるわけだ。ゴルフに出かけるかどうかは、個々人の考えること。これを、他人がとやかく言うべきではない。
残念ながら、同じく年金生活者の私、「毎週末ゴルフにでかける」ほどの企業年金は頂いていない。私の勤めた会社には、こうした「運用機会」が与えられていなかった。たとえ、そのような「運用機会」が与えれていたとしても、私はそうした選択はしなかった、と思う。どのように「運用」するかは、個々人が判断すべきこと。企業年金受給をめざして、「運用」するのもひとつの判断だ。
こう考えてくると、冒頭の日経の連載記事、ことさら「世代間格差」を誇張し、問題をゆがめているのではないかと思ってしまう。「年金世代」をバッシングをすれば良いというものではない。