「実録 FUKUSHIMA」を読んでみた

February 21, 2016 – 5:17 pm

本書は、米国・「憂慮する科学者同盟」のメンバーによる著作だ。原題は、”FUKUSHIMA -The Story of a Nuclear Disaster-”。

有名な「憂慮する科学者同盟」が、米国の「原子力反対派」として、福島の事故をどのように見ているのかを知ることができればと思い、本書をひもといた。

読後感は、事故から5年たった今、あの事故を振り返るうえで、ある意味、重要な視点を与えてくれたというあたりだろう。かなり煽情的な部分も多いが、そうした部分を割り引いても、納得させられるところは多い。

印象に残ったところ、興味深かった部分をメモしておいた。


本書のねらいと構成
本書のねらいとその視点、考え方は「はしがき」のなかにまとめられているように思う。

すなわち、本書の著者等は、福島第一原発事故を原子力開発・推進の歴史の当然の帰結として描く。

(福島第一原発(事故)の話は、)ある神話を念入りに育みながら進められてきた、ひとつの技術の物語だ。その神話とは、安全神話にほかならない。原子力エネルギーという選択肢は、大惨事の起こりうるギャンブルだ。

とし、さらに、これは、日本に限らず世界中の原子力の抱える問題であると警告する

福島第一原発は、原子力発電所の設計の弱点と、運転や規制の監督のしかたに長年潜んでいた欠陥を明るみに出した。日本も責めの一端を負わなければならいが、この事故は日本の原子力事故というだけではない。たまたま日本で起こったが、福島第一原発の大惨事へつながった数々の問題点は、原子炉が稼働しているどの地にも存在している。

本書では、2011年3月11日の福島第一原発事故の発生から約1年間の日本、米国双方の動きを、そうした動きに関連づけられる歴史的事実を掘り起こし織り交ぜながら、ドキュメントタッチで描く。

機能しなくなった原子力発電所のなかでどのように事態が悪化していったのかの詳細な説明と、東京の政府官庁やアメリカの緊急指令センターで起こった出来事の話が織り合わさっている。そして、アメリカや日本の国民を守る責任を負った人々が、どのようにして、不意のときに手も足も出ない事態に直面したかを明らかにしている。

事故に至った重要な歴史的要因のひとつとして、米国の原子力安全規制のありかたを鋭く告発する。

本書ではそれと同じくらい重要なこととして、原子力体制派、とくにアメリカのそれが、安全規制や規制監督を緩めようと何十年にもわたって取り組んできたことについても説明する。それによって、二〇一一年三月一一日以降にアメリカでたびたび耳にしてきた疑問に答えをだす。アメリカでも起こりうるのか?その答えは、疑いようもなくイエスである。

 我が国の原子力安全規制は、基本的には、米国の安全規制を手本に形作られてきた。その本家本元の米国の安全規制が大きな問題を抱えていると告発されている。

原子力安全規制と確率論的リスク評価(PRA)
本書では、米国NRCの安全規制に批判的な立場がとられている。特に、1970年代以降、安全規制で重要な役割を持つようになった確率論的リスク評価(PRA)に対し批判的である。PRAは次のように説明されている:

 1970年代前半に原子力委員会は、原子炉の事故によって一般の人が急性被曝やがんで亡くなるリスクを、確率論的リスク評価(PRA)というツールを使って計算することを目指した、原子炉安全性研究という先駆的なプロジェクトを立ち上げた。ここでは「リスク」は、発生確率とその影響との積として定義された。このプロジェクトで得られた重要な結論の一つが、たとえきわめて深刻な結果をもたらす原子力事故であっても、そのような事故の起こる確率がきわめて低いため、人々にとっての一年あたりの「リスク」はきわめて低い、というものだった。つまり、大きい数ときわめて小さい数を掛け合わせれば、小さい数になるということだ。

また、このPRAにおける「確率」の計算が「きわめて不確定でほとんど意味がない」ので、このPRA手法を、「特定の原子炉がある年に炉心溶融を起こす確率など、何らかの絶対的な値を計算するのに使うことはできない」と批判されていることを紹介している。

こうした批判を無視し、NRCは安全規制のなかに、このPRA手法を取り込むことにしたが、このことが、NRCをして、より安全な原発に向けて改良しようとする動きに対し、NRCが消極的な態度をとることにつながったとと主張する:

NRCは、「ほとんど無意味だ」と指摘された、事故のリスクの絶対値を含め、確率論的リスク評価によるリスクの値を、実際よりも正確であるとみなすようになった。そして、一部の委員がNRCの依拠する方法にしようとしていた費用対効果による評価法に、それらの値は頻繁に使われた。それが厄介な結果をもたらした。過酷事故のリスクが見かけ上小さくなるごとに、発電所の改良を求めるNRCの影響力も削がれていったのである。

本書におけるPRA手法に対する見方が正確かどうかは、私は、判断するだけの能力を持ち合わせていない。しかし、原子力の安全を議論する場で、PRA手法とのからみで「安全目標」といった用語が飛び交っていたことを思い出す。私の理解では、まさに「安全目標」なる考え自体が、PRA手法で導かれた事故のリスクの絶対値を用いるものだ。そう考えると、この批判はそう間違っていないような印象を受ける。なぜなら、現実に起こりうる恐ろしい事象は、無視できるほどに小さな確率ということで、考慮の対象から外されてしまうからだ。

SOARCAと福島事故の発生
福島事故の2011年3月11日のまさに前日3月10日にNRC第二十三回規制情報会議(RIC)の最後のセッションで、NRCの研究プロジェクト「最新版原子炉事故影響解析(SOARCA: State-of-the-Art Reactor Accident Consequent Analyses)」の議論が行われていた。これを議論したパネルディスカッションで、

たとえばマークⅠ沸騰水型原子炉で長時間の全電源喪失が起こるなど、原子力発電所でたとえ過酷事故が起こっても、それほどひどい事態にはならないだろう、とのメッセージが示された(p.273)

という。福島第一原発で発生した過酷事故に関わりを持つシナリオについてSOARCAは取り扱っているという。しかも、「それほどひどい事態にはならない」だろうとのメッセージを示して、だ。福島事故と本書で紹介されているSOARCA研究の結果との対比は非常に興味深い。

ということで、かなり長くなるが、本書に紹介されている6年間にも及んだSOARCA研究実施中のエピソードについて、興味深く感じた部分を以下に転載しておく。ここに、米国NRCの安全規制の「欠陥」が、象徴的に取り上げられているように感じる。

(SOARCAプロジェクト研究の)内部で大きく意見が食い違っていた事柄の一つが、いわゆる緩和シナリオに関するSOARCAの仮定についてだった。平易な言葉で言うと、運転員がどれだけ素早く、どれだけうまく、非常用設備を使って事故に対応し、安全を確保して放射性物質の放出を防げるかということだ。はたして、SOARCAプロジェクトのスタッフが自信をもって結論づけたように、ピーチボトム発電所で作業員は、発電機もバッテリー電源もなしで、本当にRCIC系を起動して操作できるのだろうか?可搬式ポンプをつないで運転させ、発電機で安全系を四八時間(SOARCAの解析における期限)駆動させられるのだろうか?
早くも二〇〇七年には、SOARCAの解析を再検討していたサンディア国立研究所のプロジェクト参加者が、NRCのチームが予測しているとおりにすべての非常用装置が作動し、非常用の手順を実行できるかと質問していた。研究所は、「人間の信頼性の解析」と呼ばれるものを求めたのだ。
その年、サンディア研究所の上級技術スタッフであるショーン・バーンズは、NRCに、のちにかなり先見の明があったことが明らかとなる書簡を送った。
「〔ピーチボトム発電所において〕長時間の全電源喪失を引き起こす可能性が最も高い事象は、・・・十分にマグニチュードの大きい地震によって・・・大規模で分散的な構造物破壊が起こることであり、・・・かなり大きく重い緩和設備を、保管場所から瓦礫などの障害物を抜けて発電所の接続場所まで移動させるのが現実的であるという前提は受け入れがたい。内部での大規模な浸水や大火災を含め、それ以外の考えられる起因事象にも、同様の質問があてはまるだろう」。
バーンズはさらに、バックアップの冷却水供給装置が使用不能になること、電源接続の問題、装置使用の難しさ、バッテリーの放電など、ほかの問題点に関しても疑問を提起していた。(pp.291-292)

ここで提起されていた数々の問題は福島第一事故において事故に対処する際に大きな問題になった部分だ。福島第一では、SOARCAで仮定、議論された緩和策のB.5.b対策が取り込まれていなかったようであるが、たとえそうした緩和策がとりいれられていたも、事故に対処する要員が効果的に緩和策を取り込むことは可能であったのか、どうか。SOARCA研究プロジェクトの採用した仮定について、かなり懐疑的・否定的な声も多かったようだ。

SOARCAのスタッフは、疑念の声を鎮めようと、ペンシルヴァニア州のピーチボトム発電所とヴァージニア州のサリー発電所を訪れて実際の装置を調査した。内部での意見対立は収まらなかったが、SOARCAのスタッフは批判者の懸念の妥当性に疑問を示し、発電所を歩いて調べた結果に基づいて、すべてうまく機能する可能性はそれまで考えられていたよりもさらに大きいと結論づけた。(p.293)

こうした検討を経た結果として、3月11日の会議で、SOARCAプロジェクトの推進者は、それなりの結論を表明する;

(SOARCA研究の部門長)パトリシア・サンディアゴは、「SOARCAによるひとつの結論として、この研究の一環として解析した事故シナリオは、『合理的に緩和させることができ、炉心の損傷を防ぐか、放射性物質の放出を遅らせる、または減らすことができる』」と強調した。

この直後に福島第一事故の発生である。本書では、SOARCAで取り上げたのと同じシナリオの事故の発生に米国の安全規制の問題点を以下のように指摘する。

翌朝、この結論を裏付ける机上のモデルやコンピュータ計算、そして神頼みの仮定がすべて、現実世界での初の検証に掛けられることになる。三月一一日午前一一時四〇分、ジェイソン・シャペロウが上司のサンディアゴに電子メールを送った。「今日の日本の地震は、SOARCAのシナリオの一つ(長時間の全電源喪失)を引き起こしたらしいです」。
 サンディアゴは、「今朝のニュースでは放射性物質の放出はないと言っていた。時間が経たないと分からない」と返信した。
 コンピュータモデルを組み立てたり解析を行ったりする人々は、自分たちのモデルによる予測の妥当性を確認するのに使える、リアルタイムのデータを得ることを大変好むものである。ただし、彼らが大惨事をシミュレートしている場合はべつであろう。まもなくSOARCAのチームは、自分たちが起こりえないと考えていた壊滅的事象の多くが進行するのを、コンピュータスクリーンでなくテレビで目にすることになる。そしてその過程で、NRCが懐疑的な一般市民を説き伏せるためにかなりの時間と費用をつぎ込んできた、SOARCA計画の方法論の限界が明らかとなっていく。
 SOARCA研究はその進行中の何年にもわたって、自然災害が真に恐ろしい事象を引き起こす可能性があることを明らかにしてきた。複数の原子炉が関係し、ほとんどの非常用設備が役に立たず、放射能雲が汚染された広い地域が気まぐれな天気によって緊急時計画区域よりはるかに遠くまで広がるという事故だ。それでもNRCは、そのような事故を防ぐ行動をとるのではなく、たとえ事故が起こってもその影響は小さいと信じこんだ。難しい問題は無視されるか、または先送りされた。
 もしNRCがこの研究を、すでに抱いていた先入観を強める手段としてではなく、アメリカと日本のものを含めた原発の安全上の弱点を特定して改善するための道しるべとして進めていたら、SOARCAによるもっとも恐ろしい予測が、パワーポイントのスライドから、世界中に衝撃を与える実際の出来事へと変わることはなかったかもしれない。(pp.296-297)

ちょっとした感想
福島第一事故で、我が国で経験した惨禍には、事前に行われていた事故評価では取り扱われなかったことが多くある。そのひとつが、5年たった今も、放射能汚染区域から避難を余儀なくされた住民の苦難だろう。放射線による直接的な健康影響だけでなく、避難による精神的な苦難などは、予測することのできない、もっというなら数値化できない影響(Consequence)だ。

ひとたび過酷事故が発生するような事態になれば、予測不可能な影響を蒙ることになるということを明確に意識しなければならない。本書から転載した部分に、「もしNRCがこの研究(SOARCA)を、すでに抱いていた先入観を強める手段としではなく、原発の安全上の弱点を特定して改善するための道しるべとしてすすめていたら」こうした事態の発生は防げたのではないか、という部分があるが、果たして、そういうことは可能であろうか?

私は、もっと悲観的だ。

原子力発電所、少なくとも軽水炉は早期に廃止するしか道はない。


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  2. Mar 12, 2016: グレゴリー・ヤッコ元NRC委員長のインタビュー記事を読んだ | Yama's Memorandum
  3. Apr 4, 2016: 米NRCのSOARCA(NUREG-1935)報告書に掲載のソースターム | Yama's Memorandum

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