「年金支給開始年齢」と「定年」

October 1, 2013 – 1:44 pm

日経読書欄(9/29)に年金支給開始年齢と定年について興味深い話がでていた。

私を含め、多くの日本人が常識と考えている「定年になったら年金がもらえる」というのは最近できた新常識といったものだそうだ。本当にそうなのか?

年金生活者にとって興味深い話だった。メモしておいた。

日経記事の内容: 日経読書欄(9/29)の「経済論壇から」は、土居丈朗・慶応義塾大学教授が担当し、そのなかで中央公論の座談会(大竹文雄(大阪大学)、斉藤誠(一橋大学)、高木朋代(敬愛大学))で年金制度に係る議論を紹介しているところがある。ここに、座談会での議論の一部として、以下のような議論が紹介されている(以下、引用)。

日本社会では長い間、55歳で定年になった後、第2の職場へ行って、60ないし65歳ぐらいまで働き、それから年金をもらうというのが普通だった。しかし、1998年の高年齢者雇用安定法改正で、59歳以下の定年を認めないと定められた時、たまたま年金支給開始年齢と一致したことから、定年になったら年金がもらえるという新常識ができてしまった・・・。

そして、土居丈朗は、これを受けるかたちで、以下のように述べている:

引退と定年は長い間一致しておらず、今も全員が一致しているわけではないのに、定年をのばすほど引退と定年が一致する傾向が強まる。そうすることで、働き方が政府(年金制度)に拘束される。雇用と年金支給の空白期間を埋めるには、人生が長くなった分だけ発想の転換が必要と説く。60歳以降の働き方を考える上で、賃金をいかにもらって働くかということではなく、NPOで社会に貢献するなど、政府や法制度によってがんじがらめにされる形ではない道を、人生の中であらかじめ準備しておくことの重要性を痛感させられる。

「定年になったら年金がもらえる」は本当に新常識?: 上述の記事を読んで、なるほどと思った。しかし、1998年以前、「年金の支給なしに定年を迎える」のは当然のことと考えられていたのだろうか?私の記憶では、少し異なっていたように思う。

私が職を得たのは、ほぼ40年前(1977年)。55歳が定年とだった。上述の「日本社会では長い間、55歳で定年になった・・・」という記述に符合する。

その当時「55歳で定年」を迎えるにあたって、年金がまだ支給されず収入のない「空白」期間に備えて、我々はどのように対処していたのか?乱暴ではあるが、大体次のふたつが代表的な対処法であったのではなかったか、と思う:

  1. 定年後に向けて、何らかの資格を取得し、「空白」期にする備えようとした

     就職して初めての上司が私に言ったのは、「定年を迎えても職にありつけるように資格をとりなさい」だった。その当時、なんてふざけた話だと思ったのを記憶している。今、考えてみると、55歳の「早い」定年への備えを、就職と同時に、するのが当然ということだったかもしれない。
    ただ、会社側も退職後の職場(悪くいうと、「天下り先」)を準備するというのが一般的だったようだ。それに備えての資格取得の勧めということだったように思う。

  2. 労働組合の活動の柱のひとつに「定年延長」の要求というのがあった。

    就職して4年目だったと記憶するが、ちょっとしたはずみで労働組合の役員になった。今考えると若気のいたりで、馬鹿なことをやったと思っている。
    そのときの最大スローガンのひとつが「定年延長」だった。
    私自身は、これに反対したのであるが、組合の総意は、「定年延長」でまとまっていた。
    組合が「定年延長」を主張したのは、年金支給開始が60歳からということで、定年から年金支給開始までの「空白期間」を埋める必要があった、と記憶している。

定年を迎えたのち、年金支給開始までの期間の生活をどのように維持するか、誰もが真剣に考えていた、ように思う。「定年になったら(すぐ)年金がもらえる」というのは、ある意味、みんなの願いだったのだ。

上述の記事が主張するように、「1998年の高年齢者雇用安定法改正で、59歳以下の定年を認めないと定められた時、たまたま年金支給開始年齢と一致したことから、定年になったら年金がもらえるという新常識ができ」た、ということではなく、労使ともが協調して、現在のように定年と年金支給開始時期を一致するな仕組みを作ったというのが実際だったように思う。

さて、定年延長はいいことだろうか? そうでもないように思う。定年を延長すると、「年寄り」がいつまでも職場にいることになる。結果、若年層の活躍の場が少なくなってしまう。組織の若返りの観点から言うとあまり良くない。

労働組合の「定年延長」に対し、会社側は、「定年延長をするとモラルが低下する」と反論していたように記憶している。いやな上司がいつまでもはびこるのは確かに若手のモラル(士気)を低下させる。もっともだ。年寄りを職場からお引き取り願うなんらかの仕組みが必要なのだ。そのひとつが、「定年と年金支給開始年齢を一致させる」ということなのではなかったのか、と思う。

最近は、「昔と違って年寄が元気」なんていわれるが、やはり生理的には55歳あたりが潮時なのでは、というのが実感だ。いつまでも、先輩づらをして、職場にはびこるのは、いい話ではない。パフォーマンスの落ちた年寄りには、それなりの年金を支給することで、さっさと現役を退いていただくのがいい。私自身は、健康上の問題があったということもあるが、60歳になる前にさっさとリタイアさせていただいた。

「定年になったら年金がもらえる」という仕組みは、年寄が職場にはびこらせないようにするためには、いい仕組みなのではないか。よくいわれるような、「少数の若者が多数の(働かない)年寄を支える年金制度」という言い方より、「若者の活躍の場を拡充する年金制度」というように見方を変えてみたらいかがだろう。労働生産性を高めて、老人も若者もともに豊かに暮らしたいものだ。

わたしが、労働組合で定年延長に反対した理由はこのあたりにあったのだが・・・。

またまた、まとまりのないことを書いてしまった。


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